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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん !~明日を信じた5年間~ 1(5)リハビリをしたいのです  ダメだダメだ言うな!


前編 立ち上がれ滉燿くん !~明日を信じた5年間~ 1(4)なかよし4組の日々へはこちらへ


「ダメだダメだ言うな!」と反対を押し切って始めたリハビリ訓練。しかし、毎日が賽の河原状態。やはり無理なのか!?
                    
2年生1学期(2004年 H16年)


5 リハビリをしたいんです

 滉燿くんは不自由な身体の動きから『滉燿くんは、障がいが重くて自分では何も出来ない子』と考えられていました。ベビーベッドで寝ている姿しか見ていない先生も多いので無理もありません。滉燿くんは何をするにも必ず人の手が必要でした。椅子に座ることも出来ないのです。
「まあ、滉燿くんが座っている」
 畳の上に座っている姿を驚く先生もいました。

 試しに、滉燿くんの腰の所を両手で持ちながら、滉燿くんが自分の足で立つようにします。すると滉燿くんは、つま先が床につくやいなや、「足を着けるのいやだよ」とばかりに足を上に上げてしまいます。強引に足を床に着けて、滉燿くんの身体を手で支えて真っ直ぐに立たせようとしても、グニャグニャで糸の切れた壊れた操り人形のようでした。『これは失調型のマヒか・・・』心の中でつぶやいてため息をつきました。
 中枢系、特に小脳がうまく働いていない事に原因があるマヒの様です。CTスキャンで撮影した小脳の画像を見ると、小脳は軟式テニスのボールを輪切りをしたような中空でした。それらのことを合わせて考えると、ここから回復するのはまず無理というのは全く妥当な考えでした。
 
 私は、二人が初めて出会った時の事を思い出していました。バギーに座っている滉燿くんを見た時に

 それは思ったというよりも、心の中にかすかに浮かんでは消えたという表現がぴったりなほどの小さな思いでした。『勘』のようなものでしょうか?今考えてみると滉燿くんの首が据わっていて、目つきがしっかりしていたために、そう思ったのかも知れませんが、立つようになれるという科学的な根拠は全くありませんでした。だから、『そんなばかな』と直ぐに打ち消したのです。しかし、滉燿くんを受け持ってから半月経ちました。

「この子は本当は立てるんじゃないか。立って歩けるんじゃないか?お前は何もやらないのか!お前は立たせるための技術をもっているじゃないか!この子を見殺しにするのか!」

 心の中にいるもう一人が、ずっと責め続けていたのです。
 しかし、現実の私は冷静でした。
「この状態から本当に歩くことが出来るようになると思っているのか?」
 そう問われると、
「歩けるようになります」
 断言する自信はありませんでした。確かにリハビリのトレーナーの資格を持っています。でも、ずっと小学校の先生でやってきました。小脳がほとんど無いほとんど寝たきりの子にリハビリ訓練をほどこして、身体の動きを改善させることが出来るなんて、常識で考えるととても無理でした。

 しかし、物事は何でもやってみないと分かりません。やれば奇跡が起こるかも知れませんが、やらないと絶対に奇跡は起こりはしないのです。
 頑張れば千に一つ位の可能性が出てくるが、やらなければ0です。だが、0より千に一つ(0.1% )の方がマシだ。やってみる価値は有る!

 私は自分の勘を信じることにしました。0.1%の可能性にかけてみることにしました。ようやく、滉燿くんにリハビリにする決心がついたのです。


6 できない、できない言うな!

 私がいくら決心したと言っても、自分の好き勝手にリハビリをすることは出来ません。最初に両親に考えを伝えました。
「先生がやってみたいと言われるのなら、どうぞやってみてください。でも、訓練はすでにH療育園で週に一回受けています。ほとんど効果が上がらないのです。訓練そのものを嫌がってぐずってさせないので、効果を望む前に、訓練そのものが出来ていないのです。今は、週に一回火曜日の午後に訓練を受けに行っていますが、一歳くらいの時は週二回行っていました。ほとんど良くなっていないんです。先生が頑張られるのはいいのですが、かえって気の毒で・・・という感じです」
 さらに、
「病院にも連れて行って専門のお医者さんに見てもらっていますが、せいぜい健康のチェックぐらいです。身体の動きが良くなるようにはなりませんね。滉燿には、人間が運動をする上で、大事な働きをする小脳がほとんど無いですから仕方ないことなのですが・・・」
 両親の返事でした。積極的な賛成ではありませんが、ともかく両親の許可を取り付けました。

