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人生最大の転機 【難病】

こんにちは。いこいです。

自己紹介にも書きましたが私はSLE(全身性エリテマトーデス)という難病を患っています。

この病気は私にとって人生最大の出来事で、これからも向き合っていかなければいけない大きな課題でもあります。

今回は、同じ病気の方やこの病気のことを知らない方へ、この病の事を私なりに発信してければなと思います。


SLE(全身性エリテマトーデス)って?


この病名、初めて聞く方が多いと思います。
私も病気になるまでは知らなかったですし、当初は病名も覚えられませんでした(笑)

簡単に説明すると、

全身性エリテマトーデス (systemic lupus erythematosus:SLE) とは、免疫システムが誤って自分の正常な細胞や組織を攻撃することで、全身の臓器に炎症や組織障害が生じる自己免疫性疾患です。

メディカルノート/全身性エリテマトーデスについて


もっと砕けた感じで言うと、

通常、自分を守ってくれる免疫細胞は悪い菌や悪い細胞に対して矛先を向け、攻撃、鎮圧してくれるのですが、


これまた厄介、


SLEの患者に宿る免疫細胞は、悪い菌、良い細胞、一切区別せず攻撃してしまういわば、超バーサーカー状態の免疫なんです。

”分け隔てなく”判断している点では評価はできますが(?)、
誰彼構わず攻撃なんて、目が合ったらキレるヤンキーよりもたちが悪いよなぁなんて思ったりもします。

そんな厄介なものが持病として、これから一生付き合い続けなきゃいけなくなったのは、4年前の事です。


病気の始まり


診断が降りたのは高校3年の夏でした。


やっとの思いで引退できた部活。ここからは受験の準備をしつつ、できなかったことをやろうと意気込んでいました。

引退生活が始まり、遊び、旅行、大学のオープンキャンパス、勉強と、かなりハードな日々を過ごしていく中で、睡眠不足、偏った食事等、自己の生活が少しばかりですが段々と荒れていっていました。

そしてついに、楽しい連日の予定が終わった、その日の夕方


39.8℃の熱。


緊張の糸が切れたかのような突然の大熱。


家族大パニック。


その時はコロナが流行っていたし、しかも東京帰り、ということで私自身もパニックでした。

田舎に住んでいたので、まだ県内でのコロナ発症の症例が少なく、市内初の患者だったらどうしよう…と変な心配をしていました。


次の日、熱の割にはピンピンしている身体で、病院へ行き、診察。
そしてコロナの診断のために唾液を採取していると、急に体の違和感が、

全然唾液出ないな…

ん?なんか耳が遠くなったな…

あれ、今度は目が見えづらく…


「耳が聞こえないです、あと目も!」


と、どれぐらい自分の声が出ているから分からない中、看護師さんに必死に伝えました。

そこから意識が朦朧とする中、点滴を打たれ、ベッドの横に置いてある心拍数とか表示してくれるようなモニターがピロンピロンと鳴り響き、大慌ての先生たちの様子がうっすら見えたのを覚えています。


この時の症状は脱水症状だったらしく、数時間すると意識は戻りました。

やっと落ち着いたところで、コロナではないという診断を聞きまずはその結果によかった、と安心していました。


しかし、そんな安堵もつかの間、私の意識が遠のいている間に、三日後の入院が決定していました。

そして、入院中の検査で、
SLE(全身性エリテマトーデス)の診断が下りました。


病気になってみて


正直、私って健康体じゃないんだ、と思うとめっちゃつらいです。
この病気じゃなかったら、っていうのを無限に想像してしまいます。


でもネガティブな感情だけじゃなく、出来るようになったこともあります。

それは、自分他人への思いやりです。

私はこの病を患うまで、際限なく無理をして「役に立たないと私に価値はない」と自分を無碍に扱うこともありました。

体調不良と言い、学校を休みがちな子に対しては、私が真面目すぎるゆえか、「やる気がないな」と少し嫌悪感を抱いているぐらいでした。

SLEは、(皮膚の一時的な赤味や発疹などを除いて)外からは分かりにくく、ぱっと見、病気を持っていそうに見えないのがほとんどです。

実際自分が病気になってみて、疲れが残るまで自分を追い詰めない、自分をいたわることの大切さを知りました。


そして、それ以上に、他人から見えない病の痛み伝えにくさを感じ、これまでの認識が誤っていたことに気づきました。

そこから、誰かが、何かできないこと、続けられないことに対してなんの嫌悪感も持たず、じゃあ一緒にやろうとか、ゆっくりやろうね、と心に余裕を持って接していくことが少しづつですが、できるようになりました。

この病気は今の医療のおかげで基本は、ほとんど寿命は気にせず生きていくことができます。人によってはお薬を手放すこともできるほどに。

これから先もこの病と生きていく中でまた新たな壁にぶつかると思いますが、めげずに戦っていき、私の一つの大切な個性として寄り添っていこうと思います。










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