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LGBT偏向報道のゆくえ
美山みどり
今アメリカは大いに燃え盛っています。
国際支援を行うためにつかわれるはずの USAID による資金提供が、内外のマスコミに流れていて、それが民主党の政策のプロパガンダとして流用されている?という疑惑ですね。このトランプ大統領&マスク氏の批判がどこまで正しいかは、私たちには分からないことです。
しかし、特にLGBT問題に関しては、そう批判されても仕方のないくらいに、日本では新聞・TVを問わずに偏向した報道がなされてきました。いやほぼ偏向した報道「しか」なされてこなかったというべきでしょう。一昨年の「手術要件を守れ」の署名活動でさえ、最終的に最高裁へ提出する場面のNHKの取材は入りましたが、TVがまともに報道したのはこれくらいのものです。TVからはいくつかの局から、判決の後にコメントを求められた程度の話です。
「トランスジェンダー批判」はタブー
「女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会」として、私たちも意見を述べる機会を与えて頂いている「女性を守る議連」の報道も、産経新聞社が「突出」して報道しているばかりで、他の新聞社は見て見ぬふりを決め込んでいるとしか思えないほどに、報道に偏りがあります。
簡単にgoogleでニュース検索トップ30件をカウントしてみても、
産経新聞:15件
朝日新聞:3件
日経新聞:2件
共同・毎日・時事・テレ朝:1件
外ネットメディア:4件
と明らかな偏りが見られます。
いやちゃんと議連の会場には記者は来ているのです。それでもネット記事にすらならない。不思議ですね。
今まで公にしていないことですが、広島高裁での特例法手術要件差戻審について、某マスコミが先んじてその判決内容を掴んだらしく、この件について私にコメントを求めてきました。まだ公にされていない状況でしたが、広島高裁での判決があるか?という観測もないわけではないので、その記者のコメント要請に対して「広島高裁の判決ではありませんか?」と尋ねました。しかし、その記者は「違います」と答えてしまいました!
もちろん、判決内容が表に出て、私は激怒してそのマスコミに抗議をしました…嘘をついて情報を得ようとする、そんな取材、ありますか?
いかにマスコミが活動家側に「同情的でなくてはならない」と思い込み、おかしなことがあっても批判をためらっていることが窺われます。「第四権力」とマスコミは揶揄されますが、「差別!」と糾弾してくる「人権団体」とは、「第五権力」なのでしょうか?
このような問題にメスが入ることを、私は切に要望します。マスコミの流す情報はあまりに一面的です。「人権」を尊重するのはけして悪いことではありませんが、「人権」を盾にして言論を弾圧するのは民主主義の理念からは大きく外れています。まさに「トランスジェンダーになりたい少女たち」でKADOKAWAにかけられたような圧力が、陰ではマスコミにかかっているのが常態である、と言われても仕方のない状況です。LGBT活動家、そして「トランスジェンダー」が起こした事件がマトモに報道されず、「人権」だけがプロパガンダされることの裏には、秘密のお金の流れがあっても、誰も不思議に思わないでしょう。
海外で「トランスジェンダー問題」が「文化戦争」と呼ばれるほどの社会対立を引き起こし、不法移民問題とともにトランプ大統領の当選の大きな原因ともなったのはもはや周知の事実です。ですから大統領就任早々に「性別は男女二つだけ」と宣言し、未成年者への性別移行医療を禁止する大統領令、女子スポーツに「トランス女性」が参加するのを禁じる大統領令を矢継ぎ早に出したのです。
その他にも、スコットランドの首相交代(2023/2/15)や、スペイン総選挙での与党大敗(2023/7/23)の原因となっているにもかかわらず、マスコミはまったくこの問題に斬り込もうとはしなかったのです。これほどに「トランスジェンダー問題」が世界を揺るがせて、「文化戦争」として社会対立として鮮明に表れているのもかかわらず、まともな報道をしないのです。
まさに今は「マスコミを信じていると世の中が見えなくなる」状況だと言っても過言ではないでしょう。
性同一性障害と「トランスジェンダー」を混同したい人々
報道された場合にも、たとえば一昨年の最高裁判決の報道のように、
トランスジェンダーが戸籍上の性別を変えるのに、生殖能力を失わせる手術を必要とする「性同一性障害特例法」の要件が、憲法に違反するかが問われた家事審判で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は25日、要件は「違憲」とする決定を出した。
こんな論調がとくにリベラル系新聞と呼ばれる朝日・毎日・東京新聞では典型的です。しかし特例法の当事者である性同一性障害当事者としては、
特例法は「性同一性障害当事者のための法律」なのに、なぜ「トランスジェンダー」の問題として報道するのか?