 次は校長先生です。吉田校長は、この企てに賛成して「滉燿くんが、少しでも良くなるのならやってみなさい」と励まされると思っていたのですが、返事は全く逆でした。
「そんな経験が浅いことをやって、事故があったらどうするの?それに、先生は資格は持っていると言うけど、やっていたのは十数年前の学生時代の話でしょう。たくさんの障がい児を見たわけでもない。ここは普通小学校の中の障がい児学級なんだから、無理することはありません。両親からも要求されていないことをわざわざやる必要はないでしょう」
『実績もないのに無理するな。事故があったらどうする』
 考えてみるとこれは当然かも知れません。校長先生は学校に通っている子ども一人ひとりに責任があります。
 でも、ここで校長先生を説得しなければいけないと頑張りました。
「肢体不自由児は、成長するに従って身体の色々な部分が固くなっていって動きが悪くなります。今、リハビリをすることは、それを防ぐということからも意味があります。それに、もし奇跡的に回復して歩けるようになったら、今後もずっと滉燿くんを介護する両親が、どれだけ助かるか分かりません。どんな方法でも効果が上がれば必ず喜びます。やらせてください」
 断固として自分の意見を主張しました。頭を下げました。お願いします!させてください!許可をください!
「自分勝手な訓練はしません。病院や今通っているH療育園の意見を聞きながら、事故が起きないように慎重にゆっくりと訓練を進めます」
 やっと校長先生は同意してくれました。ホッ。

 次はH療育園です。H療育園は学生の頃から知っている障がい児・者の為の療育施設です。滉燿くんが受けている訓練や医学的状態を教えてもらわねばなりません。これからやる訓練方法についても、意見交換をする必要がありました。
 私は相談するためにH療育園に電話をかけました。直ぐにいけると思っていたのですが、来るなら三週間前に依頼を書類にして出して欲しいと言うことでした。なんで三週間もかかるのか不思議でしたが、向こうの言う通りに書類を送りました。
 『早く取りかかりたいのに・・』はやる心を抑えかねていましたが、ようやくH療育園に行くことができました。平成16年5月12日のことでした。
 私はH療育園に行くのは初めてでした。中に入って二階に上がると、マットを床に敷いた広い部屋がありました。そこは子ども達が訓練を受ける部屋でした。リハビリの道具がすみの方に置いてありました。

 その部屋で担当作業療法士の新谷さんに会いました。新谷さんは、まだ二十代の若い女性のトレーナーでした。し・か・し、
「滉燿くんは、障がいがかなり重いし、リハビリへの意欲が低いので、回復は難しいでしょうね。ここへ来ても、なかなか訓練を受けようとしないので困っているんです。こう訓練への意欲が低いと効果が上がりにくいですね。それに、障がいをもつ子は、小学校に上がる時くらいから体の機能が落ち始めることが多いんですよ。滉燿くんも2年生になったので、これから伸びていく可能性はとても少ないと思います」
 のっけから言われました。
 事実、訓練に通い出した頃と較べても滉燿くんは、ほとんど身体の状態は良くなっていないということでした。『やっても無駄だ』そんな言葉が聞こえてきそうでした。

 ここでも、またまた『ダメだ』です。なんでこんなに反対が多いんだ!段々腹が立ってきました。

「動作訓練をやられていたのですか?あれは事故がよくあってですね。訓練中に骨折事故もあったりして困るんですよね」
 内心かなりムッとしました。
『何でこんなに若い姉ちゃんに、こんなに言われなきゃならないんだ。何の世界でも上手・下手がある。下手なトレーナーがやっても効果は上がらんが、上手なトレーナーがやれば難しい子でも効果が上がるんだ』
 腹の中で思いましたが口には出せませんでした。

