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カツセマサヒコ『わたしたちは、海』スピンオフ|note限定公開
海の街の二十二歳
「と、いうことで」
三つのビールジョッキがテーブルに並ぶなり、シンイチが突然声を張った。平日の早い時間なだけあって、店内は僕ら以外にはほとんど客の気配がない。
「特殊詐欺犯逮捕、おつかれさまでした!」
きん、きん、とジョッキがぶつかり合い、鈍い振動が手首まで響く。シンイチはすかさずジョッキを口元につけて、それを一気に傾けた。
「まるで私たちが逮捕したみたいな言い方」
隣に座っている井上真帆が、すかさずシンイチに文句をつける。
「くぅー、うま! いやいや、俺たちが情報集めて捜査に貢献してなかったら、いつまでも逮捕できなかっただろ。なあ?」
シンイチに促されて、まあ、それも事実だから、曖昧に僕は頷く。
「でも、井上が教えてくれなかったら、僕らもわからなかったよ」
「そう! それもそう! だから今日は、三人で打ち上げってわけだよ。はいお疲れー」
十秒前に乾杯したばかりなのに、早くももう一度、シンイチがジョッキを重ねようとする。井上と僕は苦笑しながら、それに応えた。
近くの八百屋に、詐欺犯に似た男がいる。
井上からそう連絡があったのは、彼女が母親を連れてこの街を出て、六年が経った頃だった。
小学校の同級生だった僕とシンイチは、ひょんなことからクラスメイトの井上を「母親の最悪な彼氏」から引き離すことになり、ついにこれに成功したという過去がある(これは本当に大変な事件だったのだけれど、今さら詳細を話すのも武勇伝を語るみたいで恥ずかしいので、潔く割愛することとする)。
その事件の解決後、僕もシンイチもしばらくは正義の味方みたいな活動をしていなかった。なぜなら僕らはヒーローではなく、ただの一般市民だからだ。海の向こうで戦争やジェノサイドが頻発する中、僕らは平穏で退屈な日々を延々と過ごし、そのうち自分たちが井上を救った事実すら忘れかけていた。しかし、六年ぶりに届いた井上からの連絡によって、自分たちの中に眠っていた使命感のようなものが、再び呼吸を始めた。
井上は、同じマンションに住んでいる高校生がその八百屋に頻繁に通っていることを心配していた。もしかしたら、性的暴行を受けているのではないか。もしくは、詐欺に加担しているのではないか、といった相談を受けた。
僕らは男の素性を調べるために八百屋に足を運び、店で働くおばあちゃんにそれとなく聞き込みをしたり、井上を含む近隣住民に話を聞いたり、特殊詐欺に遭った被害者の方に話を聞くなどして、男が八百屋にいつから住み始めたか、どんな人間なのかを、探偵や刑事のような気分で聞き回った。
大学の授業もそっちのけで情報を集めていると、どうやらその特殊詐欺犯は、体に刺し傷や火傷の痕があることがわかった。さて、このヒントからどうやって八百屋の男を詐欺犯と特定するか、と考えていた最中、シンイチは数奇な運命を背負っているようで、遠出した際に立ち寄った銭湯で、八百屋の男と遭遇した。その際、体の傷を確認できたことから、これを確固たる証拠と結論づけて、警察に連絡をすることとなった。
「てか、詐欺犯逮捕されたときの新聞、すごくなかった? 俺たちのこと、ちゃんと書いてあったじゃん」
シンイチが嬉しそうに言うので、
「書いてあったって言っても、〈地元の青年二人の協力〉ってだけじゃん。名前も写真も出てないし」と冷静に返す。すると、「いいんだよ。正義の味方は顔が割れちゃいけないの」などと上機嫌な様子で言って、強引に話を終わらせられた。
