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3泊4日台湾旅行で感じたこと(セントレア~台北、台南、高雄、屏東)

昨年の秋ごろ、「六月の雪」という本を読んだ。
これは、私と同世代の女性がひとりで南国の花咲く6月の暑い台湾に出向き、今もなお街に残る「日本が統治していた時代」の歴史や文化を発見していく紀行文的フィクション小説。最後まで興味深く読んだ。これが、今回の旅のきっかけだ。

「台湾を日本が統治していたなんてよく知らなかった」という趣旨の発言をする主人公。大きな声で言えないけれど、私もそうです。

今回一緒に旅行するパートナーのRが、事前に交通経路、宿など調べて押さえてくれた。
私はなぜか海外旅行となると場当たり的な対応になりがちであり、彼が予約してくれた宿も当日まで知らなかった。(ごめんな)

1日目 セントレア〜桃園空港〜台北へ

セントレアからの直行便、JAL便のため日本人CAばかりの機内。
ホーム感が強く、国内旅行にいくような気持ちだった。
到着先が混雑しているとのことで若干遅れたものの、無事離陸。
すぐに出てきた機内食はキャセイよりも完成度が高く、おいしい。
座席のモニターはタッチパネル式ではないのだが、ついタッチしてしまう。「INSIDE OUT 2」をつけたらどの登場人物もピロピロ言っている。こういう映画なのかな、と思っていたら備え付けイヤホンの差し具合だった。見るのはやめて、JET STREAMやクラシックを聴いて過ごす。

着陸目前、建物は低層で古く、雑多な雰囲気。
スキポールのように煉瓦色の風景になるのでも、セビーリャのように白と黄色とオリーブの風景になるのでもない。
畑の輪郭がぐにゃぐにゃと湾曲しているから、どうも日本ではないらしい。
見えてきた市街地ビル群は霞んでぼやけている。一見すると日本らしい、のだがなにかが違う。そうか、山と川だ。
低い雲でその先は見渡せないので、一切の山と幅広の河川が目に入らなかった。
山と川、日本の風景に必ず存在するもの。なくてはならないもの。

シートベルト着用サインが消え、人々が立ち上がる。
皆の顔が蒸気している。帰ってきた、という安堵が漏れている。
たまに判別がつかないのだが、口を開くと台湾の人らしい。
見分けがつかないのは彼らにとっても同様、私を友人と勘違いして話しかけてきた人がいた。平日移動のためか、日本人はあまりいなかった。

台湾桃園空港、入国審査は行列のわりにサクサク進む。オンラインで入国手続きを進め、自分の番が来た。
パスポートを見せ、顔写真と指紋を取って終わり。質問はされなかった。
やった、入国した!
Rが遅れてやってくる。
まだ、日本の延長に居る気がした。エスカレーターは右乗り文化。
電車に乗り、台北へ。
頭上には漢字まみれの広告。日本語のようで日本語じゃない。昔、好んで読んだ2ちゃんねるの異世界スレを思い出す。
車内アナウンスの中国語はなんだか耳にストレスを感じる・・のは、英語やスペイン語のように学んだ経験がないため、「聞き分けられそう」という可能性を全くもてていないからだろう。

台北駅を出て浴びるのは、バイクのうるささ、香辛料の香り。
ぶんぶんと飛び回るハチのよう。そしてどこも、八角(スターアニス)のような匂いがする。あとは当たり前だが、アジアなのでみんな髪が黒い。背も大きくない。
初めての海外旅行でオランダに降り立った時は、巨大なブロンドの白人たちばかりで、自分が異質なものとしてそこに存在している気がした。その点、台湾は安心感がある。
ただ、右側通行なので、横断歩道を渡るときは混乱する。

最初に入ったコーヒー屋(クチコミでは期待大)は、いまいちだったので言及しなくてよいだろう。きっとRがズタズタに書いているはず。「さっそく洗礼を浴びた..」とコソコソ言う彼。かわいい洗礼だ。笑

荷物を置きにホテルに向かう。Rが押さえたホテルは、安心の日系。当たり前にスタッフは日本語応対で、部屋のトイレもTOTO。トコジラミチェックをしたがどこも綺麗。

一息ついてホテルを出て、夜ご飯を食べに店に入る。
ルーロー飯と茹で野菜、干し豆腐。
店内は日本のチェーン店のように小綺麗で、都心の牛丼屋くらいの広さ。若いスタッフが3〜4名。卓からスマホでオーダーし、厨房のカウンターに置かれたレジで支払。
アンパイで、ちょっと物足りない。
そして肝心の料理は、ひとくせあるがまあまあおいしい、というあたり。知ってる味に、知らない風味がする。
白米の粘り気がなく、自然解凍したみたいな食感だ。3品頼んで600円程度なので安くはある。なるほどこういう感じね。

