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書評:「性別」医療現場の苦悩~「手術なし」をどうやって...(針間克己「正論」令和6年11月号)

性同一性障害特例法を守る会 美山 みどり

性同一性障害(性別不合)について、精神科医として第一人者であり、2003年GID特例法にも主導的な役割を果たしたことで知られる、針間克己医師が7月号での「エビデンス重視のジェンダー医療を」に続いてまた産経新聞社発行の月刊誌「正論」誌上に登場しました。

タイトルからうかがわれるように、本年7月10日の広島高裁での差戻審の決定に対する現場の困惑の気持ちがストレートに綴られた文章です。この差戻審では特例法の外観要件「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」について、違憲の判断をせずに原告の主張を容認するという「はなれわざ」をやってのけています。

社会生活における通常の接触の中で他者の目に触れた場合における党外他者を基準として、変更後の性別に係る身体の外性器に係る部分であると認識することに特段の疑問を感じないような状態であることを要し、それで足りるものと解するのが相当である。

と、この原告の性器が「女性のものと認識される程度に変化している」ということを事実認定したわけです。

そんなことが本当なのでしょうか?

女性ホルモンの継続投与で男性器が女性器に?

私も10年以上女性ホルモンを投与してきましたが、少々小さくなったかな?とは思わなくもないですが、女性の性器と見間違うほどに小さくなったなどと到底いうことはできませんでした。せいぜい9割程度? 私の体験の上からもまったく非現実的なことを、広島高裁は「事実」として認めてしまったようです。

針間医師も同様の感想です。

ホルモン療法によって「女性外性器(大陰唇、小陰唇)に近似する」「女性外性器化する」といった話は医学書を見てもどこにも書かれていない話です。男性外性器にある程度の萎縮が見られることは一般にありますが、周囲が「女性の外性器のように認識することに特段の疑問を感じないような状態」にまで変化することなど、極めて例外的で特殊なケースです。マジカルなホルモン療法の薬剤が開発されたという話も耳にしたことがありません。

p.146

あくまで噂ですが、「診断した医師が人情味あふれる方だったので、患者の意志を尊重して….」という話も耳にしています。高裁裁判官が具体的な証拠によって「女性器レベルまでの萎縮」を確認したのならば、それを明らかにすべきでしょう。もし仮に、この医師の証言が「人情」によるものであるのならば、その医師の責任は医事法・私文書偽造だけではなく、偽証罪にまで問われるものとなるはずです。

萎縮の客観的基準は?

差戻審の決定でも、「どのくらい萎縮していたら、女性器とみなすことができるのか?」という基準については具体的に触れられていません。曖昧なままに「厄介払い」するかのような、はなはだ無責任な決定を広島高裁は下しているようにしか見えません。

何をもって女性外性器と「見なせる」のか。万人が平等に判断できる基準が不可欠だと思います。基準がないままに「似てる」「似てない」と議論してもナンセンスであることはいうまでもありません。
(中略)
医学界で基準を作ってほしいと言われれば作らざるを得ないでしょうが、男性外性器が萎縮することによって女性外性器に類似していると判断するための参考となる基準などは私の知る限り医学界にはないと思います。

p.146

ですから、ムチャ振りをされたのは、現場の医師たちなのです。バカげた決定をしたために、現場には混乱が広がっています。この決定の直後に私たちが指摘したように、今後の特例法の改正論議を「難しく」してしまうような影響がでてくることでしょう。

もちろん専門医である針間医師は

広島高裁の決定のあと、MTFの方々からさまざまな相談を受けるようになりました。ですが「女性外性器に似ていると言える?」「自分でどう思う」と聞くと「似ていないですね」。多くはそれで終わります。
「基準がよく分からないし、なかなか簡単にそうした診断書は書けないよ。それでも挑戦してみますか?」と声を掛けたりもします。ですが、今までにそうした診断書を発行した例はありません。何をもって似てるといえるのが。基準がよく分からないからです。

p.148

と良心的に対応しています。その反面、見るからに商業主義的な一部の医師(オンラインだけで診断する!と宣伝していたりします)は、これ見よがしに「診断書を書いた!」とホームページに掲載しています。この医師はただの産婦人科医であり、性同一性障害の専門医でもない町医者です。誠実に対応する専門医がバカをみるような、医療倫理の崩壊を招く行為が堂々と宣伝されていたりするのです!

