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年々誇張される武勇伝

この文章がNoteへの初めての投稿となります。

タイトルに「自己紹介」などと題してしまうと、自分のことをうまく粉飾することのできない僕にかかれば、就活で今後仲良くなることなど想定できないのにアイスブレイクをさせられる二次試験のグループディスカッションのような不毛さを感じさせてしまうので、僕の人となりは書く言葉の端々から埋め合わせていただけたらと思います。


自己紹介の代わりに

社会人になってからというもの、学生時代からつけていた日記手帳もぱったりと筆が途絶え、日々身の回りに起きる変化に鈍感になっていくのを感じていました。

様々な感情の渦巻く学生時代に脳筋体育教師から勧められた日記手帳。
やはり具体的な論拠は聞けなかったですが、日常の出来事を記録することで、ストレスを軽減するとのこと。

半信半疑で効果を期待しつつ、「道で転んだ老女に駆け寄ったらキレられた」話や、「後輩が卒業していく中、未だに単位取得中のバイトリーダーの武勇伝が年々誇張されている」など身にならないエピソードを増やし続けました。

しかし、今になって思うのはFラン大学のぬるすぎる4年の月日でさえ、事細かに思い起こすことができ、当時の感情の軌跡を辿り、現在と比較して成長(老害化)を実感できるのは手記をつける習慣によるものだと振り返ることがあります。

書物と口承


余分に時間ができてしまうと、人は人生の足跡を見返してしまいます。
過去の経験をひとつひとつ意味づけて整理していくことで、今後の指針に迷うことを回避する本能の発露として定期的に昔を懐かしむのです。

口伝えの伝説は時代の移り変わりに伴い、覚えやすいよう節がつけられたり、根も葉もない尾ひれはひれがつきます。
それが伝説をより伝説たらしめる所以ではありますが、もし自分の気持ちの推移を分析し、人間主義的な活動として記憶をとどめる必要があるのであれば、文書に収めるのがベストプラクティスです。

というわけで長々とNotesデビューした理由を記しました。

今後とも投稿を続けていけるよう、エピソードづくりに邁進いたします。




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