『ギャングース』は道徳の教科書だよって話

『ギャングース』は週刊モーニングで連載されていた
同名作品の実写化。

原作はルポライターの鈴木大介氏作画は肥谷圭介。

主演は高杉真宙、加藤諒、渡辺大知(黒猫チェルシー)
脇を固めるのは金子ノブアキや篠田麻里子、ミュージシャンのMIYAVIやラッパーの般若など、

底辺で生まれ育った者たちが悪事に手を染めながらそれでも上を目指し足掻いていく様を描いた物語。

監督は『SRサイタマノラッパー』シリーズなどでお馴染みの入江悠。

監督が入江悠ということで結構期待して鑑賞したんですが、うーーん。ちょっとコレはですねぇ、解釈違いと言いますか原作の鈴木大介が込めたメッセージが薄まってるなぁという感じでした。

原作の『ギャングース』では作中欄外やあとがきコラム等で繰り返しこういった若者たちが何故そういう道に走ってしまうのか?を繰り返し解説をしていました。
もちろん悪事を行うこと自体を賞賛したり肯定することは正しくはないんですけど、ただ、ただですよ、一定の理解やひとつの考え方として、何故彼ら、彼女らがそう行った道に踏み込まなくてはいけなかったのか?を描いて見せるという意味では、この作品にこの監督は正にベストマッチだったわけで、だからこそもっとそこに焦点を当てた作りにして欲しかったなと思いました。

単純なロジックで『若年の犯罪者はクズだ』みたいな非難をするのではなく、こうなっていく過程を描いて見せてくれればと残念でならないです。

未だに当たり前のように
『良い学校に行って良い企業に入ってれば人生安泰だ』
みたいなロジックに凝り固まった人も多いです。
でもこれって可能性の問題でこのロジックをみんなで実践した結果が、台風が来ても休むことも許されず、駅で大行列をしてしまうような世の中になっていってるような気がします。

好きなことや楽しいことを享受できる人生は幸せで、それが当たり前の世の中でそれでもそんな世の中にコミット出来ない人達がいるということも現実として知っておいて欲しいと思います。

入江悠監督はどうせなら『おっさんのケーフェイ』を撮るべきだったのです。はい。

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