まさに性同一性障害(性別不合)の診断書が効果を持つために、針間医師も「たとえば精神保健指定医、あるいは日本精神神経学会が出す精神科の認定医などのような精神科医の専門性を担保する資格を設けることも検討に値すると思います」(p.151)と主張しています。これ以上、ジェンダー医療の頽廃を許してはなりません。

今までは手術要件があったために、私たちは社会に問題なく受け入れられてきたのです。そしてこの中途半端な違憲判断は、法的整合性もないがしろに、医療の現場も混乱させ、社会の中での当事者の立場も悪化させました。「責任逃れ」が最悪の状況をもたらしたのです。

性別移行はリスキー、だからよく考えよう

私たちは安全で後悔のない医療を受けたいのであって、「いいよ、いいよ」でアタマを撫ぜてくれる医療が欲しいのではないのです。診断の厳格化は私たちにとっても有益なのです。
性別移行して後悔するのは、人生と体力と精神を「削る」ような最悪の状況です。幸せになれないのなら、医師はしっかりと「止める」責務があるはずです。

実際、思い込みで性別移行を試みる人は少なくはないのです。女装にハマって「女になったら楽しいだろう!」と思う人、思春期の身体変化を厭わしく感じる女子、自身の同性愛感情を誤解する人、発達障害からジェンダーで分けられた行動がうまくできないために「トランス」だと思い込む人、統合失調症などの明白な精神疾患の症状として性別移行を妄想する人など、いろいろな人々がいるのです。
性別違和を誤解ではなく感じている当事者であったとしても、逃避的な気持ちから「不利な見かけ」を押して性別移行して、人生が詰む人も多いのです。性別移行自体が極めてリスキーな「賭け」であり、この「賭け」に勝てるか勝てないかを冷静に判断できない人に、医師が性別移行を勧めることがあってはならないと思います。

また針間医師のこの文章では触れていませんが、広島高裁差戻審以降、「女性スペースが、男性器がある「トランスジェンダー」に侵略される!」という女性たちの懸念が高まり、私たちに対する社会の目が厳しくなってきています。「マイノリティの権利」をゴリ押しするLGBT活動家たちの想いに反して、権利を主張すればするだけ、マイノリティが生きづらくなる…こちらの方が日本社会の現実なのです。
ですから、「こんなバカげた決定が出たせいで、未手術ではやっていけなくなった!」と手術に踏み切るMtF当事者の話も聞きます。逆に 「最高裁で認められたから、未手術で戸籍を変えたけど、それでは満足できない。だからやっぱり手術する!」と手術を受けたFtM 当事者の話も聞きます。そのくらいに、実は私たちはこの決定によって追いつめられてきています。

私は昔から、「戸籍変更は手術のオマケ」と言ってきました。周囲が受け入れてくれなければ、戸籍を変えたところで人生がうまくいくわけはないのです。戸籍が変わっていれば、希望する性別の側で本当に受け入れられるか、といえばそんな甘いものではないのです。それに怒って、戸籍を「殴り棒」として使うのは最低の行いですし、そういう当事者は絶対に幸せにはなれません。「自分の気持ち」を周囲に認めさせる一番の手段は、やはり手術であることは否定できないのです。

私は当事者として、同じ立場にある仲間たちに本心から、手術によって幸せになってほしいのです。手術がしたくない人、すべきでない人、理由があってできない人の問題は、私たちの問題とは切り分けて、社会が「戸籍性別」ではない別な手段で解決すべきであると考えています。それこそ、ジェンダー規範について社会は「寛容」であるべきなのですが、女性スペース・女性スポーツなどの社会における「意味のある区分」については「寛容な考え方に変える」程度のことで解決するはずもないのです。
根拠のない楽観はリスク管理の代わりにはなりません。
女性の権利が「トランスジェンダーの人権」によって危機に瀕するような事態は、まさに本末転倒なのです。

私たちは「自分たちの社会」について、状況に流されることなく真剣に考え、賢い判断をしていこうではありませんか。

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