話を聞くだけ何もしません2
・2人目 生野博也(仮名)さん 20代男性 のお話
・怖い話を聞かせていただく
・お代としてこちらでの飲食代は奢る
上記のルールを説明すると生野さんは「いいんですか!?」と嬉しそうに顔を綻ばせた。「どうぞどうぞ」とこちらも嬉しくなってメニューを喜んで差し出す。デミグラスハンバーグのサラダ・ライス・スープセットを選んでくれたので、私はコーラを注文して頼んだものが来るのを待ちながら生野さんと雑談すると、専門学校を卒業して入った職場が凄いアレだったらしい。
辞める決断が早かったので、その後は地元に戻りそこで働いており実家暮らし。少しばかり照れくさそうに実家暮らしを伝えるが「えらいなぁ。」「ちゃんと親孝行してるなぁ。」「黒髪で短髪は清潔感あるなぁ」とか思いながら聞いていた。スキニージーンズにスニーカー。白のカットTシャツにブラウンのシャツ羽織ってきた時のも嬉しい。
運ばれてきたハンバーグセットとハート形に切られたレモンが数枚浮かぶコーラ。「映えそうなコーラですね」と笑いながら言う生野さんに「あはは。食べてからゆっくりと聞かせて戴ければ。と思いますので先に食事をどうぞ。」と言い「それじゃあ。いただきます。」と見てるこちらが元気が貰える食べ方でとても美味しそうに「美味い美味い」とライスとハンバーグにぱくついて食べ始めたかと思うと、あっ。という間にたいらげて食後のコーヒーをのんびり飲み始める。
一口飲んでから「美味しい!」と大きめの声を出して恥ずかしそうに笑うと今回のお話を話し始めてくれた。
生野さんが卒業後に入社した最初の職場は、大手企業の系列で事務職をしていた。「大変でではあったんですけどね。初社会人のスタートで覚える事が山積みで、研修期間を含めて先輩達にも良くして貰ってたんですが、やっぱり人間付き合いですよね。めんどくさいというか大変なのが。あはは・・。」
少し暗い陰が見せながら渇いた笑い声を出す。私は黙って会話の続きが始まるのを待っている。
少しの沈黙をこちらが遠慮してると思ったのか「それでですね。」と会話を続けた生野さんの話に改めて耳を傾ける。
以下、生野さんの話である。
当時の生野さんは人付き合いが嫌いでは無くて人の悪口が苦手だったんだなぁ。とそこで気付かされたんだそうだ。入社して3ヵ月ほど経った頃から、普段は仲良く話している先輩達も陰口がひどいんだと思うようになった。最初は、「まぁ。適当に誤魔化して愛想笑い。同意や返事ははっきりしないように。」「大人同士の付き合いってそんなもんなんだ。って思う様にしていた。と言いますか。いや、せざるを得なかったかもしれません。」
幾つかの派閥はあってお互いが陰口をしている事を知っているのに、頻繁に交流を持ちたがる。しかも何故か生野さんに頼んでくるのだ。「生野君、今度の週末にさ。」「今度の連休なんだけど。」最初は自分が後輩だからと思いながら引き受けてきた。飲み会の場所、決めなり先輩たちの参加を確認したり、聞いた予算内で出来るか。とか。
で、「飲み会当日にどうなるか?って言うと皆、大盛り上がりで飲み食いして酒の勢いもあるでしょうが僕にお礼したり。その時は僕も悪い気はしないんですけど、職場ではいつも通りの陰口合戦で・・」
少しばかり昔を思い出したのか自虐的に鼻で笑ってから、ため息を吐こうとしたんだろう。変なタイミングで慌てる様にコーヒーを口に運んでから、こちらを見ない様に視線をテーブルの角を見ている。
急かしている訳では無いがこちらを気にしているのか。また慌てて続きを話してくれた。
「その頃からですかね。何故か気になり始めたんですよ。自分がなんて言われているんだろうかって。だって、飲み会の後にも『あの人は飲み方が汚い』『あの人は食べ方がダメ』『ベタベタ触ってくる』とかいつそんなの見てたんだ。って思ったのが最初だったかなぁ?なんか、急にそう思った瞬間にゾッとしたのと同時に、どの派閥にも属してないのが仇になってる。とも感じましたよ。」
そこまで言ってから「だけど、なんであんなの気にしてたんだろう?なんでだと思います?」首をかしげてコーラを飲む私を不思議そうに見てから言ってから話し続ける。
