ひまわり祭り・岩・果実(向日記性)【散文現代詩】
ヒマワリの飛翔を観ています。
ある時間と空間の交わる場で、その祭りを初めて体験しました。時間が、コウモリとさかあがりに興じるのならば、そのときは、裏ごししたビーンズをふんだんに使った郷土料理が振舞われるのでしょうね。
申し遅れました。わたくし、玄武岩でございます。
青い目の占い師が、スキップしています。スキップによって飛ばされた時空間に、シンリンオオカミが丁寧に花崗岩を置いていきます。ミニチュアダックスフントなのかもしれません。
祈りのシステムあるいはシーケンスを肌で感じます。とくべつななにか(無人称複数・現在形現在類現在目)が運ばれていきます。地点pが大文字のPになりつつあるのを肌で感じます、岩肌で。同じ場の空気を吸います、この微細な空隙で。
正方形のおりがみがありまして、対角線に沿って折られます。するとどうなりますか。
そうです。
それは、どこかの何かの抜け殻の両価的感涙に他なりません。別言すれば白装束的な意味で、何か一つの事物への専心です。
どこかの何かの抜け殻の。どこかの何かの抜け殻の。プラムという名前の存在しにくい木管楽器。
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