ホテルに戻る際、豆花(トウファ)を買いに店に寄った。「ニホンジン?」と聞かれた。くりっとした目のかわいらしい女の子店員である。
小豆とピーナッツをトッピングした。
ホテルに持ち帰った液体タプタプのそれは、意外とそんなに甘くなかった。

ふむ。いまのところそんなに緊張感がないな。もっとドキドキが欲しいな。そう思いつつ、移動とホテルのみならず、本日の店のチョイスさえもRに任せっきりだったので、ベッドの上で台南の目的地をあれこれ調べ、眠りについた。
私ひとりであればプラプラとその日暮らしスタイルでもよいが、彼は計画を立てて旅行したいタイプだ。よし、台南分は私がちゃんと計画をたてよう…。

2日目 台北〜台南へ

少し遅くまで寝た朝、ホテルをチェックアウトし、朝ごはんを食べにRが見つけてくれた店へ向かう。天気は曇り。湿度が高い。
台北駅からホテルまでの道もそうだったが、大通りはどこも軒先が大いに張り出して歩道を覆っている。これなら大雨にも濡れない。「六月の雪」にあったが「亭仔脚(ていしきゃく)」と言うのだそうだ。
歩いていると、店先には赤い張り紙がぽつぽつと見られる。飾り物が売っている店もある。春節間近だからか。お祝いの花は白と赤ではなく、濃いピンクと赤らしい。

店に到着。先客がいて、テイクアウトばかりの模様。立ち食い席から様子見した後「menuプリーズ」と言いに行くとラミネートされたそれを渡された。ご丁寧に、日本語訳も書いてある。それがないと漢字の羅列は呪文に見えた。

ソースを入れるか聞かれて「Yes」と答え出てきた”たまご入り蒸しパン”は、たまご味の蒸しパンではなく、分厚い肉まんの皮に、固焼きのぺたんとしたたまごが挟まっているものだった。味に特段癖はなく、たまごと肉まんの皮の味。塩っ気のあるソースは、たまごの下に申し訳程度に。片手にずっしりのる大きさで、相当お腹にたまった。

台北から台南へ向かう。新幹線に乗るのが思ったより遅くなってしまった。
台北にはそこまで関心がなかったため、旅はここからだ!という気持ち。(そうRに言ったら、先に言えと。すみません。)

新幹線は日本でおなじみのデザインなので、これまた異国感があまりない。
気になるのは「車内でにおいのする飲食NG」であることだが、結構におっている。
駅弁もそこそこにおうじゃないか。彼らの指す「におい」はドリアンや臭豆腐なのだろうか。

台南に着くと、思わず声が漏れるくらい暖かい。
日本と比べれば台北も暖かかったが、これはさながら春の陽気である。
(尚、この頃寒さのあまり台湾では死者が続出したようで..。家の作りや暖房器具の乏しさなのだろう)
改札を出る前に早速上着をポイッと脱いでキャリーにしまいこんだ。まずは予約しているホテルにこのキャリーを預かってもらえるか聞きに行く。

台南も、どこにでも亭仔脚。ただ、この構造は隣家とつぎはぎのため地面にたびたび段差があるのが難しい。街並みを目で追っていると足がストンと落ちて冷や汗をかく。しっかり足元をみなければ。車椅子の人はどう移動するのだろうか。そういえば昨日、鮮血が落ちているとおもったらネズミの死骸だった。大きめの虫やネズミを踏みたくはない。

ホテルにはすぐに着いた。こちらのスタッフも、やはり少し日本語が話せる模様。Rがそういうホテルを選んでいたとのこと。しかしすごいことだ。私は台湾語も中国語も全然話せない。何度「地球の歩き方」の後ろのページを見て復唱しても忘れてしまう。ふしぎな呪文にしか聞こえない。
もうチェックインできるということで、部屋に通してもらった。
綺麗にリニューアルされており、一般のホテルとは少し様子の違うあたたかみのある内装。
水場が下水くさいことと、トイレットペーパーが流せないこと以外、何も気にならなかった。
浴槽近くに貼ってある注意書きが少しアヤシイ日本語なのがかわいげだ。