「軽く不眠になってしまい、人の陰口を聞いて職場ではミスをしない様に気を付ける。だってミスしたら言われますからね。それの繰り返しで睡眠は取れず、けど休めず。そんな時に耳元で人の声が聞こえ始めてきたんですよ。」
最初は聞き間違えかと思うほどに何処か遠くから聞こえるような声が。そんな環境下でも職場では相変わらず前述の通りに働いていたら、日を追うごとに声は近付いてくる。ぼそぼそと聞こえていた声が通勤、退勤中の電車内。駅から家までの帰路。アパートの自宅内。何を言っているのか分かるであろう距離に近付いてきているはずの声がずっと何を言っているかわからないのだ。「気が狂いそうでしたよ。近くに来たら聞こえる音量でずっとむにゃむにゃ言ってて何言ってるかわかんないですけど、自分に対してのメッセージだと思うんですけど。」
ただ、この声が聞こえない環境が一つだけある。職場だ。
「陰口ばっかり聞いてるからですかね?その時だけ聞こえないから職場には出勤しなきゃいけないと言いますか。」
多分、本人的には答えが出ていたけど私に話したことで疑問点が出たのかもしれない。「うんそうだ。そうしなきゃいけなかったんだよ。陰口がたくさん聞かされる環境だったからあの声は聞こえなかったんだ・・。」
鏡を見た自分が嫌になっていた。目の下の隈は濃くなり体重変化は無いがやつれている。けれども職場の人は気付いてないのか気付かないふりをしてるのか。いつも通りに接してくる。
ある日、先輩にいつものように飲み会の幹事を頼まれたので他の派閥に参加の有無を聞きに行くと曲がり角の向こうから「生野ってさ・・・」「わかる!」「・・だよな」「あはははは」と男女の声がハッキリ聞こえたのでビクッとしながら、足音を消してそろそろと近寄り、息を殺してこっそりと覗くと誰も居なかった。
自分はここまで追い込まれているんだ。背中に冷たい汗が流れた。そんな中でも参加の有無を聞きあげて名簿を作り、お店の予約を終えてから急いで心療内科クリニックを調べ、職場から少し離れたクリニックに予約が運よく取れた。
クリニックで簡単な問診表を書いて、名前が呼ばれるまで待合室の端っこで腰掛けていると呼ばれた気がしてそちらに目をやると誰も居なかった。
このタイミングで生野さんの名前が診察室へ呼ばれた。
「クリニックの先生は私に幾つかの質問をしてから『暫くお休みしましょうか』と言って診断書を書いてくれて、その後は申請書を貰って職場を休職する事に決まった時に、先輩達から励ましの言葉とかゆっくり休んでから戻って来いよ。みたいな声を掛けてもらったんですが、俺は陰口聞いてた時みたいな返事と反応しかできませんでしたよ・・。」
話して楽になってきたのか、段々と穏やかな雰囲気で会話をしてくれてきた生野さんを見てコーラを飲むと、レモンの匂いが薄く鼻に入ってくる。
処方してもらった睡眠導入剤や不安やイライラを抑える薬を飲み始めると睡眠は快適になり、職場で何か言われているんだろうと思う不安も無くなり汚れていた部屋と読まずに積んでいた本を片付けて、2週間に1度の通院。たまにカウンセラーの方が来られるので、カウンセリング受けたり、手当を貰うための手続きしたりした。少しばかり落ち着くようになると運動を始める事が出来た。体調は良くなり始めたが、近くで聞こえるぼそぼそとした声は変わらなかった。ストレス性のものかと思ってたのに。耳鼻科にも行った。総合病院でも検査してもらった。身体的な異常が見当たらないのが分かっただけで、声に関しては何もわからなかった。お寺にも行ったし、お祓いもしたけど変わらなかった。休職以外で変わった事と言えば職場の色んな派閥の人から「大丈夫か?いつ復帰できるんだ?」そんな電話が掛かってくるのが増えた。
「ただ、そろそろ会社に復帰しようかなって。思うとあの声が消えるんですよ。だから余計にプライベートを見張られてる感じがして気持ち悪かったんです。そんなある日、実家に電話して。あ。声の事以外ですよ?最近自分の事でいっぱいいっぱいで連絡もほとんどしてなかったし。それも込みで現在は休職中だけど、籠ったりせずに外にも出たりのんびりしてるし、仕事には復帰できる可能性が高い。って話したんです。」
