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女子スポーツ問題~大統領令・美山の感想

美山みどり


トランプ、女子スポーツを守る

回りを取り囲む若い女性たちの喜びの表情がなによりも雄弁でした。

ニュースで伝えられる、トランプ大統領が「女子スポーツから『トランス女性』を排除する大統領令」にサインする瞬間の映像です。なるほどトランプ、自分のパフォーマンスの演出にきわめて長けていますね。

時間の問題ではありましたが、この大統領令は待ち望まれてました。トランプ当選以降の時系列を整理してみましょう。

  • 2024/11/5 次期アメリカ大統領としてドナルド・トランプ当選が確実

  • 2024/12/24 バイデン前政権が、女子スポーツの定義について「女子」に「トランス女性」を含める解釈を示した「タイトルIX」の修正を自ら撤回。

  • 2025/1/14 アメリカ下院が、連邦政府からの資金を受ける教育機関において、女性スポーツにトランスジェンダーの選手が参加することを禁止する法案を可決

  • 2025/1/18 ニューヨークポスト紙とイプソス社が行った世論調査(2025/1/2-10)で、女子スポーツへの「トランス女性」参加を否定する回答が全体の79%、民主党支持者でさえ67%が反対の回答

  • 2025/1/20 トランプが大統領に就任

  • 2025/2/5  大統領令


ニューヨークタイムズ紙/IPSOS社の調査(2025/1/2-10調査)
https://static01.nyt.com/newsgraphics/documenttools/f548560f100205ef/e656ddda-full.pdf

ですから、本当にこの大統領令は待ち望まれていました。8割のアメリカ人が求めていたことを、トランプは実行したわけですからね。下院での法案可決では、民主党議員からも2名の造反者が出て、法案に賛成しています。ニューヨークタイムズ紙の世論調査ももっともな結果であるといえるでしょう。

写真への補足:一部のリベラル系と思われる、トランプを敵視する人たちは、大統領令署名の写真は「全部白人女性ばっかり!差別者ばっかり!」と主張しますが、映像いろいろ見比べると、黒人?と思われる人、アジア系?と思われる人など、結構いろいろいます。具体的に「誰」と識別できる gamalan31(温解凍中)さまが、非白人の列席者を列挙しています。すばらしい。

あなたのそれは人種差別的であり、ものすごく失礼な主張です。 Paula Scanlanは台湾系、Sia Liiliiはハワイ出身でサモア&フィリピン系、著名スポーツキャスターのSage Steeleはアフリカ系米国人です。トランプ氏を囲む写真が白人女性ばかりと言っている方は、特にアジア系の人を見落としていますし、そもそも写真をよく見ておらず具体的人物も知らないようです。

https://x.com/streamkamala/status/1887703994157703382

トランプ大統領令の内容解説

具体的に大統領令の内容を見てみましょう。

第 1 条 政策と目的
近年、多くの教育機関やスポーツ協会が、男性の女子スポーツ競技への参加を認めている。これは女性と少女にとって屈辱的で、不公平で、危険であり、女性と少女が競技スポーツに参加し、活躍する平等な機会を否定するものである。

https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/02/keeping-men-out-of-womens-sports/

で始まり「女性と少女から公正な運動機会を奪い、女性と少女を危険にさらし、屈辱を与え、沈黙させ、プライバシーを奪う教育プログラムへの資金をすべて撤回すること」を米国の政策として実行すると宣言します。

昨年4月29日にバイデン政権は、女子スポーツ参加の平等性を定めた「1972 年教育改正法」(いわゆる「タイトルIX」)の解釈の中で、「女子には『性自認が女性』を含む」として、教育現場で女子スポーツに「トランス女性」が参加することを拒否できないようにする規則を定めました。しかし、この解釈変更は物議を醸し、訴訟に訴えていくつかの州では発効を阻止されています。この件もトランプ当選の原動力の一つでしょう。
そして、12/24には、バイデン政権自身がこの規則を撤回しています。トランプも当然、このバカげた規則の「無効」を引き継いでいくことを宣言しています。

もちろん、女子ロッカールームの話も取り上げられています。リア・トーマスが同僚女子たちとロッカールーム共用を強制し、訴訟になっていた件も、

女子のみのスポーツの機会と女子のみのロッカールームを積極的に保護し、それによって 1972 年教育改正法のタイトル IX で保証されている平等な機会を提供するために、適切な措置をすべて講じ、(iii) 項で説明されている執行措置を含め、女性のスポーツは女性のみに与えられることを明確に指定および明確化することにより、規制と政策指針を議会の既存の「男女のメンバーに平等なスポーツの機会」という要求に沿わせ、係争中の訴訟をこの方針に沿って解決する。

https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/02/keeping-men-out-of-womens-sports/

