話を聞くだけ何もしません
待ち合わせまでまだ少し時間がある。
いつもの喫茶店のいつもの席に座りながら相手を待つ。
バッグから文庫本を取り出して栞の挟まったページから読み始めた。
いつ来ても客は私一人しかいないので気楽だし、私の趣味を行う場所にはうってつけである。
読んでいる物語に目を通しながら、頭や気持ちとは別の部分でワクワクしてその時間をのんびりと待つ。放っといても時間は過ぎるし、その時はあちらの方から来るんだから。
・1人目 楠美智子(仮名)さん 20代女性 のお話
喫茶店の入り口が開くベルの音が店内に響き、文庫本に落としていた視線をそちらに向ける。
ショートボブ。白いシャツにカーキ色のフレアスカート。赤いヒール。腕に通した黒の革バッグ。そんな女性が腕時計を確認してから店内を見渡している。
私は文庫本に栞を挟んでそっとバッグに仕舞ってから、その場で席を立ち上がり手を挙げる。私に気付いた女性に軽く頭を下げてから「こちらです」と声を掛けた。
女性を私のテーブルの向かいの椅子へ誘導して座って貰う。お冷が運ばれて来たタイミングで、来ていただいた事へ感謝を述べてから先に自分の名前を伝え、お互いの自己紹介をして「早速ですが・・」と再確認を含めて説明を始める。
「楠様が経験した、あるいはお持ちの怪談や不思議な話をお聞かせいただきます。お代としてこちらでの飲食代は出させていただきますので、メニューからお好きなものを選んでください。」若干、説明口調になってしまう私に最初は戸惑っていたが、笑顔を崩さないこちらを見ながら少しだけ間が空いて「わかりました。」と楠さんは答えるとメニューを手に取り、少し悩んでからロイヤルミルクティーを選んだので私の選んだコーラと2つ注文する。
頼んだドリンクがテーブルに到着するまでの間に私が趣味でこういった活動をしている話をしたり、普段はこんな事をしてる。とか、楠さんの趣味の話を聞いたりしていると飲み物が運ばれてきた。
楠さんは私のコーラを凝視している。この喫茶店。コーラに添え合わせのレモンを薄切りではなく無駄に技術を入れてくるのだ。前回は紙の様に薄い1枚のレモン。今回はストローにレモンが蛇の様に巻き付いている。こちらは慣れているが初めての人はそうなるだろう。因みに私の注文だけこうなる。
視線を理解した上で「あ。ここのマスターの悪ふざけなんですよ。気にしないで下さい。」
困った顔でそう言うと楠さんはクスッと笑う。めんどくさい嫌がらせではあるがこんな時には役に立ったようだ。最後に笑い声と深呼吸を含ませた後にするようなリラックスした笑顔を私に向けてから話してくれた。
「私が小さい頃に住んでた所は所謂、田舎。と言われる地域でした。クラスも学年毎に1クラス。もちろんコンビニはなくて、お菓子や生活用品を扱うなんとか商店があって、他には組合のスーパーがあって。とにかく、数時間は移動に使ってやっとコンビニやテレビで見るような地域で過ごしました。だけど、田舎ならではの自然の雄大さがあるので山や川ですが。遊ぶ場所には毎日困りませんでした。近所や地域の人達も優しくて温かくて・・。」
昔を思い出したのだろうか。いったん止まった楠さんはロイヤルミルクティーを1口飲んで「ほんとだ。美味しい」と呟いた。少しばかりの無言の時間は流れ、その空白を楽しんでから再度始まる。
「楽しんでる間に1日はあっ。という間に過ぎる。時間をそう感じる程幼い頃から父母や同居してる父方の祖父母、近所のおばさんやおじさん達から近づいちゃいけない場所を教えられました。例えば川のどこそこは流れが速いとか、山のあの場所は雨の翌日は崖崩れや地滑りがあるから近づくな。って言う中に『かざしゃい様の土地には近寄るな』ってのがありました。」
急に出てきた名前に「か。かざ?何でしょうか?」と馬鹿みたいに聞き返す私を見て慣れたように「かざしゃい様。って言うんです。地域に伝わる神様なので、知らない人が多いのは当たり前ですけども当時は当たり前でしたね」
少しばかり要約すると『かざしゃい様』は楠さんが住んでた地域にいる子供を見守るけど恥ずかしがりで人に見られたくない神様。その場所は月毎に変わるらしくこの月は山のここ側。この月は川のここ側と言う風に。そこ側に人が入らない様。3メートル四方にちゃんと縄を張って分かりやすくしていた。山なら木を使って木で囲う。川なら川原に大きな杭を深く差してその部分を囲う。場所は誰が聞いて決めたかはわからない。けど、楠さんは生まれた時からそうならそう言うもんだと思っていたらしい。