話を聞いた両親は生野さんを労いながらも、地元に帰ってきて働かないか?心配だよ。と言い始めた。最初は断っていたが、親へ断りの言葉を伝えるたびに、しんどかった陰口や、戻っても何かを言われるのでは?休職中に何か言われてるんじゃないか?と言う思いが胸の中で水面に広がる波紋の様に始まり、さざなみになって、最後は渦となった。
実家に戻るのも悪くない。いや、帰ろう。
前向きに考え親にもそう伝えて、身の回りを片付けるのは明日から始めよう。そして、退職して実家と地元でやり直そう。そう考えて電話を切った後に、自然と涙が止まらず声を堪えて泣く事を抑えられなかった。
その時に耳元でまたあの声が聞こえた。何を言ってるかはわからないけど声だと分かるものが。
いつもと違ったのは何を言っているのかわかる。それに気付くと泣き止んで声を聞く事にした。
「お前が戻らないと誰がお前の仕事をするんだ!」「お前なんか生きている意味はあるのか!」「目上の言う事だけに従っていればいいんだよ!」「頼むから迷惑かけないでくれ!」「これぐらいできない奴が他に行って出来るわけないだろう!」「無駄な事だけ覚えやがって!」「こんなに良くしてやってんだろう!」「こっちが金貰ってもいいぐらいだよ!」
まだあるのだがこんな感じの暴言を延々と言っている事が理解できたのだ。何故か冷静に「ああ。これらを一斉に同時に言われていたから理解できなかったのか」とも思った。ただ、うるさい上に聞いていて気持ちのいいものではないのが確実なので、両耳を塞いだが意味は無くて余計にうるさくなった。耳の中から聞こえていた。それに気付いて両手を話そうとした瞬間に。
「お前がいないとこっちがやばいんだよ!!」
最後のは悲痛な叫びに聞こえた。
「それを最後に、もうその声は聞こえなくなって。翌日から直ぐに荷物まとめて渋ってましたけど地元に帰る事を理由にクリニックに地元から近いクリニックへの紹介状を書いてもらい、直ぐに職場へ電話して退職の意思を伝えて。地元に戻った。って感じですね。」
サクサクッ。と最期をまとめてくれたので気になった事を1つ尋ねる。
「退職伝えた後はどうですか?」
ざっくりとした嫌な質問だけど生野さんは「いや。特に。荷物整理のために呼ばれて机の整理とか立会いの下で行いましたけど、そん時に先輩方も残念がってくれましたよ?本音かはわからないですけど。」
そんな事をなんで聞いたのかわからない。と言うのが顔に出ている。素直なのは良い事だ。
話を聞かせてもらって暫く雑談していると、生野さんのスマホのバイブ音が聞こえるが画面をちらりと見てその場で切った。
「元先輩ですか?」と聞くと「わかっちゃいました?辞めてからの方が連絡多いんですよね。前に一度取ったんですが、やっぱり陰口言ってましたね。今度は同じ派閥の人の。そう言う事言いながら、戻ってくるように遠回りに言ってくるんですよ。SNSはしてないから安心ですけど。番号変えようかなぁ。機種変もしたかったし。」
そう言った生野さんはいい笑顔で去っていった。ちゃんとごちそうさまです。って頭まで下げて。
生野さんを見送って1人になったあと少しぼんやりしながら考えた。
あんなに「良い人」って私の記憶の中じゃ珍しい。だから、皆が生野さんのような人を好きになるし、憧れるし、護りたくもなるんだろう。けど元職場の人は全く好きになれない人が多かったかもしれない。
なんとなく想像する。退職する生野さんへ残念の言葉を贈った先輩方はまだ他の人に頼めるんだろう。良くしてくれてた先輩達の一部は自分に来ない様に祈っていたのかもしれない。休職した時なんか焦ったんだろう。まあ、生野さんはこなしてたから、ハードル上がったのかなぁ。残された人達は。
関係ない人達が今頃つらい思いをしている。いつ来るかわからない上司の注文にビクビクしている。そんな状況を想像していると、どこか遠くの方からざわつくような声がしたので、イヤホンを付けて曲を聴きながら文庫本を読み始めた。
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