身軽になって繰り出した街歩き、起点となるのは大きなロータリー交差点。
まさにこの場所、「六月の雪」でランドマーク的に出てきたやつだ。
NetflixのFirst loveでも、旭川のこれ(作中では札幌設定)を中心に物語が進む。
円環を周り、方々に散っていくバイクたち。

このあたりには、日本統治時代に出来た建物がいくつもあった。
南国、ヤシの木やピンクの花が咲く中に、見慣れた木造建築がある不思議。
もっと日本が浮いているんじゃないかと思ったが(オランダに初めて立った私のように)、もうだいぶ台湾の顔をしている。

日本統治時代の料亭だった建物にある茶屋で飲んだ「梨山烏龍茶」に、とても満足した。
まず、香りを楽しむらしい。smellと言われ、顔を近づける。
ユリを束ごとつきつけられたような、主張の強い華やかな香り。
私の顔に驚愕と喜びが表れたのを見て、店員の顔も緩んだ。
味わいはまろやかで、苦味や渋みを残さない。鼻から抜ける空気が惜しい。
そもそも烏龍茶というが、サッと淹れた新茶のような色合いである。麦茶色の烏龍茶とは程遠い。
このお茶の世界の広がりを知れただけで、台湾に来た甲斐があったかもしれない。

文芸博物館、百貨店…とロータリーを起点にいろいろ散歩して、
最後に頑張って北へと足を伸ばして食べに行ったご飯が、かなりおいしかった。
酸辣湯麺、ルーロー飯、ニラの水餃子、どれも口に運んだ瞬間に「うまい!!」とわかる。日本人ウケのいい味付けなんだろうか、とはいえ中心部を少し離れているので日本人はいない。ほどよい塩味、うまみ、甘みのバランス。
台南は日本統治時代含め製糖が盛んということで、本では「あれもこれも甘い」という話だったのだが、今のところそんなことはない。
ただ、よく「洗腎」を掲げた病院を見かける。糖尿病が多かったりするんだろうか・・・。
黒酢らしきものを小皿に注いで味見してみると、はっとした。街でよく香っているにおいがそのまんま凝縮されている。これだ!八角ではなく、酢だったのか。「烏醋」と書いた。
地元の若者が動画を見ながら食べている。広くない店内は、ほぼ満席だ。おじちゃんがワンオペで回している。
目の前の餃子をビールと一緒にいきたい、と思ったが飲み物は売っていない。どうも、台湾ではアルコールを提供する飲食店が少ないらしい。バイク移動が主だからか、はたまた法律上酒類の提供がしにくいのか。
ともあれ、ここまで歩いてきてよかった。

今日も豆花を食べてホテルに戻ることにした。有名店らしいが、空いている。台湾はUberやFoodPandaが人気らしい。店先であの四角いリュックの人をよく見かける。
店内で腰かけて食べた豆花、陶器の器までしっかり冷えていて、澄んだ琥珀色のスープはちゃんとあまい。舌触りも台北で食べたものより滑らかで豆の風味が豊か。シェイシェイ、ハオチーです。

そういえば、台北でも台南でも、街にはいくつもの平仮名の看板がある。これなら日本語教育を受けていない現地の若者でも「うどん」をどう発音するかは知っていそうだ。

ホテルにもどり、翌日に備え下調べをする。
・・と思ったものの、Googlemapを見ていたら豆花帰りに見かけた屋台が、Rの好きな”かるかん”に近いお菓子を売っていたとわかり、私が一人で買いに走った。
一人だと、見たり、聞こえてきたりする情報がまた変わってくるので面白い。とはいえ、夜なので寄り道せず、さっさと明るい道を歩いた。流石に少し気温は下がっており、薄手の上着はあったほうがいい。

注文は、ラミネートされたメニューに極太の色鉛筆でオーダー数を記入し、店主に渡すスタイル。使い終わったら店主がごしごしぬぐって元あった場所に戻す。エコだ。
黒胡麻、ピーナッツ、チョコ、黒糖、と1つずつオーダー。
紫色のおからパウダーみたいなさらさらした粉を木の容器に詰めて、ごまをいれて、最後にまたパウダーをかけて木の蓋をして蒸し器にセット。1つずつ、1分ちょっと蒸して作っていく。
4つ分出来上がるのを、ポケットに手を突っ込みながら待っていた。現地のひとが2組ほど買いに来た。パック詰めして袋に入れてくれたそれを、シェイシェイ、とお金と交換して受け取る。
ついでにセブンに寄ってお茶のペットボトルも買った。東方美人茶。
なぜ台湾のセブン、ファミマはみんな台湾の匂いがするんだろうか。ホットスナックから香っているんだろうか。そういえば、どの店にもコンビニコーヒーもある(セルフ式ではない)。

