自分で思う「頑張る」という意義
今日は、私がお世話になっているゲストハウスで滞在した時の出来事
ゲストハウスのオーナーから「頑張る事をやめてみたら」「なんで頑張るの?」
という問いかけを頂いたので。
一度、自分の行動を振り返る
その時は、「頑張らないと動けない」、「生きるの辛いから」という返答をしてしまった
オーナーは、そうなのかと、そんなもんかという感じで終了した
一生懸命生きることが楽しいにつながると感じていたので
私にとっては難しい質問だった
頑張ると言うワードは私にとってはスペシャルだったし
頑張った分だけ、楽しいと感じていたから
なぜ頑張るのかな?みんなは頑張ってないのかな?という疑問しか浮かばなかった
頑張る理由を考えてみて
頑張ると言う意味を考えてみて。
ある日、小学校からお世話になった英語塾の先生に「頑張る」について質問をした
先生曰く、「頑張る」と言う言葉は言った本人の自己満にしかならないから、「頑張る、頑張った」は他者が私たちにかける言葉なんだとか
私はもう一個質問してみた
「頑張らないでも結果が出るのはなんでですか?」
先生は「本人自体はそれを当たり前にする」
「やるべき事、やらなきゃいけない事として動く」
と、教えてくれた
ほお。納得
今まで、似たような答えを貰っていたが
この時が一番、自分で納得できた
時々、言うタイミングによって受け取り方が変わるのだが
今回は、頑張る=その人の自己満と言う意味がようやくわかった
一生懸命は人生において当たり前なのか
確かに一生懸命じゃないと仕事に対してもプライベートに対しても上手くは行かないかもな。
さあ、話を閉めよう
頑張ることで楽しさを見出した最近の私
ようやく人の最低ラインにたてている気がする
頑張ることは、当たり前
やって当たり前
生きているだけで頑張ったのなら、何もできないだろう
みんなができることは大概自分でもできるだろう