GID当事者は性別適合手術を強制されたことはありません〜CEDAWって何もの?
性同一性障害特例法を守る会 美山みどり
こんな記事が話題になっています。
と、GID特例法について、CEDAWという国連機関が日本政府に対して勧告したそうです…
申し訳ありませんが、怪しげな雰囲気が漂ってきています。
この「怪しい」あたりについては、ざっと調べたことを後半で書くことにしましょう。この話は最近話題になった、海外からの皇室典範への批判、および日本のアニメ漫画ゲームに対する批判などとも、実はまったく同一の話なのです。
この話はこの機関が、世界各国のNPOなどから「市民の意見(市民社会レポート)」を聴取して、その結果を政府に対して「勧告」したものです。この提出したNPOに、高井ゆと里氏を含むトランス活動家が含まれており、その言い分をCEDAWは日本政府への「勧告」のかたちで送ったのだそうです。
性別適合手術が「強制」されたことはない
先日、私は特例法の制定経緯についてまとめた文書を書きました。
その中で、戸籍性別を変更する性同一性障害特例法が、性別適合手術の正規の医療化を通じて、その救済策として制定されたことを実証しました。ですから、
性別適合手術を受けた人が、社会の中で十分に活躍できるように、戸籍性別の変更が認められた
という大前提をしっかりとお伝えできたものだと思っています。
いいかえると特例法は「戸籍性別を変えるための法律」と捉えるのは本末転倒な話であり、「性別適合手術を受けた人に社会的な実態に合わせた措置を取る」ための法律なのです。そもそも「手術ありき」の法律なのです。
さらには、FtM(女性から男性)への性別適合手術については、身体的な負担の非常に高い陰茎形成手術については、男性ホルモンによって肥大したクリトリスを「マイクロペニス」に見立てることで、陰茎形成手術を受けなくてもいい運用がなされるようになっています。
このように寛容な条件で運用されてきた特例法です。また、医師2名以上の一致した診断が要求されますから、「本来手術が不要な人に、手術が求められることはありえない」が大前提として、特例法は20年間運用されきました。
ですから、私たちは当事者として、手術要件を守ることを目的として、この会を作りました。残念なことに、昨年最高裁で生殖線除去要件が違憲と判断されてしまいましたが、まだ外観要件は合憲のままです。
これは本当におかしな話です。自分から希望しなければ性別適合手術を受けることができるはずはありません。「戸籍上の性別を変更するために、本人が望まぬ不妊手術を余儀なくされた」と主張するのは「嘘」をついたわけです。「戸籍を変えたい」ということばかりが第一の目的となっている「トランスジェンダー」(あるいは、医療や手術に敵対的なトランス活動家)が、法の趣旨を捻じ曲げて使おうとしているのを正当化しようとしているのでしょうか。
私は昔から、「戸籍変更は手術のオマケ」と主張してきました。私たちは手術をホンキで希望する人々なのです。そして、その結果として、社会に自ら恥じることなく溶け込んでいきたいと願っているのです。性別適合手術というものの価値は、それを本気で望んで受ける人にしかわからないものです。ここで「戸籍のため」などと不純な理由がある人は、手術を受けたこと自体を絶対に後悔するに違いありません。性別適合手術はそれによってのみ解決可能な、どうしようもない「身体異和」を解消するためにだけ、受けるべき手術なのです。生まれ持った性的な機能が不要だから、それを除去したいのです。
戸籍を変えないとどうしようもない理由といえば、たとえば「結婚したい」があるのでしょうか。
「戸籍上同性だが結婚したい」
いいでしょう。同性婚の運動を推し進めてください。
同性パートナーシップ制度ならいろいろな自治体にあります。そういう制度では何が不満なのでしょうか?
あるいは、国レベルでの当事者が本当に使いやすいパートナーシップ制度をしっかり議論しませんか?