ホテルに戻るとRはドア越しに高い声で「合言葉を」と言った。
何個か答えたのちにドアがあくと、ちょっと心配してくれてたらしい。ほっとして迎えてくれた。
お菓子は、かるかんよりももちっとしていて腹に溜まるものだったが、優しい甘さでおいしかった。Rがパクパク食べた。

昨日のホテルもだが、シャワーの水圧はそこそこ高い。台湾も水には恵まれているらしい。
さて気を取り直して翌日の予定を、と思い、少し古い地球の歩き方をパラパラ。
高雄にはそこまでの目的が見出せなかった(あまりアンテナに引っ掛からなかった)ため、高雄駅で荷物を預け、ランチを食べたあと、すぐに屏東に移動することにした。

3日目 台南〜高雄・屏東・潮州へ

高雄駅は広く、開放感のある設計。
駅に「行李房」という場所があり、窓のない部屋でキャリーを預かってくれる。ロッカーを借りるよりかなり安かった。

日本でGooglemapを見ていたとき、高雄は綺麗に区画整備された都市なんだと思っていた。無知な私はてっきり名前からして台南が第二の都市だと思っており、高雄がそうだと知った時は驚いたのだが、降りてみると一目瞭然。台北よりも近代的な街に見える。
駅は綺麗に整備されていて、外は眩しいビル群。ビジネス街の風合いがあった。相変わらず亭仔脚はあるものの。
広く整備された道路を走るのは真っ白な高級車が多く、かなりバイクが少ない。空気は春を通り越して、夏の匂いがした。

Rが調べてくれたチャーハン屋に着き、からすみチャーハンと蛤スープ小を頼むことにした。
オーダーしてきなよ、とRに声かけると首を振る。折角なので私が「イー(1)」と「シャオ(小)」を覚えて厨房近くでスタッフに声をかけ、指差しを交えて注文。伝わったのでホクホクした。これだよこれ、旅の醍醐味は現地の言葉を頑張って使ってみる達成感。こんな小さなことでも、楽しさがある。初めてのおつかいみたいだ。

しばし待って運ばれてきたチャーハンは、お手本のようなパラパラ。
初日のルーロー飯の白米みたいにボソボソしているわけではないし、かといって油っこくもない。ほどよい粘りをもちつつ、1粒1粒が独立している。高温で空気を含ませながら調理したのだろう。
これでもか!とごろごろ入ったサイコロからすみがベーコンのようにじゅわっとうまみと塩分を提供してくれる。焼きたらこみたい、といったら怒られるだろうか。きっとRもそう書いているんじゃないかな。
蛤のスープはすこししょっぱく、生姜が効きすぎていたが、あさりよりもぷっくりとした身がおいしかった。
日本でもよく紹介される現地の高級店ではからすみチャーハンもそれなりのお値段がするようだが、こちらは800円ちょっと。お手頃だ。

駅にもどって、屏東に向かう。
今回の旅は、ソニー銀行が台湾ドルに対応していないとのことで、現金オンリーの生活(・・であることも、旅直前まで知らなかったんですけどね)。
ICカードも買わなかったので都度切符を買う必要がある。しかしどこの券売機も日本語表記に対応しているし、ご丁寧に流暢な日本語アナウンスまでついている。画面をピッピしているときに近くからこのアナウンスが聞こえてくると、あっ居るな、日本人、と愉快な気持ちになる。

高雄からの電車はどんぶらこ、とゆっくり進む。
途中、Rに肩を叩かれて窓の外をみると人工池がたくさんあった。
池の真ん中から太いパイプが顔を出して、水をじゃぶじゃぶ放出している。
北海道ではこのような装置は見たことがなく、熊本出身の彼に言われるまで養殖池だとわからなかった。

駅名表記と車内アナウンスを照らし合わせている感じ、どうも台湾(中国?)ではPとB、TとDの発音の違いがはっきりしていないのではないか、と感じた。
屏東の英語表記を日本語に起こすと「ぴんとん」。
だが、ぴんどん、とも聞こえるし、びんとんとも聞こえる。
屏東はどんな街だろう。幾分か観光目的の客が少なそうだが。

