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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 10(6) 大大大ピンチ!!!病休です
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運動会以降、私の身体はキツくて動かなくなってきました。病休となってしまいました。
5年生2学期(2007年 平成19年)
65 大ピンチ到来
運動会が終わりました。夏休みに西木君に言われたように、胸の緊張ゆるめと歩行に力を入れてリハビリ訓練しています。歩行器は、きさく工房の時枝さんが作ってくれました。今度の歩行器は本格的なもので、アルミパイプを使い、体が入るようU字形になっていて、下に車輪がつきます。高さは滉燿くんの背の高さに合わせています。姿勢を保つために、上のU字形の真ん中に、自転車のハンドルの様に横長い棒がついていてここを握ります。肘の部分には、肘が置けるようにクッションがついていました。歩かせてみると、滉燿くんはのろのろのスピードですが自分で歩いてくれています。
こうして滉燿くんの訓練方針が決まり、希望が開けたかに思われました。
しかし、ある月曜日、起きた私は体に変な不快感を感じました。朝食をとると少し良くなったのですが、午前中の後半から少しずつ体のだるさが強くなってきます。
その日、私は学年通信を昼休みに書くことにしました。本当は、少しゆっくりしたいのですが、今週中に発行する予定だったので早めに他の先生達に見てもらっておかねばなりません。疲れた身に鞭を打って書いていました。
昼休みが終わると掃除時間、続いて五校時。不調な私にとって長い時間に感じてやっと終わりました。迎えに来たお母さんに滉燿くんを手渡し、ホッとしたいのですが月曜日は同学年会です。
同学年会は、いつも職員室の後ろにある十人くらい座れるテーブルでやっていました。私は、先生達が集まるまでグッタリ椅子に座って待っていました。会では今週の予定や生活単元学習の進め方について話し合います。話が一区切り付いたところで、学年通信と十月の終わりにする予定の研究授業の指導案を配ります。
「通信をザーッと打ったので見ておいてください。これを入れて欲しいという内容が有ったら言ってください。それから、これ指導案です。これも暇があったら見ておいてください。誤字脱字、何か気づいた点があったら言ってください。お願いします」
「もう指導案書いたんね。早いね」
他の先生達の声を背に、ノロノロと自分の席に戻りました。まだ、女性の先生達は何か話をしているようですが、そんな話につきあう元気はありませんでした。椅子にドスンと座るとお尻を前に出し、椅子に寝そべるように体を斜めにして背伸びをします。椅子からズリ落ちそうでしたが、かまわず目をつぶって力を抜きました。
帰宅すると、玄関横の座敷に入り、鞄を放り投げると畳の上に横になりました。目をつぶるとそのまま眠り込んでいました。目が覚めるともう真っ暗です。横では、妻と子ども達が布団を敷いてスースー寝ています。座敷にはクーラーがあるので、暑い間は妻と子はここで寝ていたのです。ソッと起き上がると二階の自分の部屋へ行きました。最低の気分でした。
翌日、目を覚ました瞬間、事態がもっと悪くなっていることを感じました。ジーンとからだが痺れます。熱こそ無いけど、インフルエンザにかかった様に体がきしみます。『何とか週末まで乗り切らねば。土日にゆっくり休もう』自分に言い聞かせて学校へ出かけました。
今日は火曜日。滉燿くんはH療育園の訓練の日です。午前中頑張れば、午後は少し休めます。学年通信も仕上げられるでしょう。
「お母さん、今日H療育園でしたよね」
「ええ、いつものように午後二時半頃迎えに来ます」
確認すると、いつもの返事が返ってきました。辛く長い一日が始まりました。訓練も勉強も体はギシギシきしんでいます。やっとの思いで午前中が終わり、給食が終わりました。オムツ換えが終わってホッとしている所へ、お母さんから電話がありました。
「先生すみません。妹の具合が悪くなったのでH療育園行きは今日はやめておきます。滉燿そのままお願いしてて良いですか?」
がっくりきましたが、迎えに来てくださいと言えるはずもありません。滉燿くんの正式な学校の時間は6校時まであるのです。頑張るしかありませんでした。6校時は5年2組との体育でした。体育館で滉燿くんのバギーを押しながら、体育をやっていると、だんだん気分が悪くなってきました。今度は吐き気まで加わってきます。体育館で先生が吐いたら恥ずかしいです。なかよし4組に帰ることにしました。
「大丈夫ですか?辻塚先生、顔色悪いですよ」
沢田先生が心配してくれます。なかよし4組で滉燿くんをバギーから畳の上に降ろし、肩で息をつきました。苦しくっても滉燿くんにとっては、まだ6校時です。残りの時間、何か体育的な授業をしなくてはなりません。