としています。単に「解釈」の問題でも、連邦政府の資金援助の話だけではなくて、積極的に「適切な措置をすべて講じ」るというのが、何とも頼もしい限りです。そして、

  • かつての政策によって被害を受けた女子選手たちを招集し、その意見を具体的な政策に反映する

  • 教育文化局のスポーツ外交部や国連米国代表部などを通じ、海外の「性自認主義」の女子スポーツ競技大会への参加などの、「性自認主義」を肯定するような海外とのスポーツ交流をストップする

  • 国際的な競技団体にアメリカの意向を伝え、公平な女子スポーツのための国際ルールを定めるように求める

  • 海外からアメリカの女子スポーツに参戦しようとする「トランス女性選手」のビザ発行を認めない

  • IOCへも、性自認・テストステロン濃度に基づく女子スポーツ規約を認めないように求める

と、強く踏み込んだ内容の大統領令になっています。次回のロス五輪では、この方針で運営されることになると予想されます。

補足:「クァドラブル・レッド(四重の共和党優位)」

補足をするならば、これほどに大胆な政策転換を行うことができるのは、現在のアメリカでは、大統領・上院・下院・最高裁判事のすべてで共和党優位の状況にあるからです。もちろん、大統領令を議会が否決することもできますし、最高裁で違憲の判断が出ることもあります。しかし、アメリカの現況を見る限り、トランプの発する大統領令が無効になることはありえません。

下院では1/14に同様の法案が可決していますが、上院では「可決されないのでは?」と観測されていました。上院も共和党過半数なのになぜ?という疑問を持つのは当然なのですが、どうやらこれは「議事妨害(フィリバスター)」によって、審議を延々と止めることができる上院特有の慣例があり、過半数の議席でもこれを止められない(止めるには60議席が必要)ためのようです。

しかし、トランプは大統領令により、議会と独立して政策を実行してしまいます。それを「無効化」するためには、過半数での議決が必要になります。上院でも少数である民主党には現在その能力がありません。最高裁でも保守系判事が多数ですから、違憲の申し立ても通りません。

それどころか、民主党内部でも「民意を左派は無視している」として、造反や分裂含みの展開がおきる可能性が高いとまで、言えるでしょう。

性別移行者として

私たちは性同一性障害当事者の団体として、以上のようなアメリカの状況を見守っています。
私自身、男性から女性へと性別移行をした「トランス女性」に分類されるのですが、アメリカで猛威を振るった「性自認至上主義」と、「性自認による、『トランス女性』の女子スポーツ侵略」については、強い懸念をもって状況の推移を見てきました。

こんなことが横行するならば、特例法制定以降、私たちが社会に定着してきたこと自体が、非難されることになる

このような懸念の方が、「自分と同じトランス女性が、ハンデをものともせずに、活躍できる!」ということ以上に、重大なものだったのです。いや、明白に当事者の目からしても、これは「チート」の部類です。このような「ズル」をする不心得な人々によって、性別移行者が憎まれるようになり、自分たちの立場がかえって悪くなる….最初からそんな懸念しかありませんでした。

「トランスジェンダー」に限らず、あらゆる人は「人生の選択」を迫られながら生きています。「あれがしたいなら、これを諦めなくてはならない。」誰しも二者択一を迫られる状況になるのは普通のことなのです。

性別移行したいから、スポーツ選手になるのは諦める
スポーツ選手を続けたいから、引退まで性別移行は諦める

この二つの「諦める」のどこが、「人権の侵害」なのでしょうか?