そして到着。
・・思っていたのとなんだか違うな。
空気がすこぶる悪い。高級車は見る影もなく、とにかくバイクばかりがぶんぶんと小道を行き交う。ほこりをかぶったスズキ車が停まっている。
小道には亭仔脚どころか歩道もほとんどないので、縦横無尽に走るバイクに気がもっていかれる(実際には交通ルールに則っているんだろうが、あまりにも自由に行き来するのでそう見える)。

途中、台湾のユニクロといわれているらしいアパレルショップで(Rの)トイレ休憩をしてから、ほぼ閉まってしまった様子の市場を通り抜ける。なにかしらの美容店がいっぱい並び、店内にはピンクの椅子にずらっと腰掛ける女性たち。乾かなさそうな洗濯物。放置された家具。なんだ、ここは治安ワル太郎なのかい?

空気が乾燥しているわけではないのに、喉がいがいがした。
Rからも、あからさまに拒否のオーラが出ていた。これはやばい。どこかで機嫌をとらなければ。
セブンでお茶を買い、バイクと車が行き交いやっと渡れた横断歩道の先、公園でベンチに腰掛けた。

このお茶、茶葉がそのままペットボトルに入っている。我々が「茶葉」と言われて想起する緑茶のパラパラ茶葉とは違う。ほぼ、摘んだそのまま、茎付き葉っぱの状態。この植物が口元に入らないようにブロックする機構がついている。
味は、うまみや甘みとともにほどよい苦みが抽出されつつ、香り高くておいしい。日本のコンビニで買えるお茶よりもかなり。

次に、茶葉を買いたいと思って台湾語で調べた結果ヒットしたお店に向かった。車通りも、人通りも少ない。
個人店なのだろう、重たいドアを開けようとするとすでにおばちゃんがドアの向かいにいた。
「what kind of shop?」と聞くと「tea leaf!」とのこと、しかし、以降おばちゃんの口から英語が出ることはなかった。

座るように案内され、店外で待つRを呼んだ。店内にいた白いパグは、よっこらと立ち上がり、どれどれ。と私の足の匂いを嗅いで、くたっと転げ、お腹をこっちに向けてきた。
が、犬との触れ合いに慣れていないのでそれを見つめるだけにしてしまった。ワンちゃんのプライドを踏みにじっただろうか。

数少ないクチコミで「忍耐強い店主」と書かれていたが、本当だった。どれだけ私の言葉が伝わらなくてもニコニコを崩さないし、何度もやりとりを試みてくれる。
おばちゃんは、茶葉が採取された山の標高を、電卓とボディランゲージを使い、一生懸命伝えようとしてくれた。
私は「How many grams?」とパックを指差し聞いたが首をかしげられる。あとでコンビニの商品を見て、グラムは「公克」だと知った。発音も全然違った。
日本が外国の言葉をカタカナ表記にして発音そのままに「外来語」として受け入れまくるのは、なかなか面白いことなのかもしれない。

英語が伝わらないのでRが翻訳アプリで中国語に変換して画面を見せたりする。しかしその回答が結局ボディランゲージなので情報はさほど集められない。
私たちの決めかねている(というかお互いに伝わりきらない)状況を見てだろうか、おばちゃんは先程まで目の前においていた梨山烏龍の袋をチョキチョキと切り、茶葉をみせてくれた。丸まっている。例えが悪いが、小動物のフンのよう。

淹れ方が独特だった。
まず、注ぎ口のついた陶器のカップに熱湯を注いで捨てる。
その温まった陶器の中に木のスプーンで茶葉を2杯ほど入れ、蓋をしてシャカシャカと振る。(なぜ?茶葉を開かせてる?)
それから湯を注ぐ。これが1煎目・・・と思ったらほぼ間髪入れず大小2つの湯呑みにそれをジャーっと注いでしまい、溢れさせ、捨てる。
それからまたお湯を注ぎ、今度はいくぶん待ってから小さな湯呑み(70~80ml入るくらい?)に丁寧に注ぎ、空の湯呑み(大・150mlくらい入りそう)とともに、目の前に出される。これが1煎目か。
「小さな湯呑みから、大きな湯呑みに茶を注いで、空になった小さな湯呑みの方を嗅いで香りを楽しめ」…というジェスチャーだった。その通りに動く。
香りは昨日の台南の茶屋と程近い、華やかなものだった。思わずニッコリ。
茶は熱め、とはいえ舌をやけどするほどではない。ふーふーして飲むとホッと落ち着く、ああこれを求めて来たんです、と思えた。
私たちがすぐに飲んでしまうからか、2煎目、3、4、・・とわんこそばのように注がれる。味わいの変遷が面白かった。2煎目以降の方が旨味がある。

