【ギフトに生きる#6】みんなギフトに生きている
ギフトに生きるを続けていって気がつくことは
驚くほどにみんな自覚はしていないけれど
ギフトに生きている
ということなのです。
本当にみんなギフトに生きている
ギフトな生き方を続けていると、日常に溢れているギフトに気がついていきます。
例えば呼吸。
僕たちは息を吸うたびに酸素を植物からギフトしてもらい、吐くたびに二酸化炭素を植物にギフトしています。
例えば道を歩くこと。
普段何気なく歩けている舗装された道。これは誰かが工事をしてくれているから歩けているし、年中どこかで補修してくださっている人がいるからキープされている。そしてそのお金はどこからでているのか?それは誰かの一生懸命働いたお給料の一部がギフトして税金になって、めぐっている。あるいはみんなで一生懸命働いた法人税というギフトがめぐってきている。そんなふうに誰かのおかげさまで道路はある。
例えば会社にいるみんなの存在。
これはリモートワークになって気がついた人もいると思いますが、人がいて一緒に働いているというだけで、自分も仕事するエネルギーが湧いていたり、やろう!という気になったりしています。またいつでも相談できるという安心感も得ていたりします。
例えばお母さんお父さんの存在。
二人がいたから今自分はいる。それはまぎれもない事実。人によっては違うけれど、今の自分になるまで育ててくれた人たちの存在。そんな一人ひとりからいろいろな形のギフトを受け取って僕らはここに居ます。
そんな風に僕たちは沢山の人のギフトを受け取って暮らしています。
逆を考えると
僕たちが生きていることで、他の人のギフトになっていることも沢山あるのです。
僕らが働くことで税金をギフトしていたりしますし、働く仲間の力になっているかもしれない、誰かのパパママであるかもしれないし、だれかが育つことを無意識に支援しているかもしれません。
そんな風に、僕たちは無意識のうちに誰かのギフトになっているのです。
そして見返りなんて気にしていないわけです。
つまりはみんなギフトに生きているのです。
ギフトに生きるというのは特別なことではなく、普通のことでもあるのです。
そんなふうにギフトに目を向けるだけで豊かさが増えるかもしれません。
それでも、ギフトが巡っているように感じる人、感じない人というのはいるのでギフトが巡っているように感じる人になっていくための考え方を次回以降お伝えしていけたらなと思います。