山と師範と金属板
山から数字の書かれた紙が届いた。
私のクラスには金属板を割ろうとする空手家がいるが、きっと彼に届いた紙は赤く染っていたに違いない。夏休みの間、彼は20人ほどの小熊と共に耳呼吸習得に勤しんでいるようだ。
さて、彼が割ろうとした金属板だが、これには山の師範がとても強力な規制をかけている。今や使用しない人などいないYoutubeや、twitterなどのSNSはもちろん、師範の調べ学習で開こうとしたサイトにさえ規制がかかる状態だ。だが、我々子熊たちはすぐに抜け道を発見した。YouTubeの規制に対しては、最初は動画をダウンロードするサイトで、今はダウンロードせずとも動画を見れるサイトで、山の師範に対抗した。小熊は親しい友人から、もしくは先輩、後輩から、また電車やバスで知らない小熊の金属板を覗き見したりして、そういったサイトを手に入れる。1度発見されたサイトは一瞬で広まるのだ。それ故にそういうサイトは1ヶ月持てば良い方だ。すぐに間抜けな小熊が捕まり、規制が設けられる。しかしそれもいたちごっこのような状態で、今もこれを繰り返している。
そんな金属板だが、なぜ師範が好まないような使い方をされるのか。小熊の視点から言わせてもらうと、授業で金属板を使用する師範が圧倒的に少ないからだ。金属板を使う師範はだいたい若く、中年or老害な師範はこの金属板を使わない傾向がある。だが、必ずそうという訳でもなく、歳をとっていてもプロジェクターにパソコンを繋げて小熊にわかりやすいように授業を進める師範もいるがやはり少数だ。酷い師範はチームズでクラスを作ったものの、1度も投稿していないのだ。また金属板を授業内で使う師範と使わない師範では小熊の人気に雲泥の差があるように思える。だいたい金属板を使えない師範は嫌われるのだ。
師範が金属板を使わないから、小熊は金属板の存在意義をはき違え、遊び出す。これが持論だが、そんなものはどうでも良い。先述したようないたちごっこが山の文化になっても良いと思う。だが、金属板を授業で使えないような無能な師範を雇った山の上層部に目は付いているのかと問いたい。
我々の小熊の代は小熊の母親達からハズレの学年と呼ばれている。我々を教えている師範が無能だからだ。彼が教えた学年の成績は軒並み下がるらしい。実際平均は50点台で小熊達はその教科の得点が低くても何も思わない。無関心なのだ。もちろんその師範は金属板を使わず、人気もなく小熊からは嫌われている。かわいそうな程に。
それ故に私たちはその教科とその師範を軽く見ている。
もやすごみがからかわれたのはそういうことなのだ。
(もやすごみふぉんと)
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