そんな中いつの間に、おばちゃんの家族らしきシャキッとした男性と艶っぽい女性が店内にいた。女性がカウンターにいるおばちゃんと何やら話したあと、おばちゃんが私に向かって「あなた、とても、きれい」と言った。女性がそう思ってくれたらしい。何事だと驚きながらハハハと笑ってしまった。
結局、たくさん試飲させてもらった梨山烏龍茶を購入した。現地で買う方がお値打ちだ。

店外をでてRが「ようやく気づいたか、と思ったね!」「台湾人が先に気づいたね!」とホクホクしている。
どうも、「あなた、とても、きれい」が嬉しかったらしい。えっへん、と誇らしい気持ちになった。

茶屋をでて数分、勝利星村、という区画に着いた。
ここに、日本らしき建物が整列している。木造建築に瓦屋根の庭付き平屋団地。観光地化するように頑張っているようで、まずはその建物の1つにある、服務中心にいく(この頃、目が漢字の羅列に慣れてきていた。「服務中心」は「インフォメーションセンター」だ)。

誰も先客がいないが、おじちゃんとおばちゃんの2名のスタッフが玄関そばに窓口的に座っている。網戸のドアを開けて、靴を脱げという注意書きに従おうとしたらそのままでいいと言われた(言語はわからなかったが)。

おじちゃんは私たちが日本人とわかったら、「ジャパーン!」と言って、手招きし私の肩をぽんぽんし、建物内を案内するとのこと。
とにかくいろんなものを指差して、ジャパーン、ジャパーン、といいながら、ものすごい速度でまわる。引き出しを引く。ジャパーン。戻す。次の引き出しを開けてジャパーン。戻す。見逃すまいと必死にリアクションを取った。笑える。
一階部分の展示をさらったら、今度は外にでて、ジャパーン!と地面に刻まれた屏東の地図を指した。日本が、台湾人に押し付けた地図らしい。
さっき歩いてきた市場、公園、すべて書いてある。当時から、道は変わっていないのだ。しかし「末広町」「小川町」とやたら日本めいた名前がついている。今までで一番、この地が日本占領下にあったことを実感させた。
おじちゃんは地図を指しながら、中国語か英語かわからない何かを大声で喋って、ワハハハハハ!!と笑った。私たちの頭にはハテナしかなかった。一体なんだったんだろう。。もしかすると日本のことをボロカスに言ってたかもしれない。笑 でも愉快だった。

その後、少しその村のあたりを散策。いつの間に、空気の質が良くなっていた。バイクが悪さをしているのはあれども、ほとんど、大陸からの風の影響なのかもしれない。

駅までの道中、たまたま見つけた活気ある市場に行った。
黄昏市場、という夕方に開かれるマーケットとのこと。一見、観光客の姿はみえない。地元の人がバイクで次々に買い物に来ている。

生肉は、鶏まるまんま(毛は剥いである)とか、豚のあばらとか、種類豊富。生魚は、かの有名な現地のお魚、サバヒー(ほぼ養殖とのこと、さっきの池か)。
お惣菜もいろいろ。果物もいろいろ。乾物もいろいろ。
とにかく品揃えが豊富で、店員の声出しも相まって賑やかだ。

Rが気になっていたので、ひとつ、肉まんを買った。
メニューの「蔥肉包」を手書きで入力し、スマホを耳に当ててその発音を覚え、「コンローバオ、イー」と伝えた。無事伝わった。
市場をでて歩道のベンチに腰掛けて食べた。薄くて固め、もっちりの生地の中にスープと団子状の肉ダネがはいっている。小籠包と肉まんの間。にんにくやネギの香りとジューシーさ。半分こしたので、もっと食べたい、と食欲が刺激された。

駅方面に歩いているとやけにカラフルな5階建てのパワースポットが現れた。慈鳳宮と書いてある。少しお邪魔して、その独特の参拝方法などを見させてもらった。観光客向けの英語や日本語の説明はなく、白人おひとりさまと我々以外は信者のよう。

建物を出ると駅はすぐそこ。日が暮れ始めている。明日はほぼ移動日のため、残りは実質今晩のみ。毎日たくさん歩いて足も少し疲れているが、欲張って潮州に移動することにした。

