『スタインベック短編集』 大久保康雄 訳 感想
前書き
『スタインベック短編集』訳・大久保康雄 を読みました
noteでもTwitterでもフォローさせて頂いてる人、例えて言うなら学校の同級生で部活も一緒の人が話題にしていたので興味がわき、読んでみた次第です
スタインベック氏については、アメリカ文学の巨匠で『怒りの葡萄』などを書いた方…という程度のイメージだけで、その著作に触れるのは初めてでした
重厚な筆致で人間の精神や尊厳を云々する作品なんだろうかと予想していましたが(それも間違ってはいないですが)
登場人物に共感がとても湧くところもあれば、まったく理解が及ばなくて、しかしそれがめちゃくちゃ面白い! と感嘆するところもある、凄くエンタメ的に優れている短編集だったのです
大久保康雄氏の訳文の軽妙な読みやすさや、ストーリーの意外性の高すぎる展開に
おれはいま、とんでもないものをよんでいる
と、しばし放心してしまうこともあって、面白いのに読むのに時間がかかってしまう、そんな作品でした
この短編集には、全部で13編の収録がされています
アメリカの歴史に疎くて歯がゆいのですが、いずれも二十世紀初頭のアメリカの農村部が舞台になっています
都市部ではおそらく禁酒法だの好景気だのと騒がれていた華やかな時代で、しかしそんな中でも、おそらくかの国の大半の人達がそうして暮らしていたであろう、農作物や家畜の世話をして日々の糧を得ている人達の話が主になっています
ネタバレにならないように感想を書くべきなんですが、この話のすげえところの話がしてえって衝動が止まらない作品については、オチまでわりとそのまま書いてしまっているので、閲覧にはご注意ください
よろしければ是非、この『スタインベック短編集』に触れて頂ければと思います
『菊』
働き者の農婦のイライザという女性は、それはそれは見事な花を育てる技術があるのですが、夫からは花を育てるなんてつまらんと言外に思われていて
でもイライザは見事な花を咲かせること、とりわけ菊の育成に血道を上げているし、その腕前に大きな自負を持っています
そのため、通りかかりの(半ば浮浪者のような)行商人に菊の見事さを誉められて有頂天になってしまって、何だったらその男にちょっと惹かれちゃったりもするんですが
男にしてみたら商売の取っ掛かりに菊を誉めたに過ぎなくて、イライザがせっかく株分けした菊は無惨に捨てられた…というところで終わる、なかなかの話です
イライザの花への献身的な働きぶりや、農家としての仕事や夫の世話にいたるまで、実に完璧に行っている描写と、菊を誉められた際のこころの高揚、打ち捨てられた菊そのものを描写せず、イライザの目を背ける仕草で情景を伝える筆致が、短い話なのに打ちのめされる凄みのある物語でした
イライザは、菊が粗末な扱いを受けることを最初から分かっていたのかも知れない(でも誉められて喜んでしまう衝動に勝てなかった)のかなあと思います
『白いウズラ』
美しく完璧に整えられた自分の庭を愛して大切にしているメアリーという名の貴婦人の話
自身のこころの中にあった理想の庭を形にするために何でもするし、数多いた求婚者を選別する際には
かの庭はこの男を気に入るのかという視点で品定めを行う徹底ぶりで、まさに庭狂いのメアリーなのです
現代において、このメアリーを適切な医療機関にかければ明らかに何かしらの病の診断をうけるであろうエキセントリックな行動やその繊細さを、メアリーの夫となった人は献身的に支えて愛しています
メアリーの夫は犬が好きなのですが、犬を飼いたいと妻に願い出ると、その犬が庭で粗相をしたり植えてある植物を掘り返したりすることを想像し、実際に庭が傷つけられたと同じショックを受けて倒れてしまうのです
しかし、読んでて首を傾げたくなるのは、メアリーのこころの口ぶりです
妻のために庭を整える資金を出している上に飼いたい犬をあきらめた夫に対して、こんな言いぐさなんですこの妻何様だよ 繊細が過ぎる人ってのは、生きるのが困難だなと可哀想にも思います