「嘘」をついた人は、その「嘘」によって、自らを貶めているという当然の結果を得ている、としか手術に対する国家賠償請求の件は思えません。
私たちは「二流市民」ではない
また一部の活動家に見られるような「男女の境界を崩したい」などという政治的な主張から「手術なしでの戸籍変更」を求める向きがあるようです。ノンバイナリを名乗って活動してきた高井ゆと里氏はその典型であるようにしか、私には思われません。特例法は、性で火遊びをしたいノンバイナリのための法律ではありません。移行先の性別にしっかりと適応する気持ちと能力のある私たちのための法律なのです。
高井ゆと里氏は
と発言していますが、まさに私たち特例法によって救われた、真に特例法の対象である私たちにとって、これは侮辱的な発言です。
私たちは「二流市民」なのでしょうか?
高井ゆと里氏は本気で私たちを攻撃しようとしてきたのでしょうか?
私たち性同一性障害当事者と、高井氏をはじめとする「トランスジェンダー」はまったく別の存在だと、高井氏自身も認めるようになったのならば、それはようやく事実を受け入れた、ということでしょうか?
今まで「実際に生活している性別での身分証」が得られない状況だったのが、特例法によって改善されたのです。まさに「アンダーグラウンドな二流市民」だった私たちを、日のあたる場所で活躍していいんだよ、としたのが特例法なのです。
ですから高井氏の発言はまったく事実に反しています。特例法こそが、性同一性障害当事者にとっての最大の「差別解消法」として機能したことを、高井氏は意図的に貶めようとしています。
特例法ができて、
たとえ身分証の性別と、見た目の性別が食い違っていても「性同一性障害です」と言えば、すんなりと理解してもらえた
という経験を、私たちは初めて味わうことができたのです。法律があればこそ、私たちのような存在が社会に「救済すべき人々」として受け入れられたのです。特例法に勝る「差別解消法」「理解増進法」はあるはずもありません。
高井ゆと里氏は私たち性同一性障害当事者を全面的に排除する意思を示したのです。
私たちはこの高井氏の発言に強く抗議します。
国家賠償請求よりも医師の誤診に民事請求すべき
と日本政府は回答していますから、優生保護法の下で障がい者に対して強制的に行われた不妊手術とはまったく事情が異なり、国家賠償請求の対象にするつもりはないようです。当然の回答です。私たちは自らの意思で性別適合手術を受けました。私たちはいかなる意味でも強制されて性別適合手術を受けたのではないのですから。
私たちに言わせるのならば、ジェンダー医療を受けたことを不幸にして後悔する人に、
どうせ訴訟をするのならば、性同一性障害ではないのに、性同一性障害の診断書を出した医者の「誤診」に対して、損害賠償請求をすべきである
と呼びかけようではありませんか。「怪しいかな?」と思いながらも、「それでも強く『欲しい』と言われたから…」と安易に性同一性障害の診断書を書いた医師にはそれ相応の責任があります。国内では性同一性障害の診断書が下りない人が、海外で強引に手術をしてきて、「手術してきたのだから診断書を寄こせ!」と言わんばかりの横紙破りをしてきた話も聞きます。
専門医は他人の人生を背負って診断書を書いていることを自覚してください。
こんなジェンダー医療の退廃を許すべきではありません。
このような横車を押し通す人は戸籍が変わろうとも絶対に幸せになれないと、私は確信しています。精神科医は、性同一性障害ではない人、幸せになれない人には診断書をださないようにしてください。不可逆な治療にGOサインを出さないでください。
それが「門番」の責任というものです。
私たちは幸せになるために手術を受け、戸籍の性別を変えるのです。
残念なことに、ジェンダー医療は万能ではありません。満足する見かけが得られるのは、元々の性別への適応が本当に難しい人だけでしょう。当然見かけだけではなく、移行先のジェンダーのカルチャーをしっかりと身につける必要もありますし、人間関係を再構築する必要がある相手もいるでしょう。性別移行とはそんな些細な日常生活を「再構築」するという、なかなか難度の高い仕事でもあるのです。
移行先の性別で「やっていける」という自信と、素質に裏付けられた能力、そして、周囲との良好な関係を築き上げる社会性、そういった資質を総合的に判断して、性別移行、手術や戸籍変更をおこなうべきなのです。