という疑問を持たざるを得ないのです。この裁判での原告は「性同一性障害」の診断を受けています。この「性同一性障害」の診断と「性器手術をしたくない」という個人的な希望との間での矛盾、それが戸籍性別変更要件の大前提としての手術要件と衝突することで、手術要件が「過酷なのかワガママなのか」を改めて問うた最高裁の判断であるのです。
それをなぜか「トランスジェンダー」の問題として、マスコミ各社は報道しようとするのです。
「トランスジェンダー」には、広い意味での「性別移行者」という程度の意味しかありません。女装趣味の方やゲイの娯楽として一時的に女装してショーをするドラァグクイーン、「男女の社会的な役割に違和感を持ち、それにとらわれずに生きたい」と考える方も含む、あいまいで広い範囲を大雑把にくくる概念でしかないのです。
いやいや、アンブレラタームにはクロスドレッサーも入ってんだから間違いじゃないよ。
— 青嵐透 (@lunaticflyair) July 30, 2022
トランスジェンダー女性を身体女性が演じるより女装男性が演じる方がよっぽど実態に近い。
それとも未オペはトランス女性として認めないという立場? https://t.co/c2sal4iqt4 pic.twitter.com/HgzODbPHYe
実のところ、私たち性同一性障害の当事者も大きなカテゴリとしては「トランスジェンダー」には含まれもするのですが、「トランスジェンダー」の中で性同一性障害の診断がある人は15.8%に過ぎません。「トランスジェンダー」の大多数は「性同一性障害」ではない、女装趣味の人や自分のジェンダーに不満を持つ人であり、手術などの積極的な医療を求めない「生き方」の人々なのです。手術を求め手術によって救われる性同一性障害当事者とは、別のニーズをかかえた人たちであると言ってもいいでしょう。
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https://www.mhlw.go.jp/content/000673032.pdf
マスコミはわざと、性同一性障害と「トランスジェンダー」を混同している!
私たちはそう捉えて、「女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会」として、報道各社にこのことに抗議し、また日本ファクトチェックセンターへもチェックを要請したのです。
しかし、私たちの指摘を報道各社は事実上無視し、日本ファクトチェックセンターは、
JFCは「性同一性障害者」という表記が間違っていると主張しているわけではありません。実際に今回の判決を受けた報道で「性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更するのに」(読売新聞)などの表記もあります。特例法に関する裁判であるということを明確にするには、このような表記の方が良いという意見もあるでしょうし、その点において連絡会の方々の「混同である」というご指摘は重く受け止める必要があると思っています。
JFCとしては混同しているわけではなく、トランスジェンダーという表記の方が妥当であるという判断のもとでこの表記としました。よって、訂正は考えておりません。
と私たちの主張にまったく反論できないにもかかわらず、理由も示さずに「訂正しない」と強弁する始末です。まさにマスコミと、特例法を乗っ取りたいLGBT活動家がズブズブの共犯関係にあると言われても仕方のない状況なのです。
私たちは性同一性障害当事者として、手術要件がある特例法によって救われ、社会への適応が進んだのですから、特例法に感謝し「自らを守る盾」とまで捉えてきました。
特例法は私たち性同一性障害当事者のための法律です。
決して定義も範囲も曖昧な「トランスジェンダー」のための法律ではありません。このように性同一性障害当事者が捉えていることはまったく報道されずに、「トランスジェンダー」の話としてマスコミは報道を続けているのです。なぜこんな誤った報道を報道各社はいつまでも続けているのでしょうか。
「LGBT報道ガイドライン」とは?
これには実は大きな原因があります。それは「LGBT法連合会」というLGBT活動家によるロビイングのためのNPO法人があり、ここが発行した「LGBTQ報道ガイドライン」という報道機関のための「お願い」の文書(2019年3月では「LGBT報道ガイドライン」。2022年の第2版より「LGBTQ報道ガイドライン」に変更)があります。
このガイドラインは「LGBT法連合会が中心となり、報道8社9名の有志の記者ら」が策定したとLGBT活動家の松岡宗嗣氏が述べています。(https://fairs-fair.org/lgbt-media-guideline-0307/ )
私たちも報道各社でLGBT活動家に「寄り添って」記事を書く記者たちを各社ごとに特定し把握してますが、このようなLGBT活動家団体のベッタリの記者たちによって、「LGBT報道を自主規制する」ガイドラインが作られているのです。結果「LGBTが起こす問題についての報道について、いちNPO法人の意向をうかがって、自主規制しなければならない」という状況が生れているのです。
これがまさにマスコミと取材対象との「癒着」でなくて何でしょうか?