「てかさ、お前の母ちゃん、再婚すんの?」
シンイチが餃子を一気にふたつ、お皿に運びながら僕に尋ねた。
「え? そうなの?」と、隣の井上も少し驚いた反応をする。
「あー、わかんない。どうだろね?」
「あの男の人、なんだっけ? お前の母ちゃんと一緒にいるとこ、よく見るんだけど。遊びなのか本気なのかハッキリしろよーって思ったわ」
「シンイチくん、それ他人の親に思うことじゃないよ」
「井上、ありがと。でもシンイチはこういうやつだから」
井上のフォローをありがたく思いながら、僕はユキオさんの顔を思い浮かべる。
「ユキオさんっていうんだけど、なんか、母親の元カレらしいんだよね」
「え、元カレと復縁しそうってこと? なんか、フクザツ」
「うん。てか、親のそういうの、割とキモいと思ってる」
「あ、息子本人がはっきり言ってくれるの、助かる」
ふふ、と井上が微笑む。たしかに、井上も小学校時代から、親の恋人を目の当たりにしていた人だった。
「まあ、どっちでもいいなって感じ。僕が一緒に暮らすわけじゃないし、母さんが落ち着くなら、それはそれでいいし」
本音をそのまま吐露してみると、
「なんか、達観してんなあ」
と、シンイチがどこかつまらなさそうに言った。
僕は、都内の国立大学への入学を機に、家を出た。仕送りに頼るわけにもいかないので、バイト三昧の日々を過ごして、気が付けばもうすぐ卒業である。シンイチは、僕と同じタイミングで私立大学に入ったけれど就活がうまくいかず、就職留年を選んだために親から猛烈に責められているらしい。
「あ、そうだ」
今度は何を思い出したのか、飲もうとしたジョッキを置いて、シンイチが言った。
「岬先生、覚えてる?」
「もちろん」
井上と僕が同時に頷く。小学六年のときの、僕らの担任の先生だ。
「先生が、どうしたの?」
「あの人、校長になったらしい」
「え! 本当に? 超早くない?」
「うん、超早い。たぶん、まだ四十代だよな。最速クラスだよ。しかも女性」
「かっこよ。え、うちらの学校で?」
「いや、異動はしてるみたい。小さいとこらしいけど」
「でもすごいよ。学校としても、相当なチャレンジだろうな」
井上が興奮しているのがわかる。当時から井上は、岬先生のことを好いていた印象はあった。
「岬先生も、プレッシャーすごいだろうな。あの人、仕事できそうな空気はあったけど」
「てかさ、シンイチくん、どこでそんな情報を知るわけ?」
井上の質問に、シンイチがとびきり嬉しそうな顔になった。鼻の穴を膨らませたので、僕も同じタイミングで、シンイチに声を揃えてみる。
「「情報はいつだって勝手に入ってくるのさ。それが真実かどうかは、教えてくれないけどね」」
綺麗にハモった直後、井上が爆笑した。
「なにそれ? なんでそんな、完璧に揃えて言えるの?」
俺のセリフ、パクんなよ、とシンイチは不機嫌そうに僕を軽く叩こうとする。
「もう死ぬほど聞かされてきたからだよ」と答えながら、僕はシンイチの手を摑んで、捻った。いてててて。
一緒に公園でタイムカプセルを掘ってから、約十年。僕とシンイチの付き合いも長くなったものだ。
「あー、おもしろ。うちの小学校、こんなバカばっかりだったんだ」
涙を拭うような素振りを見せながら井上が言って、「バカとはなんだ、バカとは」とシンイチが食ってかかった。
この会が、例の詐欺事件の犯人が逮捕されたことを祝っての祝勝会である、ということは、二杯目のジョッキを空ける頃にはもう三人とも忘れ去っていた。
*
うっわ、秋じゃん。ちょっと歩こうぜ。
シンイチがそう言って、井上とは改札前で別れて、二人だけで隣駅まで歩くことになった。シンイチの言うとおり、外は酔い醒ましには丁度いい、冷えた空気で満ちていた。
