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小説:狐001「マスターの声」(363文字)

 地下二階。いつものように『狐』の門を叩く。別に叩かなくてもいいのだか、私は叩くことにしている。右手で拳を作り、中指の第二関節を木の板に三度弾ませる。社会人一年目のマナー研修で、ノック二回はトイレノックだから良くない、と習ったことを毎度思い出すのであった。
 扉を押し開く。ギギギギギ。
「ぅいらっしゃっ」
 マスターはこちらを振り向かずに声を発する。彼特有のイントネーションが薄暗い店内に響きわたる。その「ぅいらっしゃっ」は誰のためでもなく私のためだけの挨拶なのである。そういう配慮に満ちた響きを有している。
(ぅいらっしゃっ)
 決して大きくはないがよく通る声だ。耳に残る。
(ぅいらっしゃっ)
 所狭しと並べられたグラス、ティーカップ。花瓶はどれも古びて落ち着いていた。綺麗に磨き上げられているらしく、いつもやさしい輝きを放っている。

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ジブラルタル峻
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