私には当事者として理解ができません。「あれもこれも、ズルい両取り」としか感じられません。

JOC理事・杉山文野氏の談話

このトランプの大統領令に反応して、日本でもJOCの理事であり、かつての女子フェンシング日本代表だった、杉山文野氏は、

全てのLGBTQ+(性的少数者)コミュニティーに対する差別的なメッセージを発信するものであり、スポーツ界全体に負の影響を及ぼす

https://www.sankei.com/article/20250206-VOX53B3SNZMHVMCHXFQUH3BI5Y/

「五輪憲章にも明記されているように『全ての個人が差別なくスポーツに参加できる』ことは、国際的に守られるべき基本的人権」と指摘。この問題が「政治的な道具として利用されている」と批判し「トランスジェンダー選手の問題が『公平性』の名の下に排除の議論へと誘導されることは、本来スポーツが持つ包摂性を損なうことにつながる」と訴えた。

https://www.sankei.com/article/20250206-VOX53B3SNZMHVMCHXFQUH3BI5Y/

と談話を出しています。

確かに「スポーツへの参加」は基本的な人権です。しかし、参加と「勝利」は別物です。ルールの間隙を突くかのようなゴリ押しによる「勝利」を認めることは、「公平」ではありません。

言うまでもありませんが、「トランス女性」が男子競技に参加することは、誰も否定していません。また「トランス男性」が男子競技に参加することを、否定することもないでしょう。女子競技という「保護されるべき競技」であるがゆえに、その参加資格が問われているだけに過ぎないのです。

杉山氏の経歴を見てみれば、真意は一目瞭然です。杉山氏は女性から男性へと性別移行をした「元・女子選手」です。女子選手として日本代表にまで上り詰めたわけですが、「心が男」と主張して「性自認によるスポーツ参加は人権だ」と主張するのならば、男子競技に参戦すべきだったことにもなります。

明らかにこれは自己正当化のための偽善です。

さらに言えば、現在のスポーツ競技では、男性ホルモンの投与は男女を問わず「ドーピング」となります。杉山氏のような FtM が、選手生活と並行して性別移行のために男性ホルモンの投与を受ければ、即刻ドーピング違反として選手生命が断たれることになるでしょう。
杉山氏はこのような背景もあっての主張であるとも思われますが、これほどまでにジェンダー医療と女子スポーツとの関係には、両立が難しい側面があります。

ジェンダー医療と女子スポーツ

昨夏のパリ五輪での女子ボクシング、イマネ・ケリフ氏とリン・ユティン氏の問題というのも、このような「ジェンダー医療」とスポーツの間の難しい問題を反映していると、私は見ています。

イマネ・ケリフ氏については、性分化疾患の一つである「5α還元酵素欠損症」ではないかという報道もありました(事実としては未確認)。この疾患では、遺伝子的には男性(XY)であり、外性器の状態はさまざまであるとされています。この疾患では睾丸が多くは体内に残留し、男性ホルモン値も正常男性並みにあることもあるようです。思春期には部分的に男性化が起きることも指摘されますから、「5α還元酵素欠損症」の場合には、女子選手としての許容範囲を大きく超えていると見ることもできましょう。

パリ五輪女子ボクシングで問題が起きたのは、ボクシングと言う典型的なコンタクト・スポーツ(しかも最も暴力性が強い)ものであったことも理由にあります。性別疑惑を抱えた選手によって、女子選手たちが暴力的に圧倒される状況が中継され、国際的に世論の憤激を買ってしまいました。さらに言えば、国際ボクシング協会(IBA)とIOCとの確執から、「パスポートの性別以外のチェックをしていない」状況での、女子ボクシング参加についての「事実確認としての当然のチェック」を欠いた状況での参加となったことも、大きな問題でした。

もちろん、先進国では誕生時に、性分化疾患の中でもとくに「5α還元酵素欠損症」は外性器の状況から判定されて、適切なケアが提供されることがほとんどです。しかし、公衆医療の水準は国によって時代によってバラバラです。「5α還元酵素欠損症」の場合、以前は「停留精巣がガン化する可能性が高い」という理由で、幼児期に精巣の摘出がなされて女児として育てられることも多かったようですが、日本の現在の医療では「思春期年齢での男性化、精子形成能、男性としての gender identity を考慮すると、男児として育てることが推奨される」とされています(日本小児内分泌学会 https://www.shouman.jp/disease/details/05_31_068/)。
しかし、海外での状況はバラバラでしょう。途上国ではそのまま見過ごされて「女児」として育てられることも多かろうと推測されます。

この場合には、遺伝的に男性であり、しかも男性に近い体力を備えた「女子選手」が誕生することになります。医療水準の国家間での格差が、意図せずに困難な状況を作り出す可能性があるのです。

もちろん今までにも、遺伝的男性でありながらも、身体が男性ホルモンに反応しないために起きる「アンドロゲン不応症」による「遺伝的には男性」の女子選手が問題になったことがあります。外見上は完全に女性であり、女性として育ったことに何の疑問もないのに、不妊から染色体検査を受けて「遺伝的に男性である」という判定を受けて、ショックを受けるという話も聞きます。このようなケースで、体力的には女性と同等であるにもかかわらず「女子ではない」とされてスポーツ競技参加を拒まれた例が今までにいくつもあります。
昔の映画でも増村保造監督・安田道代主演の「セックスチェック・第二の性」という、この問題を取り上げた作品(1968)があったくらいですね。
このようなケースをどう扱えばいいのでしょうか?

