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角倉了以と高瀬川
江戸時代の商人。豪商。すみのくらりょうい、と呼びます。
当時の京都の豪商の三本の指に入るほどの人物でした。京都においては江戸時代の初期に、私財(約150億円相当)を投じて高瀬川を開削しました。高瀬川は二条と伏見、堺を繋ぐ運河となり水運に貢献しました。業績はそれだけに留まらず、江戸幕府の命令で、天竜川、富士川、庄内川の開削も行いました。そのため豪商としてよりも水運の父として琵琶湖疏水の田邊朔郎と共に名が知られています。もっとも、高瀬川を開削するための資金を自ら用意しており、商才にも長けていたのは間違いなく、現に高瀬川の開削に莫大な資金を投入したにも関わらず、その後集金した通行料ですぐに元をとったと言われています。高瀬川開削には角倉了以の長男、角倉素庵も加わっていました。素庵も貿易商の他、能書でも才能を発揮し多方面で活躍した人物です。
角倉了以の功績として、豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の菩提のため、瑞泉寺を建立した事も見逃せません。豊臣秀次の話はまた機会があれば。
見出し画像は河原町付近の高瀬川です(2023/12)。現在も残っている事にびっくり。春には桜並木が綺麗だそうです。