思春期の不安定さから「流行」に押し流される、あるいは自身を客観視できないような、不安定な人が異性装にハマるなどして、それを押し通してホルモンや手術に手を出す….不幸なことですが、これを止めるためにも医師がしっかりとした診断と客観的な第三者としてのアドバイス、それから脱トランスが必要ならば適切なサポートを行うべきなのです。
私たち自身も本当は、幸せになれないのならば、止めて欲しいのです。
私は20年前に性別移行して、今は62歳です。その歳で思うのです。
若くてキレイな時期は本当に短いものです。
年老いてキレイでもなんでもない時期の方がずっと長いのです。
私は「おばさんになる」「おばあさんになる」ことを肯定的に捉えたからこそ、性別移行したのです。
「ブスでも十分!」と思うからこそ、移行したのです。
女性の生活というものは、「窮屈」な部分だって多々あります。「女だから」と決めつけられて、社会的に不利な部分も男性から下に見られる部分も、人間関係のややこしさもあります。女性という「ジェンダー」のマイナスを十分承知のうえで、それでも女性を選択したのです。
そういう覚悟がない方は、たとえ戸籍の性別が変わろうとも、周囲からは受け入れられることはないと確信しています。手術しても戸籍を変えても幸せになれないのならば、そんなことは絶対にすべきではありません。
「性別を変える」というのは人生の一大事です。
周囲の人たちと改めて人間関係を結び直すような行為です。
それを軽々しく扱う人には、相応の報いがあるのは当然のことでしょう。
性別移行なんて、せずに済む人はしない方が絶対にいいことなのです。
その性別移行の客観基準たるべき医師の診断には、重大な責任があるはずです。誤った判断を導く「誤診」があってはならないのです。
CEDAWの「正体」?
話題は変わります。
先日、日本の皇室典範が「女性差別的であり是正すべき」と国連が勧告したことが報道されました。記憶に新しいことでしょう。
これに多くの日本人が不快感を表明し、「内政干渉だ!」「日本の文化を理解していない!」と世論が強く反発しました。日本政府を代表して、林芳正官房長官は「大変遺憾であり、委員会側に強く抗議し、削除の申し入れを行った」と逆に抗議したほどの出来事でした。
実はこの「皇室典範は女性差別」という勧告をしたのが、他ならぬこの CEDAW(女性差別撤廃委員会)なのです。
この皇室典範に対する勧告は、10月29日にCEDAWが公表した「日本の第9回報告書に対する最終見解」の中に含まれています。しかし、それだけではなく、この「最終見解」に含まれる、別な「勧告」もまた強い批判と反発を巻き起こしました。
日本政府に対して、「差別的なジェンダー固定観念を助長し、女性と女児に対する性的暴力を強化するポルノ、ビデオゲーム、アニメーション製品の生産と流通に対処するために、既存の法的措置と監視プログラムを効果的に実施すること」を要求したのです。この件についても、漫画家で自民党議員である赤松健参院議員、さらには山田太郎参院議員もすぐさま怒りのコメントをしています。
このところ報道された、このような実例を見る限り、CEDAWとは日本に対する「不当な外圧」の象徴とも呼ぶべきものだと、多くの人は考えるのではないでしょうか。
この小文の本題である「戸籍変更のために望まぬ性別適合手術を受けた人に賠償するように」と日本に勧告したことも、この10月29日にCEDAWが公表した「日本の第9回報告書に対する最終見解」の一つなのです。まさに「日本バッシング」の一連の流れの中で、性別適合手術の件も取り上げられたのです。
この事実を知れば、おそらく多くの日本人は「呆れた…」と怒りを感じる人の方が多いと思います。
このCEDAWは人権理事会が設置している「外部専門家組織」ということです。人権理事会は国連の正規の組織ですが、この人権理事会が委託する外部組織といったあたりがCEDAWの実態といったところでしょうか。このCEDAWの委員は、「個人の資格で職務を遂行する」とされますから、CEDAWの勧告は、この組織の根拠となった「女子差別撤廃条約」批准国にも、国連人権理事会にも、ましてや国連総会にも、まったく責任のない「勧告」に過ぎないのです。
