矛盾な気持 【視線の行方】
引き摺る足
梨花の真っ直ぐな視線は、凍てつく町の道路を彷徨う“ノラネコ“の子供達に…。
震えながら足を引き摺る様に歩いていて、そんな仔猫に優しく向けられ、その眼差しは父の隆史へとゆっくりと方向を変えた。
隆史は梨花の純粋過ぎる視線が怖くなり視線を反らし、妻の萌絵に向けて逃げる様に視線を反らした。
幼い子供にとって、優しさや正しさやルールは身近な“親”から観て感じ、それは言葉ではなく、心の中を見透かしてしまう…!!
梨花はいつも優しい父親の隆史しか知らないので、視線を反らし隆史を初めて見て戸惑い“不信"の様な気持ちを初めて抱いた。
梨花は迷いながら、いつも優しい父の隆史に「助けないの…?」と話すと、隆史は「ノラネコの生き方は、梨花とは違うんだよ」
梨花は不思議で「スズメさんは助けたんでしょ…!、あの震える仔猫は助けないの?、なんで??」
不透明な答え
梨花の純粋な質問に迷いなら、職業がら“市保健所の動物衛生課”の明田隆史としては返答が決まっている。
「ノラネコは引取り出来ません。引取りの場合は“殺処分”ですけれども、宜しいですか?」とは梨花には言えない…。
悩みながら隆は「ノラネコは自由に生きる……」と、“答えにならない答え”とケガしたスズメとの違いに隆史の返答に、梨花の心は一瞬で凍てついた。
幼稚園でお出掛けした県立動物センターの職員の田中さんが話してくれた「“小さな生命を大切に優しくして下さい”」と、優しく教えてくれていたけれど…。
梨花はあの言葉も“ウソなのかもしれない…!”と思いはじめ、話す言葉とは違う事ばかりで疑心をもった。
春を迎えて梨花はランドセルを背負い、そんな娘を見つめる萌絵と隆史の目は優しく見つめている。
梅雨明けする頃に親子揃って玄関横に植えた紫陽花が咲いて、その根本にランドセルを背負う梨花が猫の親子を見つけた。
母猫には目を開いていない3匹の仔猫が必死になってぶら下がる様に母乳を飲んでいるが母猫は衰弱しきっている。
梨花は“冬のノラネコ”を思い出して、母親の萌絵に相談した。
萌絵も母親の立場はこの猫と同じなんだろうか、衰弱する母親に水やほんの少しの食べ物を差し出すと、母猫の目から泪を流れ、姿形が違う種族でも母性は同じで…。
優しはどっち…?
少しずつだけれども気持ちが通じて仔猫の目ヤニを拭いてあげたりと母親同士の意思疎通が出来て娘の梨花も気持ちが和らいでいた。
そんな光景を眺める隆史も協力してくれて、飼う事は出来ずにいたが産まれた命に罪はなくて、ましてや衰弱する親子のネコを見捨てられずにいた。
隆史は仕事上、保健所の自分のマニュアル的な言葉に疑問が…!!
あの時の凍てついた道路を足を引き摺る様に歩くノラネコを見て、寄り添わなかったのが“優しさ"だったのか?
目の前で横たわり衰弱しながらも、しがみつく仔猫達を必死に守ろうとしている母猫に水や食べ物を差し出した事が“優しさ“なのか?
気がついても気がつかないフリをするのと、気がついてほんの僅か手を差し伸べる事…、どちらが“優しい"のだろう…?
凍てつく町のノラネコは無色、無音で透明じゃない。
少くても目に見えて、そこにいるけれど…。
見えないフリが、優しさなのか?
見えても知らないフリが、優しさなのか? ほんの少し差し出した手は、愛なのか罪なのか…?
この町に猫の姿が消えゆく時に、 凍てつく町は“人の心"も凍てつき、自分さえも透明に…!!
…………………… 終 ……………………