 私が有名な人間であれば、こんな事は言われないのでしょうが、ここでも私の実績がないことがネックとなっていたのです。
『たかが小学校の先生なんかに何がわかる』
 聞こえてきそうでした。私は黙っていましたが、

『やってもいないくせに、どうしてわかる。頭で考えて端から諦めるやつがいちばん嫌いだ。とにかくやってみるんだ』

 尊敬する自動車会社ホンダの創業者である本田宗一郎さんの言葉を思い出していました。必ずや効果を上げて見せて見返してやると闘志を燃やし始めていました。
 これまでの滉燿くんのリハビリの資料やレントゲン写真などを見せてもらって説明を受けました。新谷さんはレントゲン写真の股関節の部分を示しながら丁寧に説明します。
「ここの部分が若干ずれているので亜脱臼の状態ですね」
 詳しいことは分かりません。しかし、骨の状態など良く知っておかないと骨折させてしまうなどの事故につながります。
 私の目からも滉燿くんの骨は細くて、影が薄いのがよく分かりました。(後で聞いた話では、レントゲン写真の影が濃い、薄いは単に写真の写り具合にしかすぎず、骨の丈夫さとは関係なかったそうです)私はレントゲン写真をしげしげと見ます。
「学校の先生が子どもの様子を見に来ることは良くありますが、レントゲン写真まで見ていくのは辻塚先生が初めてです」
 新谷さんはへーっと意外そうです。

 その後、一時間程、訓練の様子を見せてもらいました。メモを取りながら時々質問します。脚を曲げ伸ばして行う股関節のリハビリは初めてでした。うつ伏せにして片方の脚を膝から曲げ、出っ張ってくるお尻(股関節)を片手で押さえながら、膝を上に上げていく股関節亜脱臼に効果ある訓練も初めて見る訓練でした。
 滉燿くんは皮で出来た足にピッタリ合った靴を履いています。滉燿の足の裏の土踏まずは良くできていません。いわゆる扁平足です。しかも、裸足で立たせると脚のくるぶしの内側の骨が下へ落ち込むような形になります。弱点をカバーするために特別に作られた革製の靴を履いていました。靴の内側が土踏まずの大きさに盛り上がっていて、足の大きさとぴったり合うように作られています。紐の代わりにマジックテープで締めるようになっていました。滉燿くんの足の形にぴったり合った靴なので、靴と足との間に隙間が空いている所などがあってはいけないそうです。そのため、かかとの所にかかとが靴の中にピッタリ合っているかを確認するための穴が空いていました。この靴を履かせるのが難しかったので、上手にはかせる方法を教えてもらいました。

 滉燿くんが嫌がるので訓練にならないと言うことでしたが、この日は新谷さんの指示にだいたい従って訓練が進んでいました。「今日の滉燿くんは良く訓練するね。学校の先生が来ているからかな」 新谷さんは首をひねります。 
 最後にプロンボードという身体を立った状態に固定する器具の話になりました。このプロンボードの滉燿くん用を作って、家においているのだけれど全然使ってない。学校で使ってみては、ということでしたが、そんな器具を見たことがない私は、使い方を言われても、どう使えばいいのかさっぱり分かりません。結局、帰りに滉燿くんの家に寄って、プロンボードなるものを乗せて学校に運んで行くことにしました。使い方は、新谷さんが自分の休みを利用してわざわざ学校まで来て教えてくれることになりました。

10月頃の写真 リハビリの効果が出て姿勢が伸びています 

 新谷さんは翌々日に来てくれました。プロンボードは、一言で言うと人を乗せて立つ角度が変わる枠のようなものです。「使い方はですね」 新谷さんがプロンボードを操作しながら、丁寧に説明してくれました。ちょうど腕の部分の前に広い板があって机のようでした。「これは何に使うんですか?」「二十分間ただ立っているのは退屈なので、ここにブロックや絵本などを置いて手遊びをしたり絵本を見たりしてなどができるようになっています」
 新谷さんは優しく教えてくれました。それなら、滉燿くんが好きなビデオを見せようと思いました。「滉燿くんが学校でどんなことをしているのか知りたい」 
 新谷さんはプロンボードの使い方を教えてくれた後、『ついでですから』と、ほぼ一日中、学校で過ごして行きました。なかよし学級での勉強や給食はもちろん、体育や他の授業も見ていきました。折角の自分の休みの日をトレーニー(リハビリを受ける子どものこと)のために使ってくれるなんて、立派な人とムッとしたことを忘れて感心していました。