しかし、庭に訪れる様々な鳥を眺め、その中のひときわ美しく珍しい白いウズラを自分そのもののように感じ、慕わしく思ったりもしていて、それを夫に報告するんですが夫は案の定ピンとこないリアクションをしてしまって
それにメアリーは失望するんです(いや分からんて)
更に、庭に山猫が出入りして鳥や白いウズラを狙っているさまを見てしまった彼女は悲鳴を上げ、毒餌で猫を殺して! と夫に願うのです
しかし、夫は猫を殺すことはせず
よりによって白いウズラを撃ち殺します
このあとに言った夫の言葉も踏まえると、彼はわざと白いウズラを撃ち殺したのだと思います
愛してるのに寄り添えない妻に疲れてしまったのか、愛しているからこそ壊してやりたい衝動が抑えられなくなったのか、何だったらその両方かも知れない
そして、メアリーは遠からず命を落とすのかも知れないとも感じました
というのも、メアリーが美しい植物の名前を(ハムレットのオフェリアのように)諳じるシーンがあったので、間もなく自身の庭の池に身を投げるのだと思います(個人のかんそうと予想です)
そんな、なかなかのバットエンドな『白いウズラ』でした
『逃走』
まだ小さい子供もいるシングルマザーの家の、やや頼りなくて身体だけ大きな長男が
町におつかいに出かけた先で町の男と喧嘩になって相手を殺してしまい、そこから逃げる話です
びっくりすることに、ほんとに逃げるだけの話です
話の前半1/3くらいは、おうちと長男とお母さんの描写で、後半2/3は荒野を逃亡する描写
それだけなのに、緊迫感をもって息子を逃がす支度を整えてやる母親や、前半のぼんやりさからはまるで人が変わったように、強かに追跡者と戦う息子と、それに襲いくる飢餓や脱水症状の凄まじさに震えるしかない物語です
『蛇』
様々な動物を用いた生体実験をしている男のところに、蛇を見せてほしい、という女がやってくる話
蛇を自分のものにしたいのだ、と要求されるものの、どうして自分のものにしたいのかの説明がまったくなされず、蛇に同化したかのような動作をする女を不気味に思いながらも、明らかに男は女に魅力されてしまっている…という、凄くフェティッシュな話です
『朝めし』
道の途中で朝飯の支度をしている綿摘みの一家に、朝めしをごちそうになる話
メニューは焼いたパンとベーコン、コーヒー
パンにはベーコンの肉汁をたっぷりかけて、コーヒーには砂糖を入れる、そんな朝めしの話です
昔の映画にあったような、休憩時間みたいなひとときでした
『襲撃』
共産主義の思想を啓蒙する集会を催そうとした、年取った男と若い男が、バレてボコボコにされる話
襲撃を受ける前は、頼り無さそうにおどおどして、年取った男に話しかけすぎてウザがられてた若い男が、いざ襲撃を受けたら、襲ってきた奴らに毅然とその思想を問うて立ち向かうようになる姿に驚きます
『逃走』にもあった、土壇場で力を発揮する人間の強さが小気味良い話です
年取った男の最後の言葉も、しびれるかっこ良さがありました
『肩当て』
町でいちばんの尊敬を集めている農夫、ピーター・ランドールは、病がちで陰気な妻をもっており、ついにその妻を献身的な看護の末に亡くすと、半狂乱になって喚き散らし
両肩を後ろに引き締める猫背にならないための肩当てと、お腹が出ないようにする幅の広い伸縮性のある腹帯を自身の身体からむしりとり、
ずっと妻は自分を抑圧していたこと、良い人間、尊敬される男であるよう操縦されていたが、もう俺は自由なんだ! と叫び、妻から反対されていた作物を作ったり淫売宿に出かけたりする話です
このピーターが、口ぶりとは裏腹にちっとも自由になっていない事が分かってしまったりするし
ピーターの俺は自由だ! の宣言を聞かされる大人しい友人が、ずっと戸惑っていて、おっさんたちがかわいい話です
『自警団員』
残念ながら、上手いこと読み解けなかった話です
何らかの罪を犯した(冤罪かも知れない)黒人の男性が私刑にあって木に吊るされていて、その私刑に関わってしまった男の話です
たまたま入ったバーの主人と自宅への帰り道で一緒になるのですが、道中の会話や、自宅での妻との会話にも、何かの暗喩が含まれてるのだと思うのですが、残念ながら分かりませんでした
