『明日の行方』

初めてのリモートでの面談。画面隅の小窓に自分の顔が映っている。時折気づかれぬように目を遣り、自分の表情を確認すると、愛想のない無表情な男が話を聞いている。少しでも良い印象を、と、けれど急激に変わるのも恥ずかしいと思い、密やかに、ゆっくりと口角を上げ、朗らかな表情へと緩やかだけれど着実に移行していった ——— つもりだった。相槌を打ちながら小窓にちらりと目を遣ると、そこには先ほどと何ひとつ変わらない無表情な男が収まっていた。
あまりの変わらなさに驚き、混乱し、(そうか。通信の時差か)と一人合点し、しばらく見遣るもやはり何も変わらない。一人内心に矛盾を抱え、確認のためにパソコンの前で気付かれぬ程度に左右に小さく揺れてみたりもする。すると即時小窓の男は全く表情を変えぬまま左右に小さく揺れ始め、愕然とする。今ではその衝撃だけが残っている。そしてそれは強烈な教訓を与えてくれた。

以前、職場の後輩と物見遊山に大人の劇場へ行った時のこと。中央から突き出した花道の脇に二人して席を占めたが、サービスタイムでゆっくりと花道を歩いて来る踊り子さんに合わせて、我々も徐々に横向きになる。
花道を隔てた向こう側には、線路沿いに咲く名も知れない花のように、笑顔が満開で咲き乱れていた。漫⭐︎画太郎先生の描くイラストにあまりにそのままの顔が、皆満面の笑みで上を見上げ、一様にピンクの照明に染められて並んでいた。きっと対岸からも、合わせ鏡の様に同じ光景が見えることだろう。大音量で音楽が流れているにもかかわらず、その光景に思わず昔の流行歌の一節「僕ら、皆んな笑顔んなって」の部分だけが延々と頭の中で繰り返し流れていた。どの顔も、街でよく見かける無表情という仏頂面の典型的な顔だ。それがこんなに信じられないくらいに破顔している。

その日の帰り路。(もしかしたら戦争がなくなる日は来るかもな)と、いつもの癖で(※)、段階を超えて一足飛びに結論めいた感想を抱く。
何かの折に集められても、女性はすぐに打ち解けて和になるのに、男性だけだと滅多にまとまらない。年齢を問わず、攻撃的に拒絶する人もいるし、穏やか故に気を遣って互いに個別でいようとする人もいる。習性は多様でも結果は一様になりがちだ。それが。年長の男性があんなに笑えるとは。やはり本能は強い。

「こんな顔でもきっと思いきり笑えるはずだ」
リモートでの面談の数日後、心に刻まれた教訓や件の劇場での光景を思い出しながら、浴室の鏡に向かって一人心呟する。この顔ひとつで明日の行方も変わってくるはずだ。
そしててらいのない、全力の笑顔を作ってみる。なるほど、使ってないわけだ。即ぐに頬の筋肉が疲弊するのを感じる。そしてなるほど、使ってないわけだ。鏡の中の自分は『JOKER』の主人公や、『タクシードライバー』のトラヴィスの様に、恐ろしい歪な顔でこちらを見ている。




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