立ち上がれ滉燿くん ! ~明日を信じた5年間~ 2(2) 身体機能が進みます 普通学校の危険
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身体機能が改善進んで行きます。が、股関節がズレているとに指摘!そして、大事件が起こります。
2年生2学期(2004年 H16年)
15 潜む危険
訓練は順調にいっていましたが大失敗を起こしました。
この時は、病気が良くなっておらず、体調が悪いのと蒸し暑さと訓練時の疲れでボーッとしていました。ボーッとした頭でプロンボードを斜めに倒し、滉燿くんを乗せてベルトをしめて垂直に立てました。その瞬間、
滉燿くんの顔が引きつって、後ろに倒れていくのがスローモーションの様に見えました!
私が締めたベルトは、足首を固定するベルトだけで、背中を支えるベルトを締めるのを忘れていたのです。プロンボードに立つと、足は床から十㎝位の高さがあります。滉燿くんは足首を固定されたまま尻餅をつき、そのまま後ろに倒れてゴッチンと頭を打ちました。
私は滉燿くんをバギーに乗せて保健室へすっ飛んでいきました。念のためレントゲンなどを撮りましたが、異常有りませんでした。しかし、学校では変わったことはありませんでしたが、家では、お尻を痛がったりして着替えなどが大変だったようです。
私が訓練をやっていて、こんな「事故」は初めてでしたが「事故が起きないように気をつけます。」と言ったのに、やはりこういう事が起きるのです。校長先生とお母さんに平謝りに謝りました。
私はプレイルームから、使われないで部屋の隅に転がっている余っていたウレタンマットを集めてきました。表面を雑巾でふいて、きれいにしてから教室の床上に敷きました。マットの枚数が少なくて教室の床全面に敷くのは無理でしたが、縦3m横3m位のマット部分を作りました。そこで、滉燿くんをプロンボードに乗せたり、バギーに乗せたりするようにしました。マットの厚さが薄いので完全ではありませんが、床のままよりずっとマシなはずです。失敗するのを気をつけるだけでなく『失敗しても安全』フェールセーフという思想に従って改良したわけです。
こうお話しすると格好いいのですが、現実はそうではなく、学校は危険が幾つも有りました。階段の上がり下り時は前にお話ししましたが、廊下の曲がり角で走ってきた子どもとぶつかりそうになることは、しょっちゅうでした。伊岐須小学校は大きな学校なので廊下が広いのです。広い廊下を歩いていると子ども達は走りたくなるのでしょう。走る子がとても多かったのです。特に危ないのは、よそ見をしながら走ってくる子でした。鬼ごっこの鬼を警戒しながら横向いて走るので、前に滉燿くんのバギーがあるのに気づきません。
「危ない」
大声で叫んでも自分が言われていると気づかずに滉燿くんのバギーにぶつかりそうになることも有りました。
また、向こうから来る子が、よそ見をしながら歩いて来ます。滉燿くんのバギーが目の前に近づいてから、よそ見したまま走り出して、ぶつかりそうになる子が多いのは不思議なことでした。
学校の中には渡り廊下など小さな段差が意外に多いです。普通の人は全く気にならないのですが、バギーは小さな段差でも乗り越えにくいのです。普通の人でも、引き戸のレールなど小さな段差や電気コードでも足が引っかかることはしょっちゅうあります。
それなのに、避難訓練などでは、校舎の端の運動場に通じる3段程度の階段を降りざるを得なくなります。小さな段差では、バギーを後ろ向きにして降りることはよくあります。しかし三段とはいえ、階段をバギーで一段一段下りるのは大変でした。『こんな階段をバギーが降りるなんて・・・』滉燿くんの身体が小さく体重が軽かったから出来たのですが、自分でやりながら驚いていました。設備が整っていない普通小学校では、障がい児の生活が難しいのが安全に関する事です。
16 股関節がずれているようです
さて、こんな日々を過ごしながら、平成16年の2学期も終盤の12月になりました。滉燿くんは、1年に2・3回、病院やH療育園でお医者さんからの健康診断を受けていました。病気というわけではないのですが、発育が順調かチェックしてもらうわけです。
12月に、H療育園でレントゲン写真を撮ってみると、股関節の骨が少しずれていると言うのです。
「これくらいは脱臼という程ではないですが、用心した方が良いですね。やっぱり立たせる立位訓練がちょっと無理だったのかもしれない」
新谷さんの意見でした。滉燿くんにしていた立位訓練は、訓練と言うよりちょっと立たせてみるという程度で、時間も長くて5分間位のものです。プロンボードは20分間立たせるので、負担がかかるのはこっちではないかと思いました。
「プロンボードは負担がかからないようにできていますから大丈夫です」
新谷さんの返事でした。私には、何がどう大丈夫なのか納得できる返事では有りませんでしたが、医療機関からの言葉では仕方ないので、立たせる訓練はやめにして、寝かせたまま体の固い部分を柔らかくする訓練だけをすることにしました。
17 どっきり十二月
12月は行事がいろいろある月ですね。街もクリスマスや年末に向けて、きれいに飾り付けられていきます。伊岐須小学校のなかよし学級でも、教室にクリスマスツリーを飾り、色画用紙で作ったサンタやトナカイの絵を壁に飾りました。そんな教室の中で、先生達を招待してプレゼント品を『売る』なかよし祭りがありました。本当は、前もって先生方に配っておいた引換券カードにハンコを押して、交換でプレゼント品を渡すのです。
この行事をするために、なかよし学級全員を4~5人の四つのグループに分けました。四つのグループには、それぞれ名前が付いています。『キードラゴン』、『ライオン』、『カービー』、『ブドウ』グループです。滉燿くんはキードラゴングループになりました。