分かるのは、語り手の男がリンチに関わってしまったことに後味の悪い、苦々しい思いを抱いていることくらいです
『「熊の」ジョニー』
辺鄙な田舎町の農村の、1つしかない酒場に現れる不気味な男の話です
不気味な男はその姿から『熊』とあだ名がついていますが、村の中で見聞きした住人の会話を内容も声色まで完璧に再現でき、それを芸として披露することで村人から酒を奢ってもらう…という事をしており
『熊』は村のどこにでも潜めるので、この村の人間はいつ自分の私的な会話が酒場の娯楽にされるか分からないという、とても住みたくない村の話です
そして案の定というか、村の誰もが聞くべきでない話を『熊』のジョニーは話してしまって、それを聞いて逆上した奴に酷く殴られてしまうのです
おそらくジョニーはサヴァン症候群の持ち主で、会話を正確に物真似て再生が出来るけど、その会話の内容を理解しているわけではないので、娯楽にしてしまってた事がそもそも間違っていた、しかし適切なケアをジョニーにしてあげるのは、時代背景もあって不可能…という、何ともやるせない話でした
『殺人』
美しく家事もうまく従順だが、ろくにものを喋らない外国人の妻を得た男が
面白味がないと思ってた妻の密通を暴いてしまって間男を撃ち殺し、妻に暴力を振るう話
そういう時代とは言え、夫が妻に暴力を振るうのが当たり前だったり、間男を夫が撃ち殺しても罪に問われない(形式として起訴されるが棄却ってことになるだろう、という保安官のセリフがある)世界なのが心底恐ろしい
しかし一番こたえたのは、暴力を振るわれた妻が、すぐに夫の朝ごはんの支度を嬉しそうに始めたシーンでした
きっと、暴力を振るわれる事が夫が妻を愛している事だという価値観で育って生きてきたからですね
『聖処女ケティ』
この短編集における最推しの話です
性悪な男が飼っている性悪な豚が、キリスト教の感化を受けて改心し、聖女として人々に祝福をもたらす話です
書いてて冗談のようだし他の話からも浮いててファンタジックが過ぎるんですが、キリスト教圏の人にとって、豚が聖女に列せられる奇跡ってアリなんでしょうか
後に聖女となる雌豚のケティが、性悪だった頃のエピソードもマジの性悪さで痛快でしたし、おのれの罪を悔いて涙を流して聖女となったけど、クリスチャンになったらこの豚を食べるわけにいかないだろ! と教会の偉い人が怒るところがめちゃくちゃ面白かったです!
『敗北』
こちらも凄く好きな話です
鮫とあだ名される油断のならない、抜け目のない投資をしてぼろ儲けをしている男が、ひょんなことで警察に捕まってしまい、巨額の保釈金を要求されたため
鮫が行っていた投資は、実はお金に恵まれていなかった鮫がやっていた妄想、架空の投資話だったと、明るみに出てしまう話です
起きたことはすごくしょうもない話なのに、途中から感動巨編で萌え夫婦の話でもあって、素晴らしいのです
『怠惰』
都市生まれの男が肺病の転地療養のために農村にやって来て、下宿先の奥さん(未亡人)と懇ろになるが、流行感冒のせいで奥さんと連れ子もまとめて亡くし、
生まれたばかりの息子と残されたものの、男はのんびりと療養期間を過ごしていたおかげですっかり怠け者になっており、息子と一緒に荒れ果てた農場で、まるで野人のように暮らすようになり
しかし男は元々、都市部で学究の徒として生活しており、息子にもその教養はしっかり受け継がれているために
端から見たら、怠惰な父親と適切な教育を受けていない息子だけど、実はこの親子は見方を変えれば幸せなのでは? と疑いたくなる話なのです
結末が物悲しくて、すごく映画的で素敵でした
終わりに
この『スタインベック短編集』は大久保康雄氏による読みやすい訳文もとても良かったのですが、大久保氏の翻訳された著作はウラジミール・ナボコフの『ロリータ』を読んだ時以来だったので、『ロリータ』も読み返したくなりました
でもスタインベック氏の『二十日鼠と人間』や『怒りの葡萄』『赤い子馬』も気になるところです
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