立 ち 上 が れ 滉 燿 くん !~明日を信じた5年間~1(1) プロローグ
本文中の名前については、筆者と主人公は本名ですが、その他の登場人物は全て仮名となっています。地名と学校は実在します。写真と名前の掲載は保護者様の許諾を受けています。これから掲載する写真に一緒に写っている友達の顔には、ぼかしを着けています。この物語が、いつかはノンフィクションとして本になることを願っています。
プロローグ
2019年(令和元年)4月5日未明、突然目が覚めました。4月初旬にしては暑いな。
『へんだな』起きようとして状態を起こしましたが、異常な「きつさ」を覚えて倒れ込みました。右腕を触ってみると全く感覚がありません。
「腕枕して痺れた様な感じだ。少し待ったら回復するかな?でも、こんなに感覚が無くなるとは、おかしいぞ。後で笑われても良いから人を呼ぼう」
私はベットから這いずり降りて、やっとの思いで左手を使って、ドアを開けて廊下に出ました。出ない声を必死ではり上げました。
「オー、おおっ」
向かいの部屋で寝ていた長男が気付いて出てきました。
「だいじょうぶ!?」
倒れたまま、かぶりをふるのが精一杯でした。
搬送された病院のベットで気がついた私に、若い医者が左腕、左脚、右脚と上げながら確認していきます。
「上がりますか?」
右脚に移った時に、右脚が少しか動かない事に『これは・・・、まずい・・・なぁ』天井を見上げながら思っていると、
「これ上がりますか?」
「えっ!」
声がした方を見ると医者が右腕を上げています。でも、全く感覚が無い!腕を通して向こうの壁が透けて見えました。それは恐ろしい光景でした。
医者は静かに右腕を降ろしましたが、医者が握っている感覚も降ろされた感覚もありません!透明です。私の左側に回ってから冷静に聞いてきます。
「名前を言ってください」
「えっ!」
自分の名前が分からない!脳の中にある記憶のホワイトボードを必死に見ようとしました。何も書かれていない!
「これの名前を言ってください」
答えない私に医者はハサミを見せます。
『名前が・・・、分からない・・・!ハサミと分かるのに!』
脳梗塞と失語症の発症でした。
「損傷が大きいので、薬を使っても助かる可能性は1/3の確率しかない。このまま脳死や死亡する可能性が高いです」
家族への医者の説明は厳しいものでした。
病室に運ばれた私は絶望していました。痛さにぼーっとなってました。
『これは酷い状態だ・・・。脳の左半球が大きく損傷しているぞ』
私の頭の中で、障がい児教育専攻の知識が教えています。私は小学校教員でしたが、過労のために、うつ病(双極性障害)を発症して平成23年に無念の退職をしていました(当時49才)。辛い7年間の必死の治療・努力の結果、身体がほとんど元の状態に戻って仕事が出来るところまで回復していました。
「良し!これから生活を取り戻そう」
昨年秋から、2019年(令和元年)4月から塾を開く準備をしていて来週から始める予定でした。希望の日々が始まるはずでした。
それなのに・・・、身体が動かない!全身が痛い!きつい!頭も痛い!これから寝たきりの闘病生活が始まるのか?いつまで続くのか!?家の改造が必要になるのか!?何でこんな目に合わねばならないのか。神様を恨みました。もう無理だ!嫌だ!もう、これ以上耐えられない!
夕方まで、自殺する方法を幾つも幾つも幾つも、ずーっと考えていました。でも、どの方法も右半身不随では『無理だ』が結論でした。これから先の寝たきりの自分を何度も考えて絶望の涙が出ました。
しかし、夕方、交代で来た看護師さんから、確認の声を掛けられました。
「あがらないだろうな・・・」
腕を上げようとしたらスーッと上ったのです!足も少し上がりました。
持ち上げた腕は、フラフラしてコントロールは出来ません。右腕はお腹の方へ倒れていきます。
しかし・しかし!です。
「これでいける!絶対直す!滉燿(こうよう)くんを立ち上がらせたお前の技術を見せろ!!」
もう一人の私が大声で励まします。脳に重い障がいをもっていた滉燿くんと一緒に過ごした5年間の学校生活の日々が目の前に見えました。今は、私が滉燿くんです。
「絶対もう一度、立ち上がって見せる!」
翌日からリハビリが始まりました。
2回目の作業療法士との訓練時間です。私はベットの端に座らされました。彼は両手を軽く取って声をかけてきます。
「辻塚さん、ゆっくり立ち上がってください」
『えっ、もう立ち上がるの?だいじょうぶかな?』
足の裏が床に着いている事を見ながらゆっくりと立ち上がります。膝がグッと伸びて全身がゆっくり上がる事を感じます。視界が広がって作業療法士が笑っている顔が見えます。
「立てた!立てた!やったぞ!良かった!良かった!助かった!!」
翌日はトイレに行くことが出来ました。
「良かったぁ。これで人に迷惑をかけなくてすむ」
幸い、体の方は順調にリハビリが進み二週間位でほぼ戻りました。今でも少し痛みがありますが、マヒは全くありません。全く正常に動いています。でも、体力はがっくり落ちました。
言葉の方が時間がかかりました。最初は、言語療法士から犬やネコのカードを見せられても「いぬ」や「ねこ」は分かっているのに言葉が出てきません。『1+3=4』が出来ない。まいったなー、しょうがないなあー(笑)。
焦りはありませんでした。
「大丈夫!練習すれば必ず出来るようになるから」
うまく行かない時でも滉燿くんがOKサインを出して励ましてくれました。そうだったね。一緒にやったリハビリ訓練が、上手くいく日も上手くいかない日もあったね。悩んだ日も絶望的になった日もあったね。楽しく勉強した日、なかなか進歩しない日もあったね。滉燿くんと私が一緒に明日を信じた5年間の生活でした。それは、二人にとって毎日が冒険の日々でした。
これから、ぜひ読んでください。
立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 1(2) 「君の力を貸して欲しい」 異例な異動 無理な勤務 うつ病の発症
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