『トーチ・ソング』

放り投げられた球が放物線を描き、その途中に太い柱が据えられており、球はその背後を通過する様を見る時、視線はこれまでに目で追っていた放物線から想定した軌道を仮想の点線のように遮蔽する柱の上に描く。往々にして、目算した地点から、目星をつけたタイミングで出て来る。
その対象が物体ではなく、意志を持ったものであるとき、その軌道はかなりの確度でこちらの予想と齟齬をきたす気がする。例えば障害物の背後を人や車が通過するのを眺めている時、思った以上にその背後に隠れてからなかなか姿を表さない。意志が介在するだけでその程度の単純運動ですら予想が裏切られてしまう程度の能力ならば、相手の気持ちを慮るなんて出来るだろうか。
今日も午前中に雑談を交えながら色々と親身に教示、勧告してくれた店員に従って支払いを済ませた後に一度別れ、暫しの空白の時間の後に再び会った時、彼の親密さはこちらの予想した軌道と大きく隔たりがあり、妙に馴れ馴れしい自分が途端に恥ずかしくなり、内心慌ててこちらも向こう合わせで帳尻を整えた。
この程度の初歩で誤てる人間が、どうして人を思いやることが出来るだろうか。ある程度画一的に振る舞えば良い、表層的な他人行儀が精々だ。相手を理解する力。もっと分かってないことを分かったほうがいい。もっと詳細に目を凝らしたほうがいい。

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