キャリアの曲がり角を迎える世代にこそ、対話と余白を。
ここ数年気になっていた北欧デンマーク発祥の大人の学び場「フォルケホイスコーレ」。その卒業生達が日本でも開催していると知り、灼熱のコンクリートジャングルを抜け出して、北海道・上川町での1週間のコースに参加してきた。たまたまキャリアブレイク中というタイミングもあったけど、40代半ばにして飛び込んだ自分をまずは褒めてやりたい(笑)。このタイミングで参加できて本当によかった。キャリアの曲がり角を迎えるミドル世代にこそ、フォルケを体験してもらいたい。早いもので、帰ってきてあっという間に1週間以上経ってしまった。忘れないうちに感じたことを書き記しておきたい。
なぜ参加したのか?
約20年続けてきた仕事をこの春に卒業し、40代半ばにして大人のギャップイヤーに突入。世間の風当たりはそれなりに強いが、ここで勇気を出して立ち止まり、思春期を迎えた娘や外国籍の夫との関わり方、自分自身の今後のことを考えたい。しばらく仕事から離れて、家族と過ごしたり、興味あることをやってみたり、行きたいところに行ってみる、という時間を大切にしたい、と思っていたタイミングだった。
フォルケホイスコーレも、ずっと体験してみたかったことのひとつだった。いきなりデンマークに行くのはお金も時間もかかるけど、北海道なら気軽にいけそう。とにかく、母親、妻といった社会的役割から離れて、ありのままの自分と向き合える時間を取りたかった。前泊も含め9日間も家を離れるのは久しぶりで迷ったけれど、今逃したらまたいつ参加できるかわからないと思い、家族の協力を得て参加を決めた。
今回のコースは運営スタッフ2人と参加者6人の8人(うち7人が女性)と少人数だった。よかった、これなら顔と名前が覚えられる、と一安心(笑)。20代~30代の参加者が多く、40代女性は私一人だった。最初のうちは会話についていけるか少し不安だったが、キャリアブレイク中や転職活動中の方、新卒で働き始めた新社会人、就職活動を控えた学生さんなど、みんなそれぞれの悩みを抱えつつ、今後進む道を模索中という共通点があり、不思議なくらい最初から心を開いて話ができた。多くの時間を共に過ごすことで、年齢とか職業とか関係なく、これからも繋がっていきたいと思える個性的で愛すべき仲間たちと出会えたことが本当にうれしい。安心して心が開けたのは、上川の雄大な自然はもちろん、運営のお二人の温かい人柄とフォルケ的なファシリテーション、それに、出会った町の人たちがとても自然体で自分に正直に生きている空気感によるものなのだろうと思う。
滞在先、上川というところ
今回は前半に観光地としても有名な層雲峡のオートキャンプ場、後半に町中にできた新しいゲストハウスANSHINDOにステイしたので、山と町という両方を体験することができたこともよかった。まさに「暮らすように学ぶ」時間だった。
上川町は、人口約3000人のとても小さなコミュニティだ。数日前にやってきた私たちでさえ、知り合った人たちと何度も再会して、また会ったねーなんて会話が始まったり。昼間会った人が夜になると私たちの止まっているゲストハウスのバーにやってきて、話し込んだり。この距離感、なんだか懐かしいなと思ったら、私が滞在していたアフリカの村と似ていることに気が付いた。町を歩けば誰かしら知り合いに出会うから、挨拶だけで時間がかかってしまうけど、お互いの顔が見えやすく、課題も見えやすい小さな社会。決して便利ではないけれど、シンプルで良くも悪くも把握しやすい。もちろん、それが合う・合わないはあるだろうけど、選択肢が多すぎて選ぶこと自体がストレスになったり、隣に住んでいる人の名前と顔が一致しない世界で生きていると、気心の知れた人間の気配が近くに感じられるのはとてつもなく安心感がある。そんな上川に魅力を感じ、ここでやりたいことに挑戦する地域協力隊の方々が様々な職種で活躍している町でもある。協力隊の皆さんと役場の皆さんの距離も近いそうで、短期で滞在した私たちでさえ、それは度々感じられた。協力隊の方が作ったANSHINDOのバーに役場の人たちが飲みに来たりしているのも、なんかいいなあ~とほっこりした。
多彩なプログラム
プログラムは、そんな上川の自然と人財がうまくミックスされていた。今回のテーマは「表現すること、生きること」で、共同生活をしながら様々な体験をする中で、参加者同士、自分と対話する時間が用意されていた。登山、ラフティングなどの本格的なアウトドア体験では雄大な自然を満喫できたし、ガラス工芸体験、アートワークショップ、自分のありたい姿を考え表現するプロカメラマンさんとの写真ワークショップでは、アートに触れながら自分の心の在りようを感じることができた。
特に印象深かったのは、緑岳登山。山の妖精かと思うくらい身軽な台湾出身の山岳ガイドToByさんが、穴場スポットを余すところなく紹介してくれた。「ダメ人間だよ」と紹介された透明なギンリョウソウの美しかったこと!自分では光合成できなくても、人の力を借りてこんなに美しい花を咲かせることができるんだ、と妙に納得してしまった。(後で調べたら、この花の種を運ぶのは、モリチャバネゴキブリというゴキブリらしい。最後まで期待を裏切らない植物。)