潮州へは電車で15分程度。屏東に比べ、閑静だ。
人通りも、車もバイクもかなり少ない。すっかり暗くなった街にイルミネーションがきらきらしている。

駅のすぐそばに「超市」があった。「スーパー」を指していると、先程Duolingoで知った。広く明るい店内、レジには一人のみ。
鳥の灰色の足、豚の内臓、いろいろな肉が売ってある。黒酢(台湾の香り)も売っていた。色々見て回りたかったが、Rがうずうずしている。お腹が痛いらしい。退散した。

擔仔麵、というご当地料理があるらしい。(簡体で担仔麺:タンツーメン)
これを出している個人店に入った。客が他にいないのでRが渋っていたが、そばで繁盛している店は「羊肉店」とのことで(Rがニガテ)ここにした。幸い、我々と同時タイミングで2組ほど現地民が入店した。
軒先で寒風を浴びながら食べるスタイルが多いが、ここでは店内で広々卓を使うことができる。
擔仔麵と牡蠣のスープ、そして野菜不足を感じていたため葱系のおひたし(あさつきに近いらしい)を頼んだ。
しばらくして出てきた擔仔麵。麺は、ちゃんぽんのような。スープは、出汁の効いた優しい甘さできつねうどんのよう。上に乗った肉そぼろを溶かしていくと塩味のバランスがとれ、にんにくの香りも乗る。
おひたしはめんつゆに九州の刺身醤油を垂らしたような・・。
台南の晩御飯と違って感動的においしいわけではないものの、想像していたよりお腹に優しいあたたまる食事だった。
もう1店くらい入ろうか、とも思ったがまたもRのお腹がアラート。冷えてきていたので、ホテルに向かうことにした。

道中、Rが小さなマウントを取ってきた。なんだか台湾に来てから、折に触れてマウントを取られている気がする・・(普段そんなことはない。たぶん、異国で緊張していたんだと思う。これもかわいげ)。

「私たちは二人で一心同体だよね?」と問いかける。
もちろん、と良いお返事。
「だから、片方ができていれば、それはもう片方もできてるってことになるんだよ。私たちはお互いを補い合ってるんだよ、競争相手じゃないよ!」
そう言ったら、「・・・そうか!」と妙に納得してくれた。
「とってもいい考えだね、忘れないように書いておいて」と言われたので残しておく。笑

高雄に着いて、最後の悪あがきで駅すぐの小籠包屋台に寄った。通りには、マック、バーキン、KFC、牛丼、とチェーン店が並んでいた。(チェーン店は「連鎖」と書くよう。そのまんまだ!)
亭仔脚を寒風が通り抜けていく。首をすくめて銀のテーブルのそば、丸椅子にかけて蒸し上がるのを待った。生姜はいるか、と聞かれた(中国語?なのでわからなかったが)。それを小皿にもらって、しばらくして蒸気の上がるせいろが運ばれてきた。
銀のレンゲに乗せて口に運ぶ。唇に触れたレンゲが熱い。皮、餡、スープが一体になっていて、針生姜がいいアクセント。ちょうどよい味付けで、ぱくぱくあっという間に完食した。

ほどよく温まった体で高雄駅に戻り、預けていた荷物を無事受け取り、高雄空港方面の宿へ。この駅からホテルまで、かなり閑散としていた。チェックインはスムーズに終わり、部屋に転がり込んだ。

日本にいるときは食欲がなくてどんどん体重が減っていたのに、まだ食べたいなあ・・という気持ちがふわふわまとわりついていた。
が、翌日の新幹線のチケットを買ったり、時間を決めたりして(ほぼRがやってくれた)シャワーを浴びて眠りについた。

4日目 高雄〜桃園空港〜セントレア

朝、8時前に起きて身支度してチェックアウト。
朝ごはんに近くの早餐店を訪れた。(滞在の中で、朝ごはんを調べたいときは「早餐」なのだなとわかってきた)
初日は呪文に見えたメニューも、なんとなくわかりそうな気がしてくる。
ドーナツやハンバーガー、画数が多いので書ける気はしないが漢字の雰囲気は覚えた。トーストやチーズ、たまごもおぼえた。「蚕」ではない。「蛋」だ。
燻製鶏のハンバーガー、おいしかった。たまねぎやレタス、生野菜が久しく思える。
店員のおばちゃんが中国語で話しかけてきた。ジェスチャーをして何か伝えようとしている。段差で後ろにひっくりがえるよ、もっとこっちにテーブル移動させないと、的なことを言われているようだ。指差しとボディランゲージでどうにかなるものだ・・。