7 リハビリ訓練開始

 滉燿くんのリハビリを開始しました。平成16年5月14日のことでした。当時の記録ノートを見ると訓練項目としては、次のようなものでした。

① 脚伸ばし
 ○ 脚の筋肉を両手で引っ張るように伸ばしま
  す。
② 足首緩め
 ○ 足首を伸ばしたり曲げたりして柔らかくして
  いきます。
③ 股関節亜脱臼防止の動き
 ○ H療育園で聞いた方法です。
④ 足底
 ○ 足底を床に押しつけながら前後に少し動かし
  て土踏まずの形成を促します。
⑤ あぐら座位での腰入れ
 ○ 滉燿くんをあぐらで座らせ、後ろに出る腰の
  所を自分の足の裏で押し込みます。   
 ⑥ 長座位での腰入れ
  ○ 長座の姿勢をとらせて後ろに出てくる腰を
   私が押し込みます。
 ⑦ プロンボードによる立つ
  ○ プロンボードという機械に真っ直ぐに立つ
   つ。倒れないように背中とお尻の部分をベル
   トでとめます。
※ ひざ立ち訓練も紹介しておきます。


画像簡単なメモを取りながらやっていました。字が汚いのは訓練直後の疲れと思ってください(^▽^) 

 この様な訓練を一時間ほど行ってみました。この第1回目の訓練は、言わば、病院の初診と同じです。滉燿くんの身体を触って動かしてみて、どこの部位に問題があるのかを見つけていきます。動きにどんな問題があるのか、どうしたら良い動きへと、もっていけるのかを診断して訓練(治療)方針を考えていくわけです。

 身体を少しずつ動かしながら、細かいところを見て行きました。上半身の部分(主に首や肩、腕、背中など)には固くて動きが悪いところは少なく、下半身の部分(主に腰や股関節、膝、足首など)が固くて動きが悪いことが分かりました。単純に言うと、下半身の関節の部分がうまく曲がったり、伸びたりしないわけです。

 滉燿くんは手を使った作業も苦手でした。自分の手を使って食べることすら出来ません。これは手の関節の動きが悪いと言うより、手をうまくコントロールして物をつかんだりする練習が出来ていないのだと考えました。手の訓練を優先するか、下半身の訓練を優先するか考えましたが、下半身の動きを優先することにしました。

 滉燿くんの今の生活を考えると、本人は手を使えないことはそれほど不自由に感じていないようです。それより、場所を移動することが出来るようになる下半身の部位の動きが良くなる方が、本人は訓練効果をより大きく感じてやる気が出やすいと思ったからです。最初の目標を下半身の部位で動きが固い所を柔らかくすることにしました。関節などの動きを柔らかく緩めるので、これをリラクセーション訓練と言っています。


 ここで、私がやっていた「動作訓練」の説明を簡単にしてみましょう。九州大学で開発されていたものです。私は大学時代(1981~1984年)に学びました。当時、正式名称は「心理リハビリテイション」で、私達は略して「心理リハ」と言っていました。その中の動作不自由を改善する方法が「動作訓練」です。一見、ストレッチをする様に見えますが、考え方が違います。

 たいていの人は、足首を曲げたり伸ばしたり自由に出来ますよね。では床に座って大きく足を広げ、身体をうんと前に倒してみてください。これで顔が床に着けば大したものですが、ほとんどの人は着かないと思います。ほとんどの人は「あ痛いたたた!」となると思います。そんな固さが滉燿くんの下半身の関節にあると思ってください。

 身体が不自由な子を床に仰向けで寝かせると、膝がぽこんと浮き上がることがよくあります。押さえてみてもガッチリしていて、それ以上床に着きそうにありません。この状態を見て「この子は膝が固い」と言うわけですが、私達がスポーツをする時に普通に使っている『身体が固い』とは違います。

