神様仏様がいっぱいいる家の話
本日の記事は、短めの雑談となっております
自分は長野県住まいで、実家は古い木造家屋の民家なのですが、その家が凄く古く、元々は明治時代あるいはもっと古い時代の宿屋を営んでいた建物を、自分から見たらひいひいじいさんくらいの世代の人が買い取って、住まいとして使い始めた、らしいという家です
かつて、実家の周辺は善光寺に向かう旅人が立ち寄る宿場町で、そこに軒を連ねる宿屋のひとつであったとか
現在の実家は、母がどうにかこうにかリフォームしてくれたので、寒いながらも快適な普通の民家になっていますが、自分が小さい頃は凄く住みづらかったです
台所は天井が高く、太い梁が渡された造りで暗くて寒くて、階段は梯子のような角度で急だし滑りやすいし、木造のせいなのか夏にはアシナガバチが巣をあちこちに作るので、巣の除去のための見回りが欠かせない、そんな家でした
(ちなみに蜂の巣駆除は現在もやってます ハチに刺されるのは本当に痛いので…)
そして、元々は旅館を営んでいた家だからなんでしょうか、庭にはお稲荷さんとお天神さんのお社と祠があります
家の中にも仏壇と神棚があり、庭にはお稲荷さんとお天神さんがあるので、父が存命だった頃はそれらにお詣りをして回ることを厳しくしつけられており、大晦日などには家族全員でそれぞれに念仏や祝詞(らしきもの)を唱えたことを覚えています
小さい頃は神様がなんぼのもんじゃい、と反発を感じてましたが、さりとて逆らうことも出来ず、というかお詣りを真面目にしないとご飯を食べさせてもらえないので、神妙な顔で付き合っていました
父が他界して母が仕事で忙しくなってからは、家のあちこちの神様はお住まいの掃除だけはちゃんとする、くらいの付き合いになりました
思えば、元々お稲荷さんとお天神さんを奉ってた旅館の建物を買い取った、ひいひいじいさんくらいの世代の人が、自分ちの仏壇と神棚と共に引っ越してきて一緒にお詣りし続けてきた、というのはなかなかにロマン溢れるエピソードなのかも知れない、と数十年を経て思えてきました
多分、父が亡くなった歳に近くなったせいですね
つい昨日は、実家の片付けの手伝いをしてきたのですが、物置からたくさんの七福神の大黒様が出てきました
手作りの木彫りとおぼしき作品も、金属製の置物も色々と含まれています しかし来歴はよく分かりません
旅館だった頃の飾りものなのか、それともひいひいじいさん以降の世代が集めていたものなんでしょうか?
実家の古いものは、分からないことだらけです
ところで、七福神のお名前と特徴が未だに暗記出来てないです
こちらの大黒様も、恵比寿様と布袋様とどう違うんだっけ? とちまちま検索して確認しました
七福神を把握していないと知ったら、父は厳しく勉強させようとしただろうな、なんて母と笑い話にして、お茶とお菓子を楽しみました
こちらは長野県の中部地方の和洋菓子の銘店、『花岡』さんのお菓子です
くるみのお菓子の美味しさも素晴らしいのですが、和菓子も洋菓子も歳時菓子もなんでもござれの、腕の立つお菓子屋さんで大好きなお店です
花岡さんは、上田市から東御市にかけて店舗を展開されており、これまで記事にしていた長野県のスーパー、ツルヤさんのテナントとして入っていることも多いお店さんですが、自分の最寄りツルヤさんには入っていないので( ;∀;)書きそびれていました
昨日、相互のひろうすさんが、まさにご自身のお住まいの地域のお菓子屋さんの記事を書いて下さったので、自分でも書きたくなりました!
こちらのひろうすさんの記事、いつもながら見所がたくさんなのです!
地域のお菓子屋さんのご紹介、ご自身の思い入れのゲームの思い出の絵画、手作りの琥珀糖のお写真、ご家族の誕生日お祝いの逸話、ひろうすさんのお宅の箱推しにはたまらない記事でした ぜひご覧ください!
で、こちらは実家の神様仏様とお菓子を一緒の記事にした次第ですが、神様仏様に花岡のお菓子をお供えしてから食べましたので、色々とちょうどよろしかった、という締めで終わります なむなむ(‐人‐)