気持ちはわかる。そういう事に「なんで?」って言うのは、ご飯をなんで食べなきゃいけないの?って言うのと同じで、生活に対して組み込まれていることに疑問を持つのと同じだと個人的に思いつつコーラをすする。
「ある日、友達と喧嘩したんです。理由は今となっては思い出せない程に些細な事だと思います。からかってたのが引けなくなったとかそんな感じの。泣きながら帰る途中の交差点にあるカーブミラーに映る自分がみっともなく思えたんです。家に帰るより先に顔を洗わなきゃ。気付いたら川に行って顔を洗ってました。冷たい水を顔に浴びて少しばかり冷静になりましたけど・・」そしてまた1口飲む。ふ。っと軽い息を漏らしてから続ける。
「川から家に帰ろうとした時に『かざしゃい様』の土地に当たる縄で囲まれた場所を見つけてしまったんです。いつもなら気にしない様にしているのに。そしてその縄に腹が立ったんですよ」照れ臭そうに笑う楠さん。
「子供を見守る神様のくせになんで私は泣かなきゃいけないんだ。って。もう完全に八つ当たりですよね。普段なら近付かないくせにずんずんとそこに近付いて行き、縄に手をかけました。引っこ抜くために。」
幼い頃の楠さんを不安そうに思う私に目の前の楠さんはこう続ける。
「その瞬間に凄い異臭がしたんです。なんだろうあれは。腐敗臭というか。うっかり忘れて生肉を腐らせた臭いを何千倍も臭くしたような・・。いや、あの臭いはもっと獣臭いけど、新鮮な血液が・・。けれども甘いんですよ。嗅いでいたくなるような・・。」
ぶつぶつ言い始めたので思わず私が「楠さん!」と少し強めに呼びかける。「え?」となぜか不思議そうに私を見つめる楠さんを見て「あ・・・。いや。あの・・。その臭いを嗅いでどうなったんですか?」と恐る恐る尋ねてみた。「え?」と聞き返す視線に妙な圧力を感じたからだ。
「ああ。そうですね・・。あの臭いを嗅いだその瞬間に私は急な吐き気を催したんですけどその場に居たくなくて、口を両手で抑えながら胃の中から込み上げて来る給食を消化したであろう物を口いっぱいに広がる液体と鼻の奥に広がる酸っぱさを堪えて離れました。走ってたような記憶が薄っすらありますね。かけっこしてた時みたいな景色を覚えてます。」
そこでもう1度ロイヤルミルクティーを口に飲み干している。私もコーラを啜る。カラン。と氷の溶けた音がした。
「私は気付いたら病院にいました。」語りだした楠さんの声に意識を戻された。そんな私の顔を見て少しいたずらそうに笑って話を続ける。
「目が覚めると私の視線に入ってきたのは不安そうな父母と父方、母方の祖父母だけです。どうやら私は自宅前で倒れていた様で。どうやって家まで来たか分かる程に吐瀉物が道筋を作ってくれてたみたいです。道中に声を掛けてくれたご近所さんも居たみたいですが、無視したらしくそのまま家路へ。異様な圧力があったようで・・。今考えるとお恥ずかしい限りです」今度は照れくさそうに笑う。ここで最初に見せた笑顔と違う理由に気付くけど、会話の流れに身を任せる。
「三日間意識不明で、連絡を受けた両方の祖父母は慌てて駆けつけて私の為に色んなお祈りしたり、お守りを買ってきてくれたんですけど起きたらお守りがたくさんあったんですよ?幼い私が状況を飲み込むのには時間が掛かりましたよ。」そう言い声を出して初めて笑った楠さんに合わせて私も声を出して笑った。全て相手に合わせてるので私も声だけ出して、口角を上げて目は笑わない。以下、楠さんの退院後のお話である。
結局、意識を取り戻した楠さんが『かざしゃい様』の囲いに手を出した事。異臭を感じた事。その時に異変が起きて玄関前に倒れていた事。全てを話したのは目覚めて5日後だった。すでに母方の祖父母は安心して県外の実家に帰宅している。
病院のベッドで話を聞いた両親。特に父と父方の祖父母は顔を強張らせ、母
を残して病室を出て行った。
残った母から大丈夫よ。と執拗に言われた事は記憶に残っているようだ。
それから退院するまで母以外の身内はお見舞いに来なくなった。
お父さんやお祖父ちゃん達は?と聞いてみたけど母は「美智子がお家に帰った時の為のお祝いの準備をしてるのよ。」と答えた。
優しくしてくれる母も好きだが父と祖父母も好きなので会えないのはやはり寂しかった。早く病院から出たかった。