 スポーツなどでの『身体が固い』は、関節とその周囲の筋肉が伸びにくくなっているために起こること。関節の動く範囲が何かの原因で小さくなっていたり動きにくくなっている時に起こります。しかし、脳性マヒをはじめとして、障がいをもつ子の『身体が固い』は違うのです。
 動作訓練では、身体が固い子達は『腕や足に力を入れたり抜いたりすることがうまく学習できていない』と考えています。つまり、本当は足の力を抜いて膝を伸ばすべきなのに、本人は無意識に足の力を入れてしまって、膝が曲がって浮き上がってしまっているのだと考えるのです。
 私は、障がい児と一緒に泊まり込む訓練キャンプや遊ぶレクリェーションキャンプで、一緒に寝泊まりした経験があります。寝ている手足の不自由な子どもが、寝ながら頭や背中をかくのを見ました。無意識だと手足を自由(?)に動かしているわけです。不思議なことに目覚めている状態では、背中をかいたりする動きは出来ません。それで『身体の不自由な子は動きを正しく学習していない、又は、学習し間違えているのだ』という考え方は理解できました。

 私(トレーナー)が子どもに訓練をする場合、単に足を曲げ伸ばしするのではありません。

 これを常に考えてやっていました。身体の動かし方を『学習』させていたわけです(それで「先生」がする教育の方法の一つ)。それが分かった時、トレーナーとしての私の力量は飛躍的に伸びた気がしました。受け持ちの子どもの身体の動きが、目に見えて良くなっていくように思えたからです。子どもに正しい動きを学習させることの上手か下手かが、トレーナーの腕になると考えていました。長々と「動作訓練」の説明をしてしまいましたが、2回目の訓練以降は、特に腰、股関節、膝、足首にある固さを取る訓練を重点的にやることにしました。滉燿くんは特に固い上に、ここが立つための重要な部分だからです。腰や膝が曲がっていては身体が真っ直ぐに立つことなど不可能だからです。


8 日々の訓練

 さあ、方針も出来ました。私は慎重に訓練を進めていきました。骨折や筋肉の切断などは絶対に避けねばなりません。曲げ伸ばしでも、もう少し出来ると思っても、必ずその手前で止めるようにしました。焦りは禁物です。1回目の訓練項目に加えて、
⑧ うつ伏せでの股関節伸ばし
 ※ うつ伏せにしてお尻の上くらいに左手を置き、
  お尻が浮き上がってこないようにブロックしな
  がら右手で太もものところをもちあげる。
⑨ 膝伸ばし
 ※ 仰向けにして片手でふくらはぎをもち、もう片
  方の手で膝の上からゆっくりと押して、膝を伸
  ばす。
⑩ 足首の曲げ伸ばし
 ※ 足首の特に曲げる方が固かったので、私は片方
  の手を足底に当て、もう片方の手をアキレス腱
  のところをもって、足首が90度に曲がるよう
  に曲げる。
⑪ あぐら座位での腰入れ

モデルはお母さん 

※ 滉燿くんにあぐらで座らせます。滉燿くんは、腰
 が後ろに出っ張って姿勢の悪い?アグラ座りとな
 ります。私は滉燿くんの後ろに座り、彼の両肩を
 つかみ、私の右足の足の裏を使って、滉燿くんの
 出っ張っている腰を押し込んでいきます。

 ⑫ 立位訓練
  ※ 立位訓練は靴を履いて立たせて行う訓練で
   す。滉燿くんは、立つと膝が曲がり腰が引け
   ます。私が左膝を立てて床に座り、自分の左
   膝を使って、滉燿くんの膝が前に出ないよう
   にブロックします。そうして滉燿くんのお尻
   を右手で押します。

 ところが、新谷さんは「股関節に負担がかる」と、この立位訓練に反対でした。私は少し重さがかかるような訓練の方が骨の発育に良いのでは、と考えていましたが、慎重に、立位訓練は五分間以内で止めるようにしていました。
 その日の滉燿くんの状態や調子を見ながら、訓練項目を増やしたり減らします。訓練の最後はプロンボードに乗せて20分間位立つ練習です。この時は退屈なので、滉燿くんの大好きな手話のビデオ、ちょっと古いけど「ニコニコぷん」のビデオを見せていました。

