宇宙の海は 誰の海

2025.2.28

幼い頃、わたしはテレビアニメ【銀河鉄道999】を
毎週心待ちにして育った。

「超合金」で出来たような掌サイズの精巧な999や、
ほかの列車もあったし、メーテルの大きなパネルも
壁に掛けてあった。

幼稚園のお弁当箱はマジンガーZだったが。

物心ついた頃には【松本零士の世界】というLPも
あって、それをいつも一人で繰り返し聴いていた。

実家の大きな書棚の左下にある扉の中には、
レコードやら写真やらが無造作にしまわれていた。
薄暗い部屋。
木の薫りが染み込んだレコードを取り出した時の微かな匂い。
慎重に針を乗せてから曲が始まるまでの波打つ音。
大人たちが与えてくれた素晴らしい世界。

わたしの心は常に宇宙に出掛けて行っては、
汽車の窓、あるいは宇宙船のコクピットから、
青い地球を眺める彼らとともにあった。
ただひとり宇宙空間に浮かんで、
ぼんやりしていることも多かった。

暗闇の中に光が点在する、その足場のない空間が、
わたしのふるさとだった。

夜闇に浮かぶ松明の揺れる炎で閉じられた空間。
それがわたしの子供時代の心象風景であり、
諸行無常の寂しさが居座っていた心を、
同じ闇である宇宙の煌めきは慰めてくれた。

そうだ。
目的地の惑星に到着した時、そして発車する時、
ホームで999が鳴らす高らかな汽笛が好きだった。
振り返らずに空に昇る999が好きだった。
いつだって999は頑固で、ひとりで黙々としていて、
服従を嫌い、気高くあるように見えたから。

宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、
そして
宇宙海賊キャプテンハーロック。

お気に入りの曲を飽くことなく延々と聴き続けた。
旅立つ者の思いと覚悟、大いなる闇、母なる宇宙。

今にして思うと、
どの曲も時代を超える普遍的なものだった。
歌詞の内容も随分と大人っぽかった。
子どもの頃は、すべてを理解できなくとも雰囲気で
想像しながら歌詞を追っていたように思う。

物語には凡そ子ども向けとは思えない厳しさがあった。
残酷さがあり、醜悪さがあり、
非情で理不尽な結末もあり、
それでも生きようとして生きる者たちへの、
あたたかな眼差しと惜しみない讃歌があった。

永遠を貪ろうとする欲望により退廃してゆく世界と、
自由を求めて抗い、戦い、死の淵でなお燦めく生命。

人間の利己主義の成れの果てとともに終わろうとしているひとつの時代。
すでに気休めの延命処置を続けることでしか存えることができない文明社会。
そんな荒廃した大地に花を植え、明日に希望を繋げようとする人々の想い。

原始的なまでの力強さで
生命の瞬きを内包するこの星が、
大切で愛しくてたまらないという思い。

あの時代。
それはどのような認識の領域で、
誰の視点によって語られていたのか。

当時の日本のおとなたち、
プロフェッショナルであろうとする心意気、野心。
こども騙しではない本気の創造エネルギーが、
「人生を生きる」ということの筋道を教えてくれていたように思う。
恐怖や絶望に呑まれるのではなく、
己の勇気を奮い立たせて強くなるのだ、と。

おとなたちが本気で生きている姿が、その情熱が、
まだ、すぐそばで次の世代に伝わる時代。
【生身の身体】と【顔が見える言葉】だった。

右肩上がりの勢いで駆け上がりながらも、
言葉には責任が伴い、
新たな萌芽に対して厳しい壁が立ちはだかる時代。
良くも悪くも、泥臭い生身の人間の時代。

熱さと冷たさ。希望と疑念。迎合と排斥。
作品で描かれているテクノロジーの片鱗はすぐそこに迫り、価値観の多様化、社会システムの衰退は、こんなにもすぐに現実となった。
まさに今、永遠を求め、
最短での効率化と利権の掌握を最重要視する人の在り方と、
その在り方に抵抗する人間とのせめぎあいが起きている。

先日、不意にキャプテンハーロックを見かけた。
You Tubeでおすすめに上がってきたのだ。

そうだ。
偉大なる水木一郎。
日本の子どもたちの心を勇気づけ、鼓舞し、
世代を超え支え続けてくれたヒーローその人。

懐かしさに何気なく視聴したところ、
思いもよらず心を打ち砕かれることになった。
曲自体はもちろん身体が憶えている。
でも彼の歌そのものと、その歌詞に、
わたしは完全に打ちのめされてしまった。
涙が溢れて、何処にあるかも知れない宇宙の故郷、
魂の場所へ猛烈に還りたくなってしまった。

何処に居てもどんな時でも、
余所者にしかなれなかったわたしの両肩を掴んで、
ぐらぐらと揺らされたような衝撃だった。

他人よりも金勘定が巧くできなければ、
搾取されるだけの人生を送るしかない。
搾取する側か、搾取される側。
そのどちらかしか選べないぞ。
そう脅されながら教育された人間たちが、
今この社会の中枢を担っている。

人が人を思う人間関係の基盤が、
手を取りあってともに歩み、歌い、
寝転んで笑いあうことではなく、
互いに利用できるか、役に立つか、
永続的に生産性を見込めるか否かになってゆく。

人工知能は人間の感情や機微を知識として学び、
どんどん完璧な人格に近づきつつあるのだろうが、
その一方で
人間からはどんどん温もりや余白の部分は失われ、
最大効率を求めるだけの機械のようになってゆくだろう。

各人の旅には各々胸に抱いた信条があるのだ。
それはそれでいい。

だけど、
ハーロックが見たらなんと言うだろう。
そういう社会で育まれるものとはなんだろうか。

どこへ行ったのか、
あかるい歌声は。
ふれあう眼差しは。
やさしい魂は。

わたしたちは力いっぱい生きて、
満ち足りて死ねるだろうか。

いのちを捨てて、己自身を生きているだろうか。

もう何十年も前に若き戦士だった彼らが人生を懸けて生み出した作品は、遥か遠い過去と今この地球、
そして遥か彼方の未来、永遠を生きるわたしたちの魂の旅のことを唄っていたのだ。

今を生きるわたしたちを勇気づけるために。

友よ。
明日のない星と知るから、
たったひとりで
戦うのだ。

ハーロックの心はわたしの心であり
ハーロックとは、あなた自身でもある。

宇宙の海は。
宇宙の闇は 。
宇宙の風は。
空ゆく船は。

とらわれない魂の、船。

なぜこんなにも還りたくなるのか。
宇宙の闇と無限の彼方へ。








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