退院当日、母と病院から出ると久しぶりに見る父と父方の祖父母に笑顔で飛びついて喜びを嚙みしめていたが、そこで初めて見る知らないおじさん2人に気付く。母だけ先に自宅に帰らされて、父達に連れられて向かったのは河原。近づくに連れて段々と何かの臭いが鼻の奥から強くなってきた。「お父さん。何か臭いがするよ。」と言うと車内の空気は少し張り詰めた空気になったのが子供でも分かる。「もう少しだから我慢できるかい?」と優しく言うけど父の顔は不安そうで他の大人も心配そうに見つめていた。
河原に到着した瞬間に臭いは消えた。「今は?まだ臭う?」とお祖母ちゃんに聞かれて首を横に振ると「そうなの‥」と悲しく呟いた。
日は高くお昼過ぎだろうか。車から降りただけで少し汗ばんでしまう。
「急ぎましょうか。」おじさんの1人が言った。
車を停めた駐車場から皆で歩いて緩やかな坂を登っていく。記憶が少しずつ蘇る。
楠さんに異常が起きた場所に着いて気付く。転々としていた筈の『かざしゃい様』の囲いはまだあの日の場所にあった。あの時と同じで周囲に誰も居なくなっていた。いや、またここにしたのだろうか?それも怖かった。
2人のオジサンが「それでは」と言い、楠さんに「今からおじさん達が『かざしゃい様』に美智子ちゃんが縄を触った事を一緒に謝るんだけど、美智子ちゃんも一緒にごめんなさい。ってしてくれるかな?お父さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも一緒にごめんなさいしてくれるから、大丈夫怖くないよ。」と優しい口調と笑顔で話してくれた。少し怖かったが「はい。」と答えて、言われた通りにおじさん2人の間に立つ。
その後ろに父達が横一列に並ぶと「両手を合わせて『かざしゃい様』ごめんなさい。って思いながら目を瞑っててね。ごめんなさい。の時間が終わったら、おじさんが肩を叩くからそれまでは両手を合わせて『かざしゃい様』ごめんなさい。ってするんだよ?。」「はい。」とまだ不安げに話す楠さんの頭をポンポンして「良い子だね。じゃあ、始めるからね。」
促されるままに囲いへ向いて、手を合わせて目を瞑り謝罪を始める。
それに続くように両側から、一定のリズムでお経のような歌のような何を言ってるのか分からないけどそんな感じの声が聞こえてきた。
瞼を閉じた暗闇の中でごめんなさい。を無心で繰り返していると、なぜかあの日の臭さがまた臭ってきた。吐き気は無いが酸っぱい臭いが強くなっていく。あの時を思い出して一心不乱にごめんなさい。ごめんなさい。わたしが『かざしゃい様』に嫌な事をしてしまって怒らせてしまってごめんなさい。もうしません。許してください。と何度も謝った。臭いが強くなっていくどれだけの時間が経ったかは知らないが、臭いが消えた。そしてとても甘くて清々しい香りがふわ。っとした瞬間に「終わったよ。よく頑張ったね」と肩を叩かれて目を開けると、光の眩しさで目が痛む。振り返ると父を初め3人とも泣いていて、父に強く抱きしめられた。祖父母は「ありがとうございます。」としきりに2人のおじさん達にお礼を言っていた。
「それからはおじさん達の車で家に送ってもらい、退院祝いでごちそうを食べましたね。私の大好物ばかりが並んでました。友達も家に来て『あの時はごめんなさい。』って言ってくれて、私も謝って仲直りして。また無事に普通の生活を送ってました。」
この言い方を聞いて「ありがとうございます。」と私は楠さんに頭を下げる。今度、地元で同窓会があるので帰省前に誰かに話しておきたかったらしい。タイミングに救われた。
そこからは怪談の話はせずに雑談して驚いたのが楠さんは現在、香水関係のお仕事をされている。という事で「もしかして。」と尋ねると「はい。最後に嗅いだ香りが忘れられなくて。」と明るく笑う。
もうさっきの変な笑顔じゃなくなっており、釣られてこっちもちゃんと笑った。
お帰りになられる楠さんを見送った後に、再度文庫本を取り出して読み始める。楠さんって許してもらえたからいいけど許して貰えなかったら、あの香りは知らないまま家族を巻き込んで不幸な生活してたんだろうな。最初に見せた変な笑顔のままで。って思いつつ、氷が解けて薄くなったコーラを飲み干すと、尿意をもよおしたのでコーラをもう一杯注文してからトイレに行った。
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