 もう少し詳しく滉燿くんに行った訓練のやり方を説明すると・・・・。
 一気に押したり、ひっぱたりするのではなく、滉燿くんが力を緩めたときに少し膝を押します。力が入った時には、
「それ違うよ。力が入っているよ。」
 押す手を止め滉燿くんに声をかけて教えます。膝が真っ直ぐ伸び、最終的には膝の裏側が床に着くようにしていったわけです。言葉で書くとたったこれだけですが、120度くらいで曲がって、固く伸びない滉燿くんの膝は、そう簡単には床に着くようになりません。その日の訓練の中で『このくらい伸びれば今日は成功だな』と感じるところで、次の訓練を行っていました。

 身体の部分を押したり引いたり支えたり、かなり力が必要です。トレーニーが膝を曲げて立たせた状態で行う『膝立ちの訓練』では、滉燿くんのグニャグニャの身体を膝立ちになるように支えます。先ず、滉燿くんの左横に座ります。次に自分の両脚で、滉燿くんの膝の所を脚で挟み込んで、動かないように固定します。そして左手で滉燿くんの胸の辺りをもって体を支えます。その状態で、右手を使って滉燿くんの出っ張ってくる腰を押し込んで正しい位置にもっていくようにします。時には右手の力だけでは足りずに、自分の右膝を立てて、右膝で右腕の後ろから押して右腕が腰を押し込むのを助けることがありました。

 無理な姿勢で滉燿くんの身体を支えることは、かなりの重労働です。だれか手伝ってくれる人がいれば、支えてもらいながら訓練することが出来るのですが、そうは行きません。学生時代の訓練では手伝いの学生がいたのですが、学校にはそんな手の空いた先生はいません。私一人で切り抜けなければなりません。

 一時間程の訓練が終わると、身体がしびれるようなだるさでぐったりと疲れてしまいました。メモ程度の簡単な訓練記録をつけながらやっているのですが、ペンをもつ手が、よくきかずに字がぐずぐずでした。『学生の頃は一日3回訓練をし、研修やレクレーションがあり、一週間泊まり込む訓練キャンプもこなしたのに・・・』と年齢による自分の体力の衰えを嘆きました。

 さらに、滉燿くんの膝が伸びる範囲が少し広がったかなと喜んでいても、学校は毎週土・日と休みがあります。祝日と重なって3連休になるときもあります。2・3日訓練をしなかった滉燿くんは、休み明けに見てみると、また元に戻っていることがよくあって、がっかりさせられました。
「まるで賽の河原だ」
 一人苦笑していました。親より先に死んだ子どもは、賽の河原と言うところへ行くのだそうです。そこで、一個二個と石を積み上げます。ところが、ある程度の高さになったところで、餓鬼がやってきて、せっかく積んだ石をくずします。崩されると、また、一個二個と石を積み上げます。それが、永遠に続いていくのです。それを救ってくれるのが地蔵菩薩ということでした。滉燿くんの訓練も繰り返しかも知れません。そんな話を思い出していました。

 それやこれやで、一週間が終了する金曜日には、ぐったりと疲れてしまいました。滉燿くんが帰った後、ジーンとしびれるような感じがして、教室の畳の上で横になっていることが多かったのです。病気の方もまだまだ良くなってはいません。私はたくさんの薬を飲んでいましたし、通院もしていました。休みである土・日曜日は2日間寝ていることもしばしばありました。土・日と寝ていたのに、月曜日になっても疲れが回復せず、月曜日も学校をお休みしてしまうこともありました。
「先生、月曜病ですか?」
 冗談半分に聞く人がありました。
「いえ、金曜病です。」
 そう答えました。遠慮無く体の状態が悪いことを説明しました。
「無理しないでくださいね。」
 私が休んでも、いやな顔をする人がいなかったので、助かりました。


立ち上がれ滉燿くん !~明日を信じた5年間~ 1(6) 耀くんルールでやろう!初めてのプール!リハビリの効果が出ない  へはこちら


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