トランスジェンダーを巡るさまざまなトラブルを経て、現在の多くの国際競技団体、世界陸連・世界水泳連盟などの基準は、身体的に「男性としての思春期を迎えていないこと(医学的にはタナー段階2に達していない)」が採用されていることが多くなりました。加えて血中テストステロン(男性ホルモン)の濃度も監視されます。現実的にはいわゆる「トランス女性」を排除するには十分な基準ではありますが、どのような基準が「客観的」として合意が得られるのでしょうか。

世界水泳連盟(World Aquatics:旧国際水連FINA)のレギュレーション
https://resources.fina.org/fina/document/2022/06/19/525de003-51f4-47d3-8d5a-716dac5f77c7/FINA-INCLUSION-POLICY-AND-APPENDICES-FINAL-.pdf#page=7

世界陸連(World Athletics:旧国際陸連IAAF)のレギュレーションhttps://worldathletics.org/download/download?filename=c50f2178-3759-4d1c-8fbc-370f6aef4370.pdf&urlslug=C3.5A%20%E2%80%93%20Eligibility%20Regulations%20Transgender%20Athletes%20%E2%80%93%20effective%2031%20March%202023

スポーツ参加と基本的人権

そうしてみると、人権としての市民的な「スポーツ参加」の権利と、エリートスポーツの参加資格とは、別な概念として捉えるのが適切であると、私は考えます。エリートスポーツへの参加資格は「特権の付与」であり、絶対に守るべき「基本的人権」とは別なものではないかとも考えるのです。

女子のエリートスポーツには、明確で科学的な判断基準を導入すべきだと、私は考えます。それでなければ、競技の公正性・安全性を担保できませんし、「勝利」の報酬としての社会的地位・賞金などを「公平な競技実績」によって得たという「アスリートへの尊敬」が失われることにしかなりません。
当たり前ですが、誰もが「スポーツ選手」になることはできません。「選ばれて、なる」「選手」という言葉の字面に従うのならば、「スポーツ選手」になるのは「権利」というよりも、より厳しく判定されるべき「特権・資格」であるべきでしょう。

そうでなくて、市民的な「スポーツ参加」については、体力的な平等性に基づいたクラス分けがなされるべきだと感じています。特に強制的に全員参加させられる学校教育ではこの考え方が重要です。
私は MtF である以前に、きわめて体格・体力が劣り、男子たちに伍していけない状況でした。中学・高校の体育の授業は、ハッキリ言って「危険」なものでしかありません。集団競技に参加するどころの話ではないのです。「怪我をしないように」何もしないしか、授業をやり過ごすことができなかったほどでした。これでは「スポーツ参加が基本的人権である」となぞ、言えるわけがありません。

大学でも「体育」の必須科目としての授業が存在しました。しかし、その授業では、まず第一回に受講者全員の体力の測定が行われ、その体力別にクラスが編成されて、同程度の体力の相手との競技が行われたのです。

「男子・女子」ではない、体力別の競技というアイデア。

逆に男性並みの体力を誇る FtM の仲間の場合には「女子と一緒に体育をしても、怪我しないように手加減しなければいけない。だから男子と混じって競技していた」と語っています。「体力別編成」というのも、学校教育では考えるべき方策であると考えます。

しかし逆に、今、中学校では「男女差別の禁止」というお題目から、体育を「男女混合」で行われるように学習指導要領が変わっています。この結果、とくに女子の間から「何もできなくて、体育が全然面白くない!」という声、男子からは「手加減しなければいけなくて、全力が出せずにつまらない!」という声が上がってきていると聞きます。

これでは、まさに「平等」が「不公平」と不満を生み出しているだけです。

形式的な「平等」でも「人権」でもなく、具体的な状況に即した実質的な「公平性」というものを、今後の社会では重視してもらいたいと、私は願うばかりです。

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