これから始める落語道。初心者向けのオススメ噺2020年決定版
最近ふと気づいたんですけど、芸人さんとかまぁ漫画読みとかの中でも
そうなんですけど、ある一定の年代を超えると落語に浸かる様になってくるんですね。
近年だと月亭方正さんさんが月亭一門に入門されたりとかしてたり、
南原清隆さんや友近さんカンニング竹山さんなんかが落語の高座に上がったりしてますよね。
マンガだと『昭和元禄落語心中』や
『じょしらく』
あと以外ですが『美味しんぼ』の中でも落語はちょいちょい作中で
題材に取り上げられています。
これはなんでなんですかねとも思うんですけど、落語って
昔の歴史風俗や当時の生活様式なんかを知っておかないと
理解しづらい部分も結構あるんですがそういうところの心の
ヒダや夫婦間、男女間の難しさとかが人生経験としてわかってくる
と落語が楽しめるのかぁなんて思ったりします。
さて、そんな中でも一口に落語と言っても何から聞けばいいかわからないという方のために個人的に選んだ入門編の噺をご紹介します。
①『芝浜』
古典落語のいろはのいと言ってもいい演目。落語=といえばこのお噺という
典型的なお話の一つです。以下あらすじ
天秤棒一本で行商をしている魚屋の勝は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりうだつが上がらない、裏長屋の貧乏暮らし。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金[1]。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑む。翌日、二日酔いで起き出した勝に女房、こんなに呑んで支払いをどうする気かとおかんむり。勝は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らない、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。つくづく身の上を考えなおした勝は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。懸命に働いた末、三年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えた。そしてその年の大晦日の晩のことである。勝は妻に対して献身をねぎらい、頭を下げる。すると女房は、三年前の財布の件について告白をはじめ、真相を勝に話した。あの日、勝から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は勝の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の勝に財布の金が下げ渡されたのであった。事実を知り、例の財布を見せられた勝はしかし妻を責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫をねぎらい、久し振りに酒でもと勧める。はじめは拒んだ勝だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になるといけねえ
夫婦の絆や内助の功からきれいなサゲまで流石に古典の中の古典と言っていい内容です。落語は頭から最後まで話しがわかっていてもそれをいかに上手く聞きこませられるかっていうのが勝負で、色んな噺家が演じられてますのでその違いを聴き比べて見るのも楽しみの一つですよね。
またこの『芝浜』は色んな作品の題材になってたりします。入門編にはぴったりの一つです。
②『寿限無』
寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末の運来松…
から始まる落語家ののスタンダードです。入門したり落語研究会なんかでは
まずこの演目から練習するそうです。
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話。縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった
というのがあらすじ。この寿限無からはじまる長い長い名前をとんとんと
何度も繰り返して暗唱していく様が小気味好いお話でこのテンポをどれだけ上手く表現できるかが肝のお話。
枕込みでも短めの演目なので聴きやすいお話です。
③『目黒のさんま』
このお噺も落語といえば!というほどに有名なお噺の一つですね。
このお噺の肝は“目黒でさんまは獲れない”というところで、偉い人は
世間知らずで、知ってるようでなんにも知らないことのほうが多いっていうところの滑稽噺です。エスプリが効いた演目ですね。以下あらすじ
殿様が「目黒」まで遠乗り(あるいは鷹狩)に出掛けたが、供が弁当を忘れた。殿様一同が腹を空かせていると、嗅いだことのない旨そうな匂いが漂ってきた。殿様が匂いの元を尋ねると、供は「この匂いは下衆庶民が食べる下衆魚、さんまというものを焼く匂いです。決して殿のお口に合う物ではございません」と申した。殿様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と供にさんまを持って来させたが、網、串、金属、陶板などを用いず直接炭火で焼いた「隠亡焼き」であった。日々美食を重ねる殿様の嗜好と異なるが、食すると非常に美味で、殿様はさんまを初めて知り大好物となった。殿様は以後たびたびさんまを食べたいと思う。ある日、殿様の親族の集会で好きなものが食べられるというので、殿様は「余はさんまを所望する」と言うが庶民の魚であるさんまは準備が無く、供は急いでさんまを買い求めた。さんまを焼くと脂が多く出るが体に悪いとして脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、身姿が崩れたが不調法な姿で殿の前に出せず、椀に入れて出した。日本橋魚河岸から取り寄せた新鮮なさんまが、家臣のいらぬ世話で醍醐味が台なしにされて不味くなった。食したさんまが不味いので「いずれで求めたさんまだ」と殿さまが尋ねると、家臣は「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」答えた。殿さまは「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」と、海と無縁な場所である目黒で捕った魚が美味いと信じて断言する
目黒には海がないから目黒産のさんまなんか無いという基礎教養が無いと
面白さが分かりにくいお噺ですが、逆にいうと教養があると物事はより楽しめるという好例です。
④『ちはやふる』
同名のマンガがあまりにも有名ですが、落語のちはやふるも古典の中の古典で有名なお噺です。
このちはやふるってお噺は洋の東西に多く存在する、ホラ噺の一つで、
個人的にもとても好きな演目のひとつです、以下あらすじ
博識であるため長屋の住人達から「先生」と慕われる隠居の下に、なじみの八五郎が尋ねてくる。なんでも、娘に小倉百人一首の在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えを請いにきたという。実は隠居もこの歌の意味を知らなかったが、知らぬと答えるのは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。大昔、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。その際、「千早」という花魁に一目ぼれした。ところが、千早は力士が嫌いであったため、竜田川は、振られてしまう(「千早振る」)。振られた竜田川は、次に妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない(「神代も聞かず竜田川」)。このことから成績不振となった竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだ。それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、「おからを分けてくれ」と言う。喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。激怒した竜田川は、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた(「から紅(くれない)に水くぐる」)。八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、その都度、隠居の解説に疑問を呈すが、隠居が強引に八五郎を納得させる。そして上記の説明を終え隠居は一安心するも、最後に八五郎は「『千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何ですか?」と突っ込む。すると、とっさの機転でご隠居はこう答えた。「千早は源氏名で、彼女の本名が『とは(とわ)』だった
やっていることが松本人志さんのフリートークに近いです。嘘八百でやり過ごそうとする和尚の態度なんかを上手く演じられるかどうかが見どころですね。
https://www.youtube.com/watch?v=S_VhMZrAGNc
笑点でおなじみの小遊三師匠の十八番だったりします。
まだまだ他にもオススメの落語の演目は文字通り山程ありますし、
同じ演目でも演者が違うと色々違いがあって楽しいし飽きないです。
皆様もこの機会に落語の沼へハマってみませんか?