そもそもCEDAWが出す「勧告」とは最初から「法的拘束力はない」ものとされています。皇室典範問題について、葛城奈海氏という方がジュネーブのCEDAWの会議にNPO法人として乗り込み、この勧告の不当さをスピーチしたのですが、
と葛城氏がコメントするように、「きまじめに耳を傾ける必要はない」外野からのおせっかいな「勧告」に過ぎないのです。
とくに「手術強制を理由とした国家賠償請求」の話について関連するとすれば、このCEDAWは女性差別を受けた人からの通報(個人通報制度)によって、政府に対する勧告を出すことができると「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の選択議定書」の中で定められています。
おそらくNPOが「手術が強制された!」とCEDAWに訴えたのでしょう。
しかし、日本は女子差別撤廃条約自体はともかく、この「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の選択議定書」は、日本の司法権を侵害するとして批准していません(米中印も未批准)。
まさに無理筋というものです。
ですから、日本政府の一連の勧告に対する拒絶の反応は、まったく正当なものです。
もう日本人は「国連機関」を信用しなくなった
皇室典範に対して国連が女性差別を是正する勧告してきた、アニメ・ゲーム・漫画の女性差別を改善するように勧告してきた、手術要件撤廃を要求してきた、といってもこの程度のものなのです。そして、今回の話では、個人通報制度を利用して、いくつかの日本のNPOが「市民からのレポート」を送りつけ、CEDAWがNPOから一方的な話を聞いた上で、安易に「勧告」を出したとしか考えようがないでしょう。
海外でもとくに日本のアニメ愛好家の間で、アニメ・漫画・ゲーム規制についてのCEDAWの横暴を批判する声は広く共有されてきています。国内外を問わず「女性差別が問題なら、なぜイスラム圏の女性差別以上に日本のエンタメを問題視するのか?」「戦争・地域紛争に伴う女性の性被害の解消に無力なのに、なぜ日本ばかりが標的にされるのか?」という疑問を CEDAW に投げかける声が多いのです。
皇室典範やアニメ・漫画・ゲーム規制といった事件を受けて、日本国内でも「CEDAWという組織はおかしいのでは?」という疑問が広がり、日本人の「外圧」に弱い、拝外的な国民性をどうにかすべき、という意見も公然と主張されるようになってきています。
意図的な「日本バッシング」に乗じ、こけおどしの「勧告」を使って、LGBT活動家たちは自分たちの異常なイデオロギーをゴリ押ししようとしている….そんな風に捉えられかねない問題にまで、広がりつつあるのです。
国連機関、と立派な名前はついていても、事実上「過激なLGBT人権活動家」や「日本バッシングから利益を得たい人々」の拠点でしかなくて、真面目に対応すべきものではないこともある、とそろそろ日本人は気がつき始めているのです。国連機関を名乗っていても、実態は過激な市民団体の言いなりの組織。CEDAWは「言った者勝ち」と横車を押したい活動家たちが、権威づけにつかうだけのものなのでは、と日本人は疑い始めています。
ウクライナ戦争にしても、ガザ紛争にしても、国連は無力でした。
国連、それもCEDAWどころではなく、国連総会や人権理事会が日本に「死刑制度を廃止せよ」と再三勧告していますが、日本政府はまったく死刑廃止を進めようとはしていません。しかしそれで十分、世界の中での重要な地位を保持できています。「国連の言うことは絶対従わなくてはならない!」と考えている日本人はおそらくもうどこにもないのではないのでしょうか(苦笑)
私たちも国連やWHOがいわゆる「ジェンダー・イデオロギー」に染まり、おかしな宣言をしたりスタンダードを作ったりしているのを憂慮しています。また、ロビーしてくる団体から求められるがままに、安易に宣言やスタンダードを作ったりしているがために、それぞれが相互に食い違い矛盾しあい、無力なものになってきつつあることを嘆かわしく感じています。
権威はそれを「使う」ものの心がけ次第で、容易に失墜するものです。LGBT活動家が「国連という権威」をカサに着ることによって、まさに「国連という権威」自体が大きく傷つき、信用を失いつつあるというべきでしょう。
国連という「箔」「権威」をカサに着たLGBT活動家のゴリ押しを、私たちは受け入れません。
以上