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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11 最終章(2) 学校は校長が代わると学校も変わる!?

前編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11 最終章 (1) 復帰!再び滉燿くんの担任です。へはこちら


森田校長の方針のもと、学校の中がドンドン変わっていきます。校長が変わったら学校も変わる風景をお楽しみください(笑)。


 こうして期待と不安の中、平成20年度の1学期が始まりました。当初に学校長の1年間の教育方針の発表があります。
「年間教育計画は難しくやる必要はありません。4月に考えて、年間教育計画に書いて後は忘れました。ではいけません。いつでも誰の頭にもあるようにすべきです。また、常にチェックして改良するべきです。従って各係の先生は、自分の計画各項目に評価欄を作っておいてください。それを各学期ごとにみんなでチェックしましょう。私は、教職員の皆さんには教職員向けの年間教育目標を提案しますが、子どもたちにもよく分かって、覚えてもらうような一年間の目標を考えました。難しく言って誰も覚えていないようではダメです。それは、『きちんと真っ直ぐ頑張ろうです』教職員の皆さんもこれを覚えておいてもらえれば結構です」
 森田校長はメモを見ながらにこやかに話します。私は森田校長の顔を見ながら聞いていましたが、目に入る教職員達は引きつった表情で下を向いて聞いています。村田教頭先生も校長の隣の机で目をギロギロさせています。
 みんな相当緊張しています。緊張感が無いのは私ぐらいのものです(笑)。余りにもピリピリした雰囲気になんだか笑い出したい気分です。
『教職員を締めるために最初に頭をガツンとやる作戦だな。学級経営の常套手段じゃないか』
 展開される森田節を目の前におかしさを堪えていましたが、他の先生は、それどころではない様です。
「それから、職員会議に出す提案や外部通信に出す文書等は、係に応じて認め印をもらって下さい。例えば学級通信を出す時は、学年主任、教務主任、教頭先生で見てそれぞれ確認のハンコを押して下さい。最後に私が見ます。基本的には誤字脱字の確認が中心で、文章の書き方については言いません」
 そらきた、これだな、面倒くさいなあと思っていると他の先生も「えーっ」という顔をしています。校長は続けます。
「これは、みんなで見て最後に校長が見て責任をとるということです。これで私は皆さんを守りたいと思っています。全ては校長の責任です」
 そう言われると仕方無いな、校長も何かあったら納得して腹を切れるだろうと腹の中で笑います。
 校長の話が終わると、学年主任の先生達や各係の代表の先生が集まって運営委員会が始まります。私は何の役職にも就いていなかったので蚊帳の外です。そう言えば、伊岐須小学校に来てから運営会議には出た事はありません。教師生活が始まってから3年目から出ていた私でした。今は身体の状態が悪いので、仕事が回って来ないようにしていました。しかし、それは学校の中での私の評価だったのかも知れません。1時間ほどして終了して、出てきた同期の古田咲良先生に、野次馬根性で中の様子を聞いてみました。彼女は2年生の学年主任です。
「どうだった会議?」
「うーん」
 彼女はにんまり笑います。
「森田節が炸裂したろう?」
「それがねえー」
 首をかしげながら言います。
「森田校長がねー。何かダジャレを言うんだけど・・、誰も引きつって笑わないのよ」
 ハハハ、大笑い。


 まもなく昼休みです。新学期には、ある習慣がありました。午前中の仕事が終わると同学年の先生たちと出かけていって食事を楽しんでいました。給食がない間の先生たちの密やかな楽しみです。また、これはなにも贅沢ではなく、新しく同学年をくむことになった先生達にとっては、親睦の意味もあります。それで、話に花が咲いて帰校が14時くらいになることが良くありました。本当は規則違反でしょうが、終業時刻までに仕事を終わらせるか、終わらない場合は残って仕事を終わらせれば良いという暗黙の了解がありました。先生達は遅くまでの残業は日常です。
「昼休みは45分だ」
 言うなら
「17時5分終了の就業規則を守れ」
 です。
 私はなかよし学級が5年目で、同学年の先生も変わりません。食事に出掛けるのも、めんどくさくなっていたのと食事代を節約というけちな根性も有って、この頃は弁当にしていました。弁当を持ってくる先生はほとんどいなかったので『辻塚の愛妻弁当』で有名でした。
 午前中の仕事も終わりました。みんな出て行った後に、いつも学校に一人残って愛妻弁当を食べている村田教頭でも誘って、桜の木の下で花見でもしながら食べようかと考えながら立ち上がった時に皆の異変に気づきました。
 誰一人として食事に出て行こうとしません。自分の席で、パンとかコンビニ弁当を広げて、近くの人とガヤガヤしゃべりながら食事を始めていました。広い職員室に何か霞がかかったように見えました。それは異様な風景です。
 離れた場所に食事に行って、帰りが遅くなって叱られるのが怖かったのでしょう。
 仰天です。
 村田教頭の方を見ると、彼も愛妻弁当を食べながら電話に出たり職員と応対して忙しそうです。私も花見を諦めて自分の席で食べるしかありません。翌日も同じパターンです。何かイヤ感じ。村田教頭を思いきって誘いました。
「俺もそうしたいんだけど、忙しいっちゃねー」
 4日目になると、さすがに他の先生たちもコンビニ弁当に飽きたのか、近くのうどん屋さんに出かけていく学年の先生も出始めました。時間までに帰ってくれば良いのです。今日は強く村田教頭を誘いました。
「村田先生。飯ぐらいゆっくり食いましょうよ。昼休みはあるんだから」
「でもねー、校長がここで(職員室内の校長用の机で)食べるから、俺もここで食べんとなー」
 変なことで渋ります。
「じゃあ、花見をしようとは言いませんから、職員室の後ろのテーブルの所で食べましょうよ。校長には俺から声をかけますから」
 校長室に入ると森田校長に声をかけました。
「校長先生、私と村田教頭と弁当3人で一緒に食べませんか?校長の湯飲みにお茶入れて後ろの机に持って行っておきます。どうですか?」
「ああ、そうね」
 森田校長は返事をして弁当を持って私の後ろからついてきました。
 それを見て村田教頭もやってきます。3人で向かい合ってテーブルに座りました。やっと久しぶりの学校らしい食事です。3人の会話ものんびりの世間話です。ピリピリしたものではありません。ピリピリしたいやつには勝手にさせておけば良い。しかし、
「校長先生電話です」
「教頭先生、業者の方が見えています」
 全部食べきれないうちに、呼び出しが来て、そこで3人の会食は終わりました。忙しさは変わらず。


