20代の頃 400ccのバイクに乗っていました 当時 今とは違う仕事 整形外科の医療事務をしていたので 病院の先生方から 事故してうちに入院しないでね と冗談交じりの言葉をかけてもらっていました 親にバイクに乗ることを反対されながらも バイク仲間とツーリングにも行ったりしました 転職して 生まれ育った別の地で 私はバイク事故を起こし 親にめちゃくちゃ怒られ それ以来 30年くらい乗っていなかったのですが ここにきて まだ乗りこなせるであろう 50代のうちに 乗りたい! と
ここしばらく とくに何もなく 日々を過ごしている 娘が断薬をして 2か月ほど経つ 私のほうが精神的に危なかった姿をみて 冷静になった? 初夏に車で単独事故を起こし 免停になっているのだが 解除の為に 正常に戻ろうと努力しているのはわかる でも なぜかおかしいと感じてしまう そんなに簡単に 感情をコントロールできるのだろうか? だからといって いままでのように ずっと おかしな状態でいてとは思わない 通院は1か月に1回 回復にむかっている? 精神科の先生は どう思ってい
義母が亡くなって7年くらい経つ そろそろ タンスを占めている着物を 片付けようと思っているのだが 防虫剤を追加するたびに 進まない そのままゴミにしてしまうのは 忍びなく リサイクルに廻そうと考えているけど 「捨てたな」と夢に出てきそう 昔は米に替えられたとか 質品にできたとか 価値観が変わった現代 某トレカより 安価だろう 思い入れのあるエピソードを聞いているけど 次の世代に繋ぐのは 重いので 今 私が元気なうちに 片しておこう 「かたみ」とは物でなく 思い出だけに
日曜日に久しぶりに資格試験に挑んだ 結果 惨敗 言い訳をするようだが 家のごたごたがあって 頭の中が ぐちゃぐちゃになっていた 若い人たちに偉そうに教えている私 出来の悪さに 自分にがっかり しかも試験中に 飽きてしまうという 不甲斐ない私 これから先 希望とかあるのだろうか 本来は子育てを終え 残りの人生を 私の為だけに使うはずだった 若い頃は ベテランの技術者に 追いつきたい 知識がほしいと がむしゃらにがんばった でも この歳になって 振り返ると 何をしていた
好きなことを仕事にしたのに 楽しそうに別の仕事をしている人をみて そっちのがよかった?と考える きっと どの仕事も極めるには いろいろな経験をし 辛いこと うれしいこと 辞めてしまいたいと思うこと 長年にわたり 色んな感情を封じ込めて 今に至るのだと思う 違う人生を歩んだとしても 私は私なのだと わかっているのに 隣の芝生が まぶしいくらいに 青い このどす黒い気持ちは あと何年続ければ 消えるのだろう
私は人と関わるのが嫌いだ でも人と話をしたい 私をわかってほしいと 矛盾をかかえている 私のことを だれ一人知らない場所に行けたのなら 私らしく生きられるのかな? 気の合う人に出会えるのかな? でもまた知り合ってしまったら リセットしたくなってしまうのかもしれない 家族といても 息苦しくなってしまうので やはり無人島か旅人になって 私という人間を 保ちたい 日常を望むのに 非日常に憧れる 自分勝手だよね
怒涛の日々に 訃報が飛び込んできた お寺の住職夫婦が 亡くなったお知らせ 私と歳が近い 住職の突然の訃報に どうしてなのか 考えてしまった 特に宗教心が強いわけでもない私だが 住職の説法には 心打たれることが多々あり 娘の夢も 応援してくれていた 孫に対しても 優しく微笑んでくれ 我が家の法事の時には 娘と孫に 数珠も贈ってくれた お経の声も 聴き入ってしまうほどに いろいろな面で 素晴らしい方だと思っていた なぜなんだろう 死因は不明なのだが どうしても自死してしま
