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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん !~明日を信じた5年間~ 3 なかよし音楽会 冬だけど温かい冬!


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3学期になりました。楽しい「なかよし音楽会」があります。でも、練習に身が入りません。さあ、どうする!寒い冬は寒いはず・・、だけど温かい冬です。それは、リハビリが順調だったのです!
                    
2年生3学期(2005年 H17年)


18 なかよし音楽会

 明けて平成18年(2005年)です。3学期が始まると、2月のなかよし音楽会の準備が始まりました。なかよし音楽会は、なかよし学級のみんなで昼休みに音楽会を催すものです。会場は学校で一番大きな教室である視聴覚室を使います。出しものは、手話をしながら歌う『校歌』、打楽器を使って『古時計』の合奏、『ドレミの歌』をミュージックベルで演奏します。最後に、『ビリーブ』を歌います。滉燿くんはマラカス担当でした。出しものの曲は、音楽の得意な教務主任の本山繁先生が、週1回のペースでキーボードを弾きながら練習していました。手話の校歌は、ボランティアの新井先生が指導してくれていました。そのお披露目の場がなかよし音楽会でした。練習始めは、週に3回のペースで一クラスに集まって練習しましたが、これがなかなかうまくいきませんでした。

 音楽の得意な、なかよし学級の兵藤先生、松田先生、大里先生達が一生懸命指導します。しかし、楽器を配るところからゴタゴタが始まります。
「この鈴じゃない。健介ちゃんがもっているそれがぼくのだ」
「どれも同じじゃ無いか」
「違う。色が赤色のがぼくのだ」
 こだわりが強い子が半泣きで訴えます。
 練習をさせながら先生達が相談する必要があるので、子ども達が待つ時間が出ます。
「痛てえ、手が当たった」
 待つのが苦手な子が、両手をぷらぷらさせて、体をひねっているのが当たってケンカになります。つまらなさそうに、指揮の先生を見ずに片足の力を抜いて、そっぽを向いている子もいます。心が一つになっていません。こんなんで出来るのかなと心配になりました。

 しかし、2月になかよし音楽会があるという話は、いつの間にか子ども達の間に広がっていたらしく、2年1組の子ども達に給食時間に聞かれました。
「先生、2月14日になかよし音楽会があるんでしょう?ぼく達は絶対見に行くよ」
 こんな声を聞かされては、私も頑張らざるを得ません。ダラダラ練習しているなかよし学級の子ども達に説教しました。
「先生は交流学級の子ども達に『なかよし音楽会絶対に見に行くよ』と言われました。見に来る人達は、遊びに行ける大切な昼休みを使って見に来てくれるんだ。それなのに、今の演奏は何だ!先生は友達に申し訳ない。見に来てくれる友達をがっかりさせるようなら、音楽会なんか止めた方が良い。やるなら、見に来てくれる友達を喜ばす演奏ができるように頑張るんだ」
 子ども達はハッとしました。「みんなが見に来る」が子ども達の心の中心をつついた様です。子ども達の目つきが変わってメキメキ腕が上がり始めました。発表会が近くなると毎日集まって練習しました。ようやく『見せても良いかな』というレベルに達しました。

 なかよし音楽会は希望者だけが見に来るという事になっています。でも、実際には学校の全児童が見に来てくれます。
 会場の視聴覚室は一度に入りきれないので、低学年が見る日、高学年が見る日と2日間に分けて行われました。会場一杯に入ったお客さんを見ながら、なかよし学級の子ども達の演奏が笑われないか、ちょっと心配でした。

 しかし、演奏が始まるとみんな真剣に聞いてくれました。手話付き校歌では、一緒に手を動かし、楽器の演奏では一緒にリズムをとって聞いてくれました。自分達の方が、ずっと上手に演奏できるはずの高学年の子ども達も一生懸命聞いてくれました。滉燿くんも不自由な手を懸命に振ってマラカスを鳴らしていました。もちろん、滉燿くんはマラカスと言えどもリズムをとることなど出来ません。でも、音楽とみんなと騒ぐことは大好きなので「ギャハハ笑い」で大喜でした。なかよし学級の演奏を笑う子なんていませんでした。出しものが終わると大きな拍手をしてくれました。なかよし音楽会は大成功でした。
「良かったね」
「滉燿くん楽しそうやったねー」
 2年1組の子ども達は口々に嬉しそうに言ってくれました。

 そんな日々が続いていた日です。滉耀くんが帰った後、教室のカギを職員室にあるカギボックスのフックにかけていた私に、吉田校長先生が声を掛けてきました。
「滉耀くんの両親の事なんだけど・・・、昨年は色々な不満をしょっちゅう言って来ていたのに、今年はコトリと言って来ない。なんでやろ?」
 私の顔を見ながら不思議顔でした。
「はぁ・・・・・・・」


19  立位が上手になってきた!


