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人間の残酷さ
芥川龍之介【蜘蛛の糸】の主人公の犍陀多
天から伸びてきた一本の細い蜘蛛の糸を、自分以外の人には使わせまいと 登ってこようとする人に罵声を浴びせ、足で振り払おうとしている様。
自分を最優先にして他の人などお構いなし。
そんな人々が多くなっているような気がします。
ネットの世界でもそんな人々が増えているのはなぜでしょうか。
自己視野を肯定し、ひとつのみを正義とする人間は、争い、妬み、恨みを持つ。
その闇のこころなど
要らないのに。
闇のこころを持てば、自分のこころも蝕まれていくのに。
ひとつ視野の怖さ。
誰もが命をオーラを放ち懸命に生きているのにです。
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最近ではロヒンギャ問題など。
ミャンマー国家は【仏教】ですが、イスラム教徒であるロヒンギャを虐待、虐殺など…。
ありえませんよね?
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昔からそうでした。
ユダヤ人虐殺に、カンボジアでの共産主義への改革?虐殺のポル・ポト政権。
そのどれもの原因が共感主義に、社会主義、宗教であり、人種差別でありました。
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宗教さえも争いの種となるなんて…。
人間性を疑いますね。
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しかし、日本も戦前は【国家神道】思想で、その他の思想を排除していました。
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人間は【他の種族、他の宗教者、他の思想家】たちを許さないのでしょうか?
悲しいことです。
そんなことからわたしは無宗教、神仏は信じないようになりました。
ただダライ・ラマ14世は【宗教同士手を組んで平和を】と述べています。
それが理想ですね。
しかし、仏陀もキリストもダライ・ラマもわたしはですが(笑)
哲学者であり、思想家だと思うのです。
いくつもの宗教や哲学を取り入れ、平和なこころを持っていたいものです。
徒然に綴りました。
読んでくださり、ありがとうございます。
画像はお借りしています。