店を出て公園の中を通る。晴れて澄んだ空気。
台南、屏東、そしてここでも、ガジュマルがいっぱい。太い幹に細い幹が垂れ下がり、絡み付いて、なんだか神秘的。公園のガジュマルたちの間を歩くRを写真に収めた。

ここからはひたすら電車移動。
新幹線の予約時間を早めようとしたら窓口との意思疎通がうまくいかなくてなんやかんやした時間もあったが、乗りたい新幹線に乗れた。
空港で、銀行窓口は手数料がかかるからとなんやかんや迷ったものの台湾ドルも円に戻した。新幹線とホテル代はオンライン決済していたので、結局2人で2万円も使わなかった。

手荷物検査をした後、キャセイラウンジに行くにもターミナルが違うので道に迷い、かたや地図攻略したい派(R)、かたや服務中心に聞きたい派(私)でまたなんやかんや揉めた。
お互いむすっとしたものの、こういう時いつもRが手を差し出して「ごめん」と言ってくれる。それで私も謝って、キャセイラウンジでおいしいものを食べた。
台湾のキャセイラウンジは、シャワーブースがない以外、香港のそれと瓜二つだった。ここの坦々麺はなぜか汁なしみたいにもったりしていたけど。
中華航空のラウンジは、成田のキャセイラウンジレベル。台湾現地の航空会社なのに・・。
果物がある!と思ってRの好物の巨峰っぽいぶどうを取ってきた。しかし「いらない。日本の果物しか信用しない」と言う。えぇ、と思いながら口に運んでみたらビックリ。思ってた味と全然違って吐き出してしまった。描写できるほど口の中にいれ続けられなかったが…Rは、ほらね、という顔をしている。

帰りのJALも滑走路混雑などで若干の遅れはあったものの、無事に飛んでくれた。
旋回中、窓の外に視線を移すと海。
そういえば、新幹線の座席表記には「走道 Aisle」「窗邊 Window」と書いてあったな。渡邊さんの邊が渡邊以外で使われることがあるんだあ、と思ったけれど「辺」の旧字体なのだから、そりゃそうか。単純に「窓辺」と書いてあるだけらしい。

ラウンジでお腹いっぱいに食べてしまったので、機内食が入りきらなかった。でもやっぱりJALの機内食、味付けがおいしい。そばつゆがジュレになっているのがステキ。ゴロンとしたポークハンバーグを半分残していたら、Rが「食べていい?」と聞いて持っていった。

モニターで見た「THE WILD ROBOT」がすごく完成度の高い映画だった。
惹きつける導入、クスッと笑わせるセリフの作り込み、謎を残しつつテンポよく展開していくスピード感。
「母と子」「旅立ち」「愛」「仲間」など普遍のテーマを扱っており、展開もあるあるなのだが、セリフで何度も泣かせてくる・・。
一つ腑に落ちなかったのは、とあるキャラクターがあっさり死んでいたことくらい。笑
全体的にあまりに綺麗に整頓されていて無駄がないので、設定を食わせたAIが作ったんじゃないかと思わされる。

旅の最後によき映画との出会いで満足し、着陸。
今回、南台湾、特に台南の満足度が高かった。
おいしいフルーツを食べ損ねたので次回があるならばぜひたくさん食べたい。
また、台湾のお茶の魅力はかなり奥深いと感じた。

「六月の雪」では、台湾が日本に占領されて「日本語」を国語とされ、大戦後には「中国語」を国語とされるなど、翻弄された歴史、その中で生きてきた現地のおばあちゃん(日本語が普通に話せる台湾人)に出会う話などもあった。

関わった多くの人が、単語レベルの日本語を知っていた。
それもそうだ、昭和20年まで日本統治下だったのだ、その年に生まれた人はまだ80歳なのだ。
それなのになぜ私は台湾の歴史を全く知らなかったんだろう。
本では現地の20代の女の子が「良くも悪くも、台湾人はすぐ忘れる」と言っていた。日中、日韓関係で過去に起きた問題、事件などがずっと横たわっているのを見ているから、台湾人がこんなにも日本人に友好的に接してくれることに、複雑な気持ちになる。
今後、台湾の人たちが周りに翻弄されずに自分たちの生活を続けられたら、と思う。


セントレアに降り立ってこれから旅行、と思しき台湾人もいる。
どうか楽しんで。困ったら力になるからね、と目が自然と彼らを追っていた。


追記
セントレアについた瞬間、トイレが清潔で最高だなぁと思いました。
だけどね、セントレアのトイレットペーパーがこの旅行で一番固くてカサカサでした。
台湾、やわらかかったー。

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