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本来の自分について

今日は
『本来の自分について』

前回は『五つのカバー(鞘)』について述べました。

本来の自分を五つの視点で見分ける
分析法と言えます。

今日はその五つの鞘に限定されないものである「本来の自分」。

本来の自分について聖典では
「実体ある限りない意識の存在」と
説きます。

実体がある、それはつまり
過去や未来、現在の時間にとらわれず
どんな時にでもある実体のベースとなっているものです。
本質があるからこそ、体・感覚・心があります。

幸せが嫌いな人はいませんよね。
それはつまり幸せが自然だからです。

歪みが無く自由である事に
違和感を感じていないなら、
それは本来の自分で在る証拠です。

悲しみや憎しみ、怒りが好きな人はいませんよね。
それはつまり不自然だからです。

その不自然さはどこから生まれてくるのでしょうか?

人は本来の自分を深く分析しようとはせずに、
私の体、私の心、私の物、、
というように「私の」という言葉を付けているのです。

しかし体や心、物質的な物は常に変化し、自分によって「見られる」もの、
「自分が使う道具」と捉えます。
自分は物とは違うのですね。

その道具を自分自身だと思い込んでしまう事の原因には「無知」があります。

自分では無いものに対して、
自分と同一化すると
それが苦しみの原因となります。

本来の自分は物ではなく
その物を存在させている根源なのです。

幸せな状態の時
目を閉じて喜びを噛み締めています。
それが本来の自分です。

そんな自分を体感する時間を持つ為にも、
毎日の生活の中でヨガや瞑想を通じて
自分を観察する事が大切になるのですね。


今日は以上です。
最後までお読み頂きありがとうございます😊🙏

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