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「騎士団長殺し」を拝読

騎士団長殺しを一周目読了してしまった。

文庫本で一部イデア編、二部メタファー編の上下巻で4冊もあり、目にクマができるほどに、はまってしまった。

イデアとメタファーの世界は、五次元世界の存在を信じる上で、重要な認識すべきファクターだとある人は言う。

 騎士団長殺しの構図をつくり、イデアにつながる穴から、祠の穴につながる意識の道は、イデアの道なのか、渡し船は、三途の川なのか、生まれてくる子はイデアの授かりものなのか、多義的な解釈は読者に委ねられている。

 哲学者のプラトンがイデア論を唱えたのがギリシャ時代2400年前。アリストテレスは現象が大事だと異論を唱えた。情報化社会になっても人間の考えることはこの二元論に終始することを考えると、何が起こってもおかしくない世界が未来にあるかもしれない。

「諸君はそうあらない。」
騎士団長が頼りになるキャラクターで、読み手に緩和を与えるので、メンシキさんとの緊張の対話に安心感と緩和を感じることができる。

「この世は時間と空間と蓋然性で構成されている。」

 確かに、四次元の世界では、不確かなこと、ものが五次元世界の入口と、なりうる可能性はあると考えるとワクワクする。

今、私は、環境の変化により、予期することが、期待と不安の嵐のような思念のなかにいる。
よって睡眠不足に打ちのめされている。
 つまり、強き意志とあるべきイメージを実現するための船は、港を変えて新たな航海に出発する春を待っている。羅針盤も海図もまだない。

真夜中に、滑車を駆け回るハムスターを側でみていると、主人公の妻であるユズのような気持ちになる。

ユズいわく、
「私の人生ではあるけど でもそこにおこっていることのほとんどは私とは関係のない場所で勝手に決められて勝手に進められているかもしれない 

つまり 私はこうして自由意志 みたいなものを持って生きているようだけど結局のところ 私自身は大事なことを何一つ選んでいないのかもしれない」

共感してしまう自我がいる。

子供が生まれたら、親になり意思を継ぎ次世代へ繋ぐ意識に変化する。いずれ人は死を迎えるのだから。


そんな時に刺さる言葉が免色さんとの会話だ。

「試練は人生の仕切り直しの好機。きつければ きついほど それは後になって 役に立ちます。負けて心くじけなければ。」

ただ、私は思う、

「負けてもいいじゃない。ずっと勝ち続ける人間なんておもしろくもなんともない、
大多数が負けるのだから、勝ちつづけることの意味がどれくらいあるのだろうか。」

「負けるが勝ち」という言葉もある。

最後に、本のモデルとなったであろう、日本画家の井上三綱、翁に関する絵画を見に行こう、と思う。
楽しみだ。



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