『Cry Cry Cry』
帰路、水筒のお茶を飲み干すために頭を上げると綺麗な星があったので、二、三秒余計にそのままでいた。この世で自分しか知らない事実。たかだかビーズ程度の煌めきや価値しかないのかもしれないが、それでも目を凝らせば光っているものがあるのは紛れもない事実なのだ。
そして書いてみて気付く。その程度の価値しか「ない」というけれど、「ない」という言葉で「ある」を物語っていることに。その程度の価値しかないは同時に、その程度であろうが価値はあると言っているのだ。難解な契約書や法解釈の様に巧みに隠されてはいるけれど、文面上、価値がないとは一言も言っていないのだ。逆に言えば、たとえ僅かばかりであろうともその価値を担保してくれているとも言えるのだ。つくづく言葉は思考の枠組みを規定していると感じる。ついその言葉に引っ張られてしまう。けれど、その点に気付いて念頭に銘じておきさえすれば、小さな粒でもずっと見つけるのが容易になる。そして見つけさえすれば、あとは自分次第でいくらでも錬金術を施せる。小さなビーズ玉がダイヤモンドにもなり得るのだ。自分次第で。今夜の先述の出来事も、ある人から見ればビー玉にも見劣りする煌めきかもしれない。けれどこうして文章にして何度も研磨する事で、自分の中では既に拾い上げてポケットに忍ばせておきたい位の価値にはなっている。
これは私が主人公の物語だからといって私が正しいわけではない。
言葉で考えるけれど言葉に惑わされてはいけない。感覚と論理。その按配がとても難しい。