ToByさんは冗談を言いつつも、みんなの体調をしっかり見ていて、沢山もぐもぐタイム(休憩)を取ってくれたので、時にはひーひー言いながらも、楽しみながら登ることができた。山頂には届かなかったが、雄大な山々や可憐な花々が織りなす自然の「表現」のすばらしさに感動し、癒された。(下山の際に捻挫してヒヤリとしたが、通りがかりのお兄さんにいただいた湿布とToByさんの適切な処置のおかげで大事には至らなかった。山では何より、人の優しさが染みた。もちろん、翌日から凄まじい筋肉痛に襲われたのは言うまでもない。)
その他にも、夜みんなで焚火を囲みながら短歌を詠んだり、朝は鳥の声を聴きながらヨガをしたり、食事メニューをみんなで考えて作ったりなど、集まった参加者による持ち込み企画もあって、化学反応を楽しめた。(まさか自分が即席ヨガ講師をやるとは思ってもみなかったし、それが後々自分の「Beの肩書」につながって、白樺の林でヨガポーズという素敵な写真をプロのカメラマンさんに撮影してもらうとは想像もしていなかった。)
体験と並行して、レゴで人生を語ったり、Gifted giftやBeの肩書などのワークを通じて、自分のこれまでを改めて振り返ったり、これからの自分をイメージして表現し、メンバーからのフィードバックを受ける対話の時間も、みんながいるからこそ、豊かな時間になった。移住者の方々から、上川に来るまでの話と来てからの活動についてのお話を聞いて、こんな生き方もあるんだと刺激をいただいた。
余白が豊かさをもたらし、私がわたしになれる時間
こうして書き出してみると、びっくりするくらい豊かな時間が流れていた1週間だった。しかし、決してせかせかしているわけでもなく、適度に自由な余白時間もあった。早起きして滝を見にいったり、登山の帰りに急遽川に釣りに行くチームがいたり、疲れた時には部屋で休む人もいれば、カフェで思い思いに過ごしたり、町の中のお目当てのお店に立ち寄ったり、みんなで地元の素敵なカフェにランチや飲みに行ったり、渋いスナックで地元の人たちとカラオケしたり。東京では朝起きるのがつらかったのに、上川にきてからは、毎日が楽しみすぎて朝5時前には起きてしまい、夜は自然に眠くなってねる、という健康的な生活だった。近くにいるんだけど、みんな好きなことをしている。それでいて、心は繋がっている。この距離感が心地よかった。みんなの心遣いや優しさにも助けられ、久しぶりに「一参加者のわたし」として、ひとつひとつのプログラムを心から楽しむことができた。
民主主義、共同体を体感する
そのまんまフォルケのプログラムは初めからがちがちに決まっているわけではなく、その場にいるメンバーで話し合いながら作っていく。一方で、休みたければ休んでいいし、個人でやりたいことがあれば、全体行動を抜けてやってもいい。(もちろん最低限、メンバーへの連絡と配慮は必要だけれど。)これは、日本の一般的なセミナーや研修とはかなり異なるスタイルで、戸惑う人もいるかもしれない。それで一体感とかはなくならないのかな?という不安を覚える方もいるかもしれないが、言い方を変えればこれがフォルケが大切にしている「民主主義」であり「共同体」ということなんだと思う。みんなでやることはみんなで話して決めるけど、個人の自由も尊重される。団体行動がお家芸の日本社会では少数派かもしれないが、家族、学校、会社、地域社会といった場で、フォルケ的な対話による運営がもっと取り入れられたら、もう少しお互いがラクに暮らせるかもしれないと思う。なんでも早急に結論を出さずに「もやもやを、そのまま感じよう」というグラウンドルールもフォルケならではの価値観で、日常に取り入れたいなと思った。
チェックイン、チェックアウト:今の気持ちを大切に
自分の心の状態を言葉にしてアウトプットする時間がたくさんあったことも印象に残っている。みんなで何か始める前や一緒に何かした後、その時の気持ちを短くシェアするチェックイン、チェックアウトがとても大事にされている。自分の気持ちをひたすら書き出すジャーナリングも新鮮だった。その時々の自分の気持ちを感じて、即興で表現するというのは、大体ワンテンポ遅れている私にはすごく難しくて、うまく言葉が出てこずにもどかしいことも多々あった。フォルケから日常にもどっても、ジャーナリングは続けている。不思議なことに自分を大切にできると、周りの人に対しても穏やかに接することができる気がする。
まだまだ語りつくせないが、フォルケで学んだことを日常で実践し、また秋や冬の上川に戻ってきたい。近々、関東在住組メンバーと都内で再会する予定だ。これからも、フォルケで学んだ対話と共感というものを自分の中で育てていきたい。焚火を囲みながらみんなで作った歌のように。
風送り 燃やし続ける 友たちと 心に灯った 対話の灯
私にとって「表現すること」は、「デトックス」。対話を通じて膿を出すことで、新たな表現を生み出せる自分でいたい。まだフォルケ未体験の方は、これを読んで少しでも興味を持っていただいて、特にミドル世代の参加のきっかけになったらうれしい。