 3学期は、滉燿くんは知的な面では、順調には進歩していませんでした。勉強では、写真カード(絵カード)を使って、物の名前を覚える勉強をしていました。身の回りの品物、例えば鉛筆や消しゴム、テレビなどをデジカメで写真に撮り、プリントアウトして絵カードにします。
 絵カードをテレビ、冷蔵庫、スイカなど3つ程机に並べて滉燿くんに聞きます。
「滉燿くん、スイカはどれかな?」
 なかなか正しく取れませんでした。もちろん全部ダメなわけはなく、滉燿くんが大好きなバナナなどは、うまく答えることが出来ていました。正しく取れないと本人も分かるのでしょう。
「もうしたくない!」
 机の上のカードをグチャグチャにして、ブーと主張していました。

 絵カードが上手になるためには、滉燿くんの生活体験が必要だと感じていました。でも、滉燿くんの一日を考えるとそう簡単には増えないだろうなと考えざるを得ませんでした。
『焦らないで、ボチボチやろう』
 外は冬真っ盛りで雪が降っています。木の芽も固くつぼんでいます。その中でも私は滉燿くんのリハビリ訓練を続けました。
 リハビリ訓練の方は順調でした。横から見ると「への字」くらいから伸びなかった膝が真っ直ぐに伸びてきました。滉燿くんを仰向けに寝かせた膝の上から押していくと膝の裏側がペタンと床に着くようになってきました。

 それに合わせるかのように、動きが固かった足首も、曲げたり伸ばしたりが楽に動かせるようになってきました。仰向けに寝かせた状態で足を伸ばし、足首をいっぱいに曲げると床から垂直になるだけでなく、つま先がお腹の方に少し倒れるくらい曲がるようになりました。

 こうなって来ると、ある程度良い形で立位(立たせる姿勢)がとれるようになっているはずです。立位は股関節がずれていると言われた頃から止めていましたが、2月の終わり頃、思いきって滉燿くんを立たせてみました。滉燿くんに足をそろえてしゃがみ込む体勢をとらせてました。ヨイショとかけ声をかけます。
「さあ、立つよ1、2の、3!」
 滉燿くんは、そのままでは全然立ち上がれませんが、中腰くらいまで抱え上げると、後は、自分の力でグーンと立ち上がってきました。もちろん倒れないように、滉燿くんの腰の所を支えています。しかし、滉燿くんは支えている私の力をそれ程必要とはせずに楽に立っていました。少しお尻がでたり膝が出たりはしていますが、1学期に比べて遙かに良い姿勢です。

 私は真っ暗闇の道の中で一筋の光明が差して来るのを感じました。
『これは・・立てる様になるかも知れない・・。いや、まだまだ・・、こんな事くらいで喜んでいてはだめだ』心の中で何度も自問自答していました。
 この調子なら3年生からは歩行訓練が出来そうです。H療育園で股関節のレントゲン写真を撮って異常無ければという条件が付きますが、たぶん大丈夫だろうと考えていました。何か滉燿くんに無理がかかっていれば、いやがったり泣いたりして何かしら兆候が有るはずです。これまでの所、そんな兆候は何も無いので、訓練はうまくいっているはずだと考えていました。

 窓の外はパラパラと雪が降っていました。春はまだ遠い2月でしたが、私の心の中には一足早く春の日が差して来るような気がしていました。

足が伸びてきました

 この立位が真っ直ぐに出来るようになっているという事はH療育園の方でも認められました。予算が使える今年度中に歩行器を作っておこうという事になり、歩行器の製作が始まりました。

 

3月になり、なかよし学級からも3人の卒業生が希望を胸に卒業していきました。滉燿くんにとっても明るい春でしたが、良いことばかりではなく、風邪をひいたのが元で、学校を休んだり遅く来たりするようになってしまいました。学校へ来ても体の調子が悪いからと訓練は止めておきました。記録を見ると3月11日が最後の訓練になっています。それから四月まで滉燿くんの訓練は出来ませんでした。これが後で、重大な結果を引き起こすことになるのですが、この時はあまり気にしていませんでした。


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