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バリ層にも幅がある説

タイトルの形式を変えました。この形式絶対限界が来る。
社内Slackも同じことやってて崩壊気味だから、そっちも崩していこう。

ところで、発達の自助会って諸説あるけど実際の組織もニーズもいわゆるピアメンタリングの毛色が強いところと、情報交換や具体的な悩みの解決などを目的としたワーク寄りのコミュニティにおおよそ分かれていて
ニーズと組織の色がかみ合わないと大変らしい。
私も1件目は寄り添い色が強すぎて合わなかったのでちょっとわかる。

そんな中、「現存の自助会だとバリ層が実生活の話をするのは気が引ける」→「だったら発達よりだけどバリバリ働いている定型の人とむしろ話が合うのでは」という仮説を見かけて、それもはや自助会じゃなくね???と首を傾げた今。
まず、「発達よりの定型」と「定型寄りの発達(ここでいうバリ層というか、就労継続できている人)」の違いはなんやねんと。
診断の有無が第一だろうけど、前者の中にも検査・診察を受けたら診断が下りるひとや幼少期のエピソードは診断に値する人も多いだろう。
だからグレーゾーン・スペクトラムという単語があるわけで。
恐らくこの場でのバリ層の定義が思ったより狭いんだなと思った。

いわば私も「バリ層」のカテゴリだけど、昨年はガッツリ二次障害であわや休職手前だったし、今もまだ薬をやめる見通しはない。下手したら今後も何かしか必要な気もしている(SSRIと眠剤)
これも「ADHDで服薬すれば働けるバリ層」と「ASDでサバイブできている(環境調整が効いている)バリ層」みたいな差分になる。
また、障害者雇用なのか、オープン就労(合理的配慮の範疇)なのか、クローズド就労なのか、ここも差が出る。
全部ひっくるめて「就労支援事業所や就労継続支援事業を必要とせず継続就労して、安定収入がある」という定義ならまぁわからなくもなく…
でもこの定義、お気づきかと思うがかなり広い。
診断有無関係なく集めても多分、かみ合わない層が出てくる。
※普通に自助会行くよりはマッチ率上がるだろうけど

これ、発達バーにいける発達障害の人を見て全体を捉えるのは違うだろっていう別議論ともリンクすると思っていて
実際子供にしたって知的障害の有無や生活自立のレベルは障害の強度、重度とは正比例しないのはご存じの通り。
軽度知的だけど生活自立できている子もいれば、高IQASDで入退院を繰り返す子、施設や病院から家庭に戻れない子だっている。

何が言いたいかっつーと、バリ層のニーズを満たそうって考え方はありだけど、バリ層という言葉の定義が甘いからあまり意味がなさそうだなと思った。あと、個人的には選民思想が増長されそうでなんか…ねぇ

ここまで書いて、「じゃあ万希の目指す社内自助会もそうでは?」と思うわけですが、私が社内にこだわるのは育児でもそうだったけど「この会社ならではの苦労」「この会社ならではの解決策」がバキッと分かれている気質を活かしたいのだ。
この会社でなら、我らうまくやっていけるかもよっていう希望を持ちたいし、それがゆくゆく自社の支えになるし自分たちを守ってくれると思って。
愛社精神ではない。むしろ会社はリソース。凸凹はあれど、私たちの能力を活かす場を会社が作ってしかるべきという方向にいきたい。
この言語化をもっとSlackでもしないとな…と思いつつ、サッと書き込める小ネタに逃げちゃう日々。

他人の心配する暇あったら自分の足元頑張りましょう。

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