仕方なく、毛糸で出来た柔らかいパイルボールを取り出ました。滉燿くんと向かい合い、畳の上を転がしてキャッチボールを始めました。私が滉燿くんの正面にボールを転がします。滉燿くんは笑いながらボールを受け止めて返してくれます。でも、滉燿くんに向かって転がしたボールが少し逸れると、滉燿くんはそれを体を動かしてはとってはくれません。滉燿くんはストライクでないと取ってくれません。パイルボールはまん丸ではないので、まっすぐ転がりません。ボールが逸れる度に、ボールを追いかけて取りに行かねばなりません。いつもは何でもないことなのに息が上がります。
長い長い6校時目が終わりました。やっとお母さんが迎えに来てくれて、滉燿くんを車に乗せるとさよならをしました。本当は一休みしたかったのですが、いやな予感がしていました。やりかけの学年通信を大急ぎで仕上げにかかりました。『もし長期に休むような事態になった時でもすぐわたせるように・・・』そうならないように祈るしかありませんでした。
終わりがこないかと思われるような長い一日が終わり、ようやく帰宅して、また、座敷に転がり込みました。目をつぶると体の力が抜けていきます。そのまま泥のように眠り込んでいました。どれくらい眠ったでしょうか?目が覚めた時は真っ暗でした。隣では、昨晩と同じように妻と子が眠っています。時計を見ると12時少し前でした。気分は最悪でした。起き上がろうとしたとき、体のきつさにゾッとしました。
起き上がるのをやめ、横になったまま考えました。このきつさは尋常ではありません。もはや明日からの勤務を行う力は残されてはいませんでした。このままでは病休を取るしかない。しかし、自分が休んだら滉燿くんはどうなるのだろうか?せっかく歩行訓練ができるようになってきたのに、また逆戻りで体が固くなってしまうに違いない。これまで3年半の努力が水の泡だ。休みたくない!でも、もう動けない!なぜ急にこんな状態になったんだろうか?猛烈に忙しかった訳でもないのに・・・。頭はぐるぐる回りますが、原因に思い当たる節はありませんでした。暗闇の中で心は揺れ動きます。『明日は行けるのか?』自分に問いかけます。『行けない・・・』私の心がかすかに答えます。もうだめでした。病休に入ることを決心しました。清水の舞台から飛んだ気分でした。これで何度目の病休だろうか?気持ちは沈み込みながら眠り込んでいました。
翌日、学校へ連絡してから、妻に野本クリニックへ送ってもらいました。フラフラで自分で運転するのは危険です。
「悪化したね。休んで直した方がいいね。状態から考えると、年末いっぱいまでは休んだ方がいいな」
野本先生は、直ぐに病休の診断書を書き出し始めます。その手元を見ながら、『待ってくれ・・・』という思いと『またか・・・四回目の病休だ』沈み込む思い。診断書をもらって、妻の運転で学校へ送ってもらいました。
驚いて出迎えてくれた校長先生と村田教頭先生に事情を説明し、診断書を手渡しました。
「伊岐須小が悪い訳じゃないんです。なんでこんな状態になったのかよくわかりません。強いて言うなら、これまで病気が悪いのを我慢して我慢してやっていたのが、限界に来たのかもしれません。前任校の八木山小で負った傷なのに、伊岐須小に迷惑をかけてしまって本当に申し訳ありません」
頭を下げるしかありません。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「仕方ないね。まだ、悪いのを無理して出てきていたから悪くなったのでしょうね。年末までの休みを使って今度こそしっかりと直しなさい」
校長先生は優しく言ってくれました。
「辻ちゃん、滉燿も心配やろうが体が大事だよ。しっかり直しなさい」
村田教頭先生の言葉もありがたく感じました。私は同学年の兵藤先生や島先生、大田先生に病休の挨拶を簡単にすると、校長先生、教頭先生の見送りで学校を後にしました。
帰宅するとベッドに倒れ込みました。気分の悪い体を横たえるとスーッと楽になっていくのを感じます。
『これからは直すのが仕事だ。今度こそ絶対直してやるぞ。直るまで学校には行かない。そのつもりで治療するんだ。こんな思いは二度とごめんだ』
固く決心しました。
その夜、滉燿くんのお母さんに電話を入れました。
「どうもすみません。滉燿くんや伊岐須小学校のせいじゃないんですけど、体が悪くなってしまいました。前の学校で悪くなっていたのがぶり返したようです」
電話を握りながら謝ります。
「校長先生から聞きました」
お母さんは、ちょっと怯えたような声です。
「滉燿くんの訓練のことが心配なんですけど、ちょっと休ませてもらうしかありません。体が固くならないように、膝伸ばしや立位を少しずつでもやっていてください」
『できるかなあ』大げさに聞こえますが必死でした。
「わかりました。出来るだけやってみますね。先生は無理しないで休んでいてください」
小さな声で言ってくれました。自分の息子のことより私のことを心配してくれているようでした。
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