67  滉燿くんへの森田校長の方針

 4月1日から始めた新学期の準備は、どんどんと進みます。クラス担任が決まると次は教室の配置決めです。何年何組の教室は、どこにするかという話し合いです。
 滉燿くんが入る6年2組の教室が問題となりました。この学級は滉燿くんがいるので、4年生から5年生までの2年間、北校舎の1階の教室で過ごしていました。上級生になると本校舎の2階、3階になるのが普通で、高いところにある教室が子どもたちの楽しみです。もし、今年も1階の教室ということになると、この学級は3年間1階の同じ教室ということになります。表だっては声は出てこないとは思いますが、滉燿くんのために37人が我慢することになります。しかし、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という考え方があります。担任の沢田先生は、当然1階の教室と考えていました。
「あの子まだいたのかあー」
 話を聞いた森田校長は、職員室に響き渡るような大声を出しました。それが、余りにも素っ頓狂だったので職員室のあちこちから失笑が漏れます。
「滉燿くんに無理があった場合は、特別支援学校に移りますということだったけど、今だにいるということは生活がうまくいって、よほど居心地が良かったのだな」
 他意はないのでしょうが、私の方をチラッと見たような気がしました。
「この件については少し考えさせてほしい。午後までには結論を出す」
 結論は保留されました。
 15時頃、私と沢田先生は校長に呼ばれました。私達は職員室の校長の机の前に並んで立ちます。
「6年2組の教室について結論が出ました。6年2組の教室は、例年と同じように3階の教室とします」
 とたんに沢田先生が叫びます。
「どうして1階じゃダメなんですか?あの子たちは一緒に過ごしてきたし、素晴らしい教育実践じゃありませんか!」
「沢田先生、大丈夫ですよ。3階でも私が抱えて上げるし、万が一、ひっくり返るようなことがあったら、私がかばって彼にけがをさせるようなことはしませんよ。これまでと同じ様にできるはずです」
 2人のやりとりを聞きながら落ち着いた声で森田校長が続けます。
「滉燿くんは、原則として階段を上がらない。1階で過ごさせる。2階にある特別教室も行かない」
「じゃあ、どうやって交流をするんですか!」
 納得できずに、憤懣やるかたない沢田先生は責め立てます。
「例えば、給食時間、班単位の人数で毎日交代でなかよし4組に行けば良い。お盆に自分の給食を持って出かけていくわけだが、それは大変だとの声が出るかもしれない。しかし、『滉燿くんもこれまで苦労してきていたのよね。それをわかったあげてね』と返してやれば良い。音楽の時間には、なかよし4組の教室に6年2組全員で行って、滉燿くんと一緒に音楽の授業をすれば良い。それから辻塚君、抱え上げると言うが転落の危険は必ずある。そうなった時に責任は取れるのか?それに、君が怪我した場合、君にも妻や子どもたちがいる。もしもの時に、家族に対して責任が取れるのか。私は校長として、職員の安全にも責任があるのだ」
 森田校長にこう言われると、私達は返す言葉はありません。沢田先生もようやく納得しました。
 話が終わった後、学校の倉庫へ行って、保管してある古い児童用の机と椅子を探しました。交流にやってくる子ども達の給食用の机にするためです。高さが同じで、比較的きれいな机と椅子を6脚ほど選ぶとなかよし4組の教室に運んで、滉燿くんが使っている机を含めて長方形の班の形に並べました。

 1学期が始まると給食の時間は変わりました。滉燿くんと私の給食は、手の空いた職員が教室までもってきてくれます。滉燿くんが一足先に給食を食べていると、廊下に食器が触れ合うカチンカチンという音と男の子や女の子の楽しそうなおしゃべりの声がして、6年2組の友達がやって来ます。普通にお盆を机において椅子に座ると楽しくおしゃべりをしながら食べ始めます。教室のこと遊びのことゲームのこと、周囲の人数が少ないだけでいつもと変わらない給食の風景です。
 音楽の授業も時々なかよし4組の教室であります。6年2組が全員でやってきて床に座っての授業です。滉燿くんも鈴やカスタネット、太鼓を叩いて授業に参加しました。新学期は、こんな風に進んでいきました。


後編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11(3) やったぞ!! 滉燿が歩けた!ゴールへ着いた!間に合った!!へはこちら


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