潜在的に備えられた意識の書き換えは苦痛だけ 必要なことは書き換えではなく心の転回だった
虐待被害によって癒えない心の傷は本当に深く、どんなものなのかを自分で探ることも耐えられないほどでした。上塗りしたり、記憶を調整しながら何もなかったように書きかえようとしてみました。しかし 当然その記憶や 当時傷付けられた心の傷はかえっって大きくなり その時々に二次被害までも発症させ、かえって締め付けられるほどに苦しむことになってしまいました。
なるべく自分の傷は隠そうと頑張って生きています。何か違うものとすり替えれば、逆に窒息死してしまいそうな記憶となって甦ってくるのです。
このような場合は自らの被害者としての心理分析はNGです。 頭も心もパンクしてしまうのです。というか無理なのです。
それでTwitterやnoteで 少しずつ学ばせていただいています。
まだ、痛みがひどい部分についての心の分析は、経験があるから余計に辛くて、途中で耐えられなくなってします。
フラッシュバックがおこります。
あの人たちの顔を思い出したり、大人が(当時)虐待親に味方したりしたことを思い出し心の行き場を失ってしまいます。しかも わたしの場合 はっきり優越の差別のなかにおかれ、溺愛された良い子を被る姉妹が虐待の味方に付いたりする異様さでした。
どちらに転ぶにしても、自分を責めながら耐えなければいけなかった 子供~思春期。その深い闇には光はさしません。
自分が生まれた理由がわからない。
ご先祖を辿り、家庭環境をよくみわたすと、輪廻が繰り返されている現実のなかに生きていた
親子関係については世界中が共通していると思うのだけど 父母の両方が檀家の家族の家庭で育ったのならお釈迦様の教えを聞くことが自然だと思いました。
自分だけが周りと違う性質を持ち合わせ、家族内で虐待に遭いました。なぜあのような家族構成のなかに生まれたのか
この両親のもとに生まれたことも何か理由があるはず。
両親に愛されることも感じられず、評価で人を判断し、まだ未成熟である子供の成長や心の状態は、どうでもよいという人たちで"がさつさ"な教育。
教育というより 調教師のように冷たい人たちでした。血が通っていない身分制度が底辺に敷かれていたような気もしました。
毒の強い親の影響もあり、私は決して祝福されることはありませんでした。他人から目をかけられることも許さず監視され、私を庇い成長を促してくれる人たちはことごとく排除されました。
家を離れてもおなじこと。人権も人格も踏みにじられているように感じていました。
すでに 私自身、人を受け入れられる心の状態ではなかったので、憐れみ深い雇い主にであってもそれがかえって怖いものに感じられました。
心の自由までも禁じられていたので、人との関わり方や恋愛などについて無教養。怯えのなかで孤独でした。また 親に監視され半監禁状態だったため、若いときに的確な医療さえも受けられず、 今でも思い出したくない当時に降り戻されるのです。
そして いくら頑張ろうとしても元の木阿弥なのです
このままでは また同じことが起こってしまう。しかも もっと悲惨なことになるだろう
どうしても越えられないもの、封鎖されてしまったなにかがある。それがはっきり把握できないままの現在。
何とかしようと、踠(もが)けば踠くほど 思い出したくない記憶が甦ってくるのです。
「お金がないのはお前のせいだ。あんたにはお金を使いたくないんだ。この人はどうでも良い」と母に二度いわれています。
「女子学生がうるさい。おまえが一番悪い」
と 父親には延々と説教されたこともありま した。さっぱり意味がわかりません。
その他にも突然 睨み付けられ頭ごなしに叱られ 少しでも反論すると 生意気言うな❗と 火に油を注ぐ状態だったため こちらから何も話すこともありませんでした
普段の会話もなく、20年近く一緒に暮らしていたはずなのに 両親や家族関係に全く親しみ信頼は築くことはできなかったのです。
この家族が当然のことですが大嫌いでした。
それを察していた母に「あんた帰りたくないなんて考えるものじゃないよ。本当に帰ってこられなくなるよ」と脅されたり、 「死にたいと思ってもそう簡単に死ねないよ」とまでいわれました。
今振り返っても、ふつうの家族ではありません。
毒親である母親は私にどれだけ苦労したかを私とw関わる人に話し 「この人のことをよく知っているのは母である私です」みたいに話します。拒絶的なもので愛情の欠片も感じませんでしたが母のプライドは母として捨てきれないといった感じでした
子であったはずの私の好きな食べ物もしらない母でしたが。
私は 成長期の大事な時期に自尊心というものを全く育てることはできなかったのです。歪んだ家庭環境のなかで 自尊心は餌食となって毒親側に吸収されてしまいました。
辛いだけも現実 幸せも現実
まるで 憎しみをぶつけられ、邪魔物のように扱われ、その心を投げつけられていたから、憎しみを返すしかないのか。。
といわれると それはできません。なぜかというと 憧れがあるからです
幸せにくらすことのできる憧れです。
それは 何者にも譲れないメルヘンのような世界😄😄😄
苦しい家庭生活と真逆の世界でわたしに語りけてくれたのは いつも遊びに行く祖父と暮らす
いとこでした。近くの草原で花輪を作ったり絵本を読んだりしてくれたり 夜はおはじきやトランプで遊びました。
日中 遊びつかれて家に帰ると おやつを出してくれました。
寒い日は暖かいココアを作ってくれました
刺繍や編み物も教えてくれました。
こんなとても幸せなひとときも経験しています。
夢でもなんでもありません。これも現実なんです。
だから 生まれた家庭で憎しみを受けたり いじめを受けたから その仕返しをすることは 愚かなことだということに気がつくことができたのです。
それは 心の片隅に残された小さな泉のような思い出です。
次は
心の毒素を抜くために始めた ヴパッサーナ瞑想
に続きます
ある時出会った ヴィパッ
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