なかよし学級のみんなで、どんなプレゼント品を『売る』お店を作るかを考えました。色紙で作ったサンタクロースの飾り、クリスマスリース、クリスマスツリー、ベルを売るお店などが考え出されました。滉燿くんのキードラゴングループは、サンタクロースの飾りを色紙で作ることになりました。もちろん色紙を折るだけでなく、顔を描いてみたり、金や銀色の丸いシールを張ったりしてかわいく工夫してみました。
グループのみんなで作り始めましたが、実際に作るのは苦労しました。なかよし学級の子ども達にとって、上手に折り曲げたり、描いたりすることは意外に難しかったのです。でも、上級生が頑張ってたくさん作ってくれたり、下級生の作業を手伝ってくれたりしたので作業ははかどりました。滉燿くんも丸い金色のシール貼り付けに頑張りました。
実は、滉燿くんはこんな図工的な作業は苦手で、作業を始めても直ぐにいやがって、泣いたり机の上のものを手でバラバラにしたりすることがよくありました。前にも書いたように、健康観察表をもたせても、パラリと落としてしまうなど指の力が入りにくいのです。手がうまく使えないので手先の細かい作業がいやなのでしょう。狙ったところにシールを貼る作業ですから、もちろん滉燿くん一人ではシールは貼れません。
そこで、私が滉燿くんの指に私の指を添えて、滉燿くんの指とシールをはさんで色紙の上に斜めに置きながら貼り付けていました。ほとんど、私が貼り付けているようなものですが、仕方ありません。そんな滉燿くんの様子を見ながら集中して作業が出来たときはどんどん作業を進めます。
「おー、滉燿くん上手にできたねー」
大げさに手を叩いてほめました。調子が悪い時は、無理せずに休憩したりビデオを見たりして気分を変えながら進めました。嫌気がさすようではいけません。こうして、どうにかプレゼント品ができあがりました。
なかよし祭り当日、会場は、なかよし学級の1組と2組の二クラスとプレイルームを使いました。この3つの教室は、教室の中にも出入り口があってつながっているので、お客さんが続けてお店を回るのに便利です。『お客さん』を迎える時間は昼休みです。お客さんの先生達は、2組から入ってプレイルームを通り、1組から出て行く順番で各お店を回ります。教室の中には4つのお店が作られています。滉燿くんのいるキードラゴングループは2組の入り口近くにお店を作りました。
それぞれのグループの中で役割が決められていて、受付や引き替えカードへのハンコ押しは上級生がやってくれます。下級生がサンタクロースの飾りを手渡しました。滉燿くんは、お客さんを愛想良く迎え、握手とともに笑顔で送る役割です。うって付けでした。
「ぎゃはは」
笑顔でお客さんをお迎えです。
「ありがとう」
顔を見ながら手話を使ってお礼をします。
「バイバイ」
最後に手を振って喜ばれていました。なかよし学級のみんなにとっても滉燿くんにも、そして先生達にも楽しいなかよし祭りでした。
大事件発生!
こうして滉燿くんにも私にとっても波乱と喜びに溢れていた平成16年(2004年)でしたが、最後に恐ろしい事件が起きました。
12月のその日は、朝から伊岐須小学校の上空をヘリコプターがバタバタと音をさせながら何度も旋回していました。音を聞いていると2~3機が飛んでいるようなのです。
「コレハ、ナニカジコカ、ジケンガ、コノチカクデオコッタナ」
それも大事件に違いありません。でないとこんなにヘリコプターがブンブン飛び回るはずがありません。気になっていると中休みに、職員は集合するようにと放送がかかりました。職員全員がそろうのを待って始まった説明は、伊岐須小学校の直ぐ近くの公園で専門学校に通う若い女子学生が首を絞められて殺されているのが発見された。と言うものでした。しかも、その公園というのが、伊岐須小学校の学童保育所の隣の公園だったのです。伊岐須小学校の運動場の端に行けば見える所にあります。また、民家も直ぐ近くにある場所なのになんてことだ。先生達の間に驚きと緊張が走りました。
とにかく児童達の安全を図らなくてはなりません。下校は、それぞれの地区毎の集団下校となり先生達が引率していくことになりました。念のため、先生は最後の一人になる子が家に着くまで送っていくことになりました。
しかし、運動場に全校の生徒が集合し、各地区毎に分けるだけでも大変でした。同じ地区でも方向によって出る校門が違う。お稽古事がある、おばあちゃんの家に行くなど様々な例外があって混乱しました。周囲を新聞やテレビなどの報道関係者が取り囲んで見守る中で大騒ぎでした。
夜、テレビニュースを見ていると、先生達が子ども達を引率して集団下校しているところなどが放送されていました。生徒を引率している自分も写っていて驚きました。この期間中、雨が降らなかったことは本当に幸いでした。雨が降って傘を持ちながらの下校指導は、苦労が倍化していたと思います。あんな騒ぎは二度とごめんです。
私は子ども達を引率した帰りに現場となった公園に立ち寄ってみました。花束がいくつも置いてありました。被害者は体が弱いのを克服して、歯科技工士を目指して、飯塚市の学校に勉強しにきていた19歳の娘さんということでした。これから人生への夢や希望に満ちあふれている若い人を手にかけるなんて・・・、犯人への憤りを感じながら、そっと手を合わせました。
結局、この事件は、犯人が3人目の犠牲者になるキャビンアテンダント志望の若い娘さんを福岡市で殺した事件から逮捕され、数ヶ月ぶりに解決しました。犯人が逮捕されたニュースを聞いた後、帰宅途中に現場の公園に寄りました。供えられていた花はすでに枯れていました。犯人が捕まっても若い命は帰ってきません。被害者の冥福を祈りながらそっと手を合わせました
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