想像の刃
今家にある家庭木工用の鋸を携えて山に入れば、意欲と根気さえあれば、どんな木でも伐り倒せるのだ、と自覚して一人恐ろしい気持ちになる。
それは最近親しんだ山歩きによって、想像力が具体性を持ったからだろう。場所、時期、時間帯によって、あんなにも一人で放り出された様な、山を独り占めした様な感覚を体験したからだろう。そして、遠くから景色として目にしていた樹木を山中で実際に感覚したからだろう。そう考えると、ふと去来したこの妄想は、一段深く知ったことを気づかせてくれるものだった。
今は少し杣道に外れて、慎重を期さえすれば、あの実際に仰ぎ見た大木に楔に切り込みを入れたなら、目の前で信じがたい轟音を以て倒壊するスペクタクルが自分に実現可能なことを知っている。否、想像出来る。この差異は、とてつもなく大きい。
想像出来たところから、初めて力になるのだ。