このガイドラインの中身には「明らかにツッコまれる」要素は少ないのです。しかし、
トランスジェンダーの性別に関する表記は戸籍上の性別ではなく本人の自認を尊重した上で対応しましょう。戸籍上の性別を出されたくないという方もいます。また、人称代名詞が「彼女」や「彼」、それ以外なのか等も注意し、本人に確認しましょう。性別への言及が不要な場合はジェンダー中立的な表現を用いることが望ましいです。
つまり、戸籍の性別を変えているか否か、見た目の状況・社会生活の状況の如何を問わずに、「本人の自認を尊重」する必要があるとします。さらに、
また、本人の性のあり方を同意なく第三者に暴露してしまうことを「アウティング」と言います。アウティングは、プライバシーの侵害につながり、生命に関わる程の深刻な影響をもたらす可能性があります。2020 年 11 月、東京高等裁判所はアウティングが「人格権ないしプライバシー権などを著しく侵害するものであって、許されない行為」だと示しています。取材をする/される際に、アウティングとならないよう細心の注意が必要です。
としていますから、女装者であることが明らかの場合でさえ、不用意に「トランスジェンダーをトランスジェンダーと呼ぶ」ことが、はばかられる結果になってしまいます。性犯罪を犯した場合にもそんな「配慮」が必要なのでしょうか?
「LGBT法連合会」のようないち市民団体になぜこれほどの「検閲権力」が与えられるのでしょうか?
また私たちの立場からすれば「性同一性障害」という言葉をなるべく排除しようとするようにも、このガイドラインは読めます。「出生時に割り当てられた性別」という表現は、医師が恣意的に「性別」を判定しているかのような印象を与えることもあり、身体的な性別を軽視するための典型的な「活動家語」にも見えます。また「性自認」という言葉を「自分の性別をどう認識しているか」と定義するために、あたかも「自分がそう思っていれば、社会的実態はどうでもいい」と主張するかのようです。
私たちは「gender identity」の訳語としては、単なる「主観で決まるものではない」というニュアンスで採用されることが多い「性同一性」という言葉の方が、主観的な「こころの性」とも説明される「性自認」よりも適切であると捉えています。
実は当事者の間でも、用語についてさえも意見の一致が見られているわけではないのです。一部の界隈の用語法をマスコミが無批判に採用するのは、正当なことでしょか?
もちろん報道各社は、いちNPOの私的なガイドラインに従う必要はないのです。実際、産経新聞や夕刊フジは、このガイドラインを無視して報道し何の問題もありません。
女装者が起こした事件が隠ぺいされる?
このような「報道規制」が、報道されてしかるべき事件について「報道しない自由」と揶揄されるがのごとき事態にもつながっています。
昨年6月には金沢のレインボープライドの事務局長を務めた人物が、「LGBTQ+の交流スペースとして北陸初」とされる交流施設「かなざわにじのま」で覚せい剤を使用していた件で逮捕されました。
この事件を全国紙で報道したのが産経と読売、テレビは日テレとローカル局だけでした(のちに金沢レインボープライドをこの年開催する件に関連し、TBSも有罪判決を報道)。この男は、交流施設の常駐スタッフと報道(https://www.chunichi.co.jp/article/638763 )されていますから、性的少数者・児童への「悪い影響」もあったのではと心配される事件なのですが、それでもマスコミの多くはこれを報道しないのです。
まさに「虹タブー」が日本のマスコミに存在するかのような状況です。
確かに金沢レインボープライドの共同代表は、大物LGBT活動家として隠然たる影響力があるとされる松中権氏(記事写真右側人物)です。多くのマスコミは「忖度」しているかのようです。
こんな状況では「トランスジェンダー」が起こす性犯罪について、報道各社が口を噤む傾向を進めることにしかなりません。実際、特に一昨年の最高裁判決以降に、判決内容を曲解したと思しき「トランスジェンダー」が女性スペースに突撃する事件が何件も発生しました。しかし、それらの報道記事が「自主規制」したのか、ごく短時間で「消える」現象が起きているという指摘があります。ですからこのような犯罪のニュースについて、事件詳細を後で調べることが難しくなっているという不思議かつ困ったことが起きています。
