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私がnoteを続ける理由

遅ればせながら
あけましておめでとうございます
本年も何卒よろしくお願い申し上げます

今年も月1投稿がんばります。

昨年は「正直、書くことないな~」と思う月もありました。なのにどうして今年も月1投稿をすることにしたのかと言うと、"あのときの想い”を振り返るのに適したツールだと思ったからです。藤沢で活動のお手本にさせていただいている、ときには私の心の支えでもある先輩移住者の方に「外から来た人の目を大切にしてね」とよく言われます。私は、その目は段々と新鮮さを失い、当たり前の景色を見るようになってしまうのではないかと思うのです。だからこそ、今感じていることを文章にしておくことが未来の自分への何かしらのサポートになればいいなと思って今年も月に1回は投稿をしようと決めました。(あと、毎月書くとnote運営側から応援のメッセージが出るので、それがひそかにお尻を叩いていたりもする笑)

また、noteへの投稿は、自分の気持ちを言葉にして伝える練習、適切な言葉の選択の練習、考えていることの整理の時間になるとも思っています。

まず、普段こんなに長く文章を書いたり、長い時間を使って自分の考えを人に伝えることってそんなにないと思います。私は夏休みの読書感想文がすごく億劫だった記憶があるくらい自分の考えを文章にすることが苦手なので、誰かに伝えることを意識して書くこの時間が結構大事だったりするんです。とは言っても、ただだらだらと長く書くわけにはいきません。せっかく書くなら誰かしらには読んでもらいたいし、読んでもらいたいなら読み手が読みやすいように書かなければならない。気の知れた友達とする他愛のない会話みたいに話があっちこっち行っていたら読み手も疲れてしまう。長すぎるのも疲れる。それって、日常会話も同じじゃないですか?できるだけ端的に、伝えたいことを伝えられたら会話もスムーズに進んでお互い気持ちがいいですよね?会話はテンポが大事だと思います。文章もテンポよく進んだら読みやすいと思います。長々と話した挙句、結局何を言いたかったのかわからなかったり、もう話の途中からすでに何を言いたいのか見えなかったりしたらめちゃくちゃ気疲れすると思うんです。私は私と会話してくれる人にそういう思いをさせてしまわないように、ここで人に伝える練習もしたいのです。

それから、適切な言葉の選択の練習というのは、私は今まで端的に物事を伝えようとして言い方を間違えたり、言葉が足りなかったりして誤解させてしまうことがよくありました。でもそれってもしかしたら伝える順番が違っていれば誤解なく伝わったのかもしれない、或いはちょっとした前置きを入れたら良かったのかもしれないと思うこともあるのです。また、類義語もnoteならひとつひとつ調べて使用できるので、そういう意味でも適切な言葉の選択の練習になると思っています。

誤解のないように伝えておきますが、noteだけでなく、毎日つけている日記も、誰かと話すときも、Instagramに投稿する内容も、毎月提出している活動報告書も、四半期に1回発行している地域おこし協力隊通信も、すべて毎回人に伝える練習だと思って取り組んでいます。言語化は生涯練習し続けるものかもしれませんが、未来の自分に関わってくれる人たちと円滑な意思の疎通ができるように、これからも毎回言語化の練習を大切にしていきたいです。

言葉は刃物。大切に扱いたいです。

そして、noteの投稿についてここまで書いてきたように、考えていることを整理する時間を設けるためにも続けていきたいと思います。

以上の理由から、今年も月に1回は投稿をしていきたいと思いますので、たまに覗きに来ていただけると嬉しいです。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。それでは、また。