ずっと悩み続けている「ふつう」 たぶんそれは 私の考えの「ふつう」 それに当てはまらない人に出会うと 私と同じ考えの人を探し 私の「ふつう」に納得したかったんだと 最近の私の心の不安定がそれだったと思う 着地したのだろうか 娘との距離感も お互いの「ふつう」が違っていて 私は娘の「ふつう」をなんとかして正さないと 必死になって 空回りしていたのか 傍から見たら 見苦しいほどに 私は私を保てなかった 「お母さんに心配かけてはいけないよ」 と周りから娘が言われても 「幸せに
攻撃を受けていたことに 解決が見えてきた 今回のことで 娘との距離が縮まったかもしれない 娘の病気にちゃんと向き合っていることが 少し伝わったようだった 早く治さないと と焦っている娘に どんな言葉をかけても それは追い詰める 言葉だったかも知れない みんなエスパーだったら よかったのに 誰も傷つかない世界になる? でも よい思いも わるい思いも 伝わってしまうから 余計に ダメな世界になるんだろうね 今日も一日が始まる 修行だと思って がんばろう
また目が覚めてしまった 眠らなくてはいけないけど 覚めてしまったら しょうがない 双極性障害の方の Ⅹが表示され おそらく亡くなった後に 家族が 本人の頑張ろうとしていた事の メモをUPしていた それを見て 涙があふれた 「こんなに頑張って生きていたのか」 「もっと早く気づいてあげればよかった」 の言葉に 私もその時が 来てしまうのかと 希死念慮が常にあるよ と 娘の病気に 理解できない人には 単なる わがままとしか 見えないだろう きっと 娘がはじめて いなくなって
昨日はよく眠れました。 とりあえず平穏。
身体の傷は目に見えるけど 心の傷は目に見えない 頭の上に 心がヨワッテマスヨーっていう メーターがついていて 見知らぬ人たちが 気を使ってくれたら なんて 考えた だいぶやられているなぁ ゴールはすぐそこなのか まだ先なのか 私の心の中に ずっとまわり続けている 色んな人の言葉が ぐるぐると 通常にもどすには どうすればいい
なんだか今日も 疲れた 日常を必死に戻そうと がんばって 明日は 元にもどせるかな あがいても 闇に飲まれる瞬間を もう何回くりかえしたのだろう 光がみえなくなっても 進しかない もっと明るい 光の場所へ 辿り着くために あきらめるな
また 変な時間に目覚めてしまった 昨日までのイライラや 絶望感も どこかにいってしまった こころは 穏やかなのだけど 私が私でない 感じがする 見ていたネットから「笑顔うつ病」が目にはいった 最近は何にでも 名前がつくとだけ おもっていた 読み進めていくにつれ 今の自分にあてはまる 正式な病名でもないけど そのままの名 もうひとりで 踏ん張れない だから心療内科に予約を入れようと 電話した つながらない 私の住む街は 心療内科3か月待ちがあたりまえ 今のこの思い
「虎に翼」の朝ドラを見ていて びっくりした 尊属殺人をした人物が 「人生に失敗したことがない人たちはかっこいいな。」 の後につづくセリフ 主人公の娘も 私も失敗してると言うと 「それは お母さんの育て方が 悪かったせい お母さんのせい。」 「自分を責めて つらくなるくらいなら周りのせいにして楽になって」 ついこの間 私が娘に 言った 「そんなに辛いなら、全部お母さんのせいにしていいよ」 「全部お母さんのせいにして 自分を責めなくていいよ」 毒親だと責められていた時 別の人
最近の私は 睡眠不足と 思考停止がつづいている 過去 娘が高校で不登校気味になった時も 自分の好きなことを できる未来がすぐそこだから 折れ線グラフの 下降を上昇に変えられる なんて 簡単に思っていた 今現在の暗黒も 数年後には 笑っている娘とわたしが きっと いるはず そんな淡い期待も いまは 想像できない 誰かに助けてほしい そう願っても 優しい言葉をかけられても 自分で立ち上がらなければ・・・ わかっている 今日も目覚めた だから 生きる