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ただ元気であれと願った日

ただ元気で、ただ健康で、そう願った日のことを今も結構しっかり思い出す。
だからこそ、最初に発達相談をした日のことも「この子は支援が必要な子」と言われた日のこともそれと負けないくらいしっかり覚えている。

「私がこの子を障害児の枠に入れてしまったんじゃないか」
その事実と向き合うために勉強した。それが長じてアカデミーへの参加や社内での活動に少しずつ枝葉を伸ばそうとしている。
こんなの、子供を持たなかったら絶対に行きつかなかった世界だと思う。

そんな気づきと発見と驚きと絶望と知的好奇心の充足と心身の限界値との邂逅その他もろもろをもたらした子供が、この界隈では一つの節目で勝負時でもある就学相談を終えようとしている。
先日、通達を受け取るというタスクだけのために1日休みを取った。
就学相談の結果を聞くとはそれくらいの覚悟がいるのだ(なんの?)

謎にもったいぶった導入で気持ち悪くなってきたので結果を書くと、教育委員会より「特別支援学級(自閉・情緒)が適当」という通達でした。
てっきり判定結果だけかと思ったらちゃんと所見というか判定のコメントがついていて、この「私たちより学校に詳しい第三者からのまっさらな評価」があるおかげで揉めようも悩みようもなく、そうだよなぁという感想になった。
それでもしばしボケーっとする時間を要したので1日休んだのは正解だったと思うけど…。

また、いろんな支援機関とつながっても心のどこかで「いやもう普通に育ててもいいんじゃ」と思う瞬間と「この子は支援がないとヤバい」を行ったり来たりの数年間だったので最初の感想と変わらず「私がこの枠に入れた」感がずーーーっと拭えなくて
実際5月くらいは就学相談自体を取り下げるかも悩んだ。
最近療育の授業が一緒になった子のママさん数人から立て続けに「息子君全然しっかりしていますよね!」とお決まりのセリフを言われたのが余計不安を掻き立てた。
それでも「懸念点がミリでもあったら支援級希望すべき」という先人の教えに従って今がある。

生まれてくるとき、色々聞かれたり夫婦で会話したりした中では正直漠然とした感覚しかなく「ただ元気であれば」とよく言っていた。
その願いはどこかに届いたのか、比較的病気はしないししても軽傷だし、痣はしょっちゅう作るし爪も噛むけど大きなケガはしない、妙に胸板が厚くて恐ろしく柔軟性の高い身体に育っている。
私はまさか就学前に140の服を買うと思わなかった。6年後どうなるん…

まぁただ、これからもあんまりその辺変わらなくて
小学校に行っても「ただ元気であればいい」と言い続けたい。そうしないと、きっといろんな欲が出てきてしまうから…

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