「女性スペースを守る会」では、報道された女装者/トランスジェンダーによる犯罪事件をまとめていますが、このデータを今チェックしてみると、同時期の他の事件の記事はちゃんと報道元にあるにもかかわらず、オリジナルの記事が報道元から消えているケースが目につきます。もちろん事件自体は、他に引用転載されたブログなどが大量にあるために、冒頭の文章などで検索してみればちゃんと、どこかで見つかります。しかし、オリジナルのマスコミでの記事、とくにTBS news DIG で採用された記事が不自然に消えていることがあるのです。(検証結果は別noteで)
Web魚拓からわかる同時期の他の事件の記事がそのままあることからも、選択的に「消えて」いることは間違いのないことでしょう。とくに「女性スペースを守る会」がまとめた時期(2023年度)では、LGBT理解増進法や最高裁での手術要件違憲判決など「LGBT問題が焦点」でした。ですから、
女装者・トランスジェンダーが起こした事件を騒がれたくない
というヘンな「力」が働いてしまったということも考えられます。これらの記事の中には、2023年11月13日三重県桑名市の事件のように、
警察の調べに対し、島田容疑者は女性用の浴場に入ったことを認めた上で、「私は心は女なのに、なぜ女子風呂に入ったらいけないのか全く理解できません」と供述し犯意を否定しています。
のように、「性自認至上主義」を主張する例もあり、LGBT活動家としては大変「まずい」事件も含まれています。こんな記事はきっと「消したい」ことでしょう。
マイノリティは特権ではない
私たちも性別移行の当事者として、いろいろと考えることもあります。私だって初めて女装して外出した時など「恥ずかしい」という気持ちは強くありました。しかし、「女装は罪ではない」ということもまた事実ですし、男性が女性の服を買うことなども正当な商行為に過ぎません。今では多目的トイレも街中にたくさんあります。あえて法を犯すことなく、遵法精神を保ちながら性別移行するのも難しいことではないはずです。
逆に「女装して法を犯す人々」がいることで、私たちの立場が「性犯罪者まがい」として糾弾されることにもつながります。とくに経産省トイレ裁判で原告が「未手術で職場の女子トイレ利用が認められた」ことを、「どの公衆女子トイレでも『心の性別』で侵入していい」と曲解して突撃するようなことがあれば、私たちの存在が女性たちにとっての「脅威」でしかなくなります。
ならば私たちも、女装者による犯罪を積極的に摘発することを歓迎せざるをえません。もはや女子トイレなどでの「お目こぼし」は許されなくなったと考えるべきです。
警察も女装者・トランスジェンダーによる犯罪は厳正に取り締まるべきです。そしてマスコミも忖度なく公正にそれを報道すべきです。
そしてマスコミに「手加減しろ」と言わんばかりの「LGBT報道ガイドライン」も、報道各社は「悪いものは悪い」と是々非々の態度で取扱って「抗議されそうだから」で委縮することがないように、毅然とした態度をとるべきです。
さらに言えば、ガイドライン自体でさえも、けして性的少数者たちに歓迎されているわけでもないのです。活動家に反発する同性愛者たちは、自らを「ホモ」と位置づけて、「ゲイ」と呼ばなければ差別だ、とするこのガイドラインに抵抗しています。「ゲイ」はLGBT運動への連帯を示す用語だと考える男性同性愛者は「ゲイ」を拒絶する動きが登場しているのです。まさにこんな「活動家の都合」で勝手に定めたガイドライン自体が、当事者からも拒絶されつつあるのです。
武藤貴也の「隠れホモ」売春話をLGBTの話と結びつける必要はないと思います。「隠れホモ」はLGBTとは関係ない。LGBTとは、自分を「私はLGBTの◯◯だ」と言える人たちが獲得したカテゴリーなのです。「隠れホモ」は、そこに値しない(ということをエンカレッジの意味で言い続ける)。
— 北丸雄二💙💛❤️🖤🤍💚 (@quitamarco) August 26, 2015
なんで⁉️⁉️⁉️ pic.twitter.com/Pffjo5n1KX
— ホモの竹内周平(I'm Not LGBT) (@aquabluebeans) June 12, 2024
まさに有害無益。「隠ぺい」は「理解増進」にも「差別禁止」にもつながるどころか、かえって「偏見と誤解と差別」の世界を開くだけのことです。
私たちは人間です。悪いことも良いこともあります。弱い人間も数多くいます。マイノリティは聖者ではありません。
政治的な「忖度」は「よかれ」と思ってしたのであっても、長期的には害悪にしかならないと肝に銘じるべきしょう。
おかしな報道が改善されるきっかけにトランプがなってくれるのならば、その「革命」の真偽・善悪はともかく、歓迎すべき「ショック」であるとは思うのです。「よき方向」に向かうことを、私たちは期待しています。