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CAMINO=day0. 2/12.

パリでの時間が終わり、サンジャンピエドポーに向かうTGV内で。
人に触れた3日間だった。
極論すると、やり取りとしての「反応」はするし、面白おかしくするのは自然とやるけど、じゃあそれを必要としているかというと、やっぱりそうには思えなくて。
「イヤ」ではない、別に、あっても困らないし、なんなら面白いと思う。
ただ、わたしが必要としているのかというと、ノーと言えるなぁと思う。
まぁ、こんなことを最初に書き出したりしているけど、どちらかというと外界との接触云々ではないんだろうな。
「わたし」との関係がどうなってるのか、というのだろうと思う。
わりとまあまあ外界に接触した時、
「言葉」として出してはいた、このパンがー、とか、あのお店がー、とか、そーいう感じ。
観るものが新しいから、その新しいものに対する反応はたくさんあった。
でも、なんだろう、
その奥にあるものには触れていない感じがする。
とても表面的で、しかも細波にもならないような小さな波を言葉にしているような、そんな感じ。
風はまだそんなに吹いていない。
新しさの中にある古くからあるもの、
つまり、「違い」の中にある「同じ」に触れた時に、きっと「気づき」があるんじゃないかなと思う。
歩く、という「同じ」行為の中で、何を感じるか、そしてそれを観ることができるのか、とか、ゆっくり丁寧に時間をかけて観ていきたい。

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