「いやー、きちんと打ち上げできて、よかったな」
こういうのは結構、流れがちだからさ、と、シンイチは機嫌良さそうに言った。
「井上、ほんとに来てくれるとは思わなかったね」
「ああ。しかも楽しそうだったな」
「うん。安心しちゃった」
「な。今度また、誘おうよ」
頷きながら、シンイチを見る。
十二歳の頃よりも、縦にも横にも大きくなった。体重は百キロを超えたのだと、なぜか嬉しそうに話していたっけ。
シンイチとは、小学校を卒業後、別の中学に行った。しかし関係は途切れず、やけに頻繁に会ったり、かと思えばぱったりと連絡がつかなくなったりした時期もあるが、でも、なんだかんだ言って、今日までこうしてお酒を飲む関係ではいられた。
しかし。
「ヨモヤは、どうしてっかなぁ」
僕の心を読むように、シンイチが、声のボリュームを大きくして言った。
ヨモヤは、中学二年のときに、突然学校に来なくなった。
詳しいことは生徒にまで伝えられなかったが、どうやら夜逃げらしいぞ、という噂だけが、まことしやかに広まった。
ヨモヤは中学に入学しても携帯電話を持っていなかったため、僕らはヨモヤがいなくなった途端に連絡する術を失った。学校側すら新住所を特定できなかったため、この広い世界では探しようもなかった。そうして呆気(あっけ)なく、彼とは会えなくなったのだった。
小六の頃は、ほぼ毎日一緒にいたのに。
絆のように感じていたそれは、実は随分とチャチなもので、簡単に時の波に削られ、流され、解けてしまうことを知った。
「元気だといいな。それで、いつか、酒とか飲めたらいいよな」
「ね。でも、ヨモヤは賢かったし、イケメンだったから、きっと僕らよりうまくやってるだろうよ」
「な! 当時は思わなかったけど、今思えばあいつイケメンだったよな? 年上とかにモテそう。あとテニサーとか入ってそう」
「ええ? 運動サークルはちょっとイメージ湧かないけど」
ヨモヤの、細過ぎる体を思い出す。あいつは、体育だって欠席しがちだった。
「いや、テニスをしないテニサーだよ、ヨモヤは」
「いまどき、そんなサークルある?」
「あるだろ。私立は半分くらいそういうところだぞ」
「それはさすがに偏見が過ぎるよ」
くくく、と僕らの笑い声が小さく、夜に鳴る。
こういう場に、ヨモヤがいたらよかったのにな、と再び思う。
「お前、今日は実家?」
「うん、さすがにね。ユキオさんにも、今日はうちに泊まるなって言っておいた」
久々に実家に帰るのに、他人がいるとなんだか、こっちも気が休まらない。この飲み会の日程が決まった時点で、すぐにユキオさんと母さんには連絡を入れておいたのだ。
「お前、母ちゃんの彼氏の連絡先、知ってんの?」
「うん。たまにLINEしてる」
「やっぱフクザツだな、お前んち」
「そんなことないって」
どの家も、夫婦や親子や兄弟や親戚付き合いなんかに、それぞれフクザツな事情や問題があるものだろう。それは、親が離婚していなくても起こり得るし、きっと僕もシンイチの家の話を聞けば、そっちはそっちで大変ね、みたいな感想を抱くに違いないのだ。
「シンイチは、明日、どうしてるの?」
大学四年の夏休みも、いよいよ残りわずかだった。いい加減、休みにも飽きているけれど、貯金もない僕は旅行にも行けず、今やるべきことは全くわからなかった。
「俺はー、明日は空いてるけど、明後日と、明々後日と、その次の日もバイト」
「おおー、働くねえ? まだ、あのパン屋?」
シンイチは、駅から少し離れたところにある、夫婦で経営している小さなパン屋で働いていた(アルバイトの志望動機が「うまいから」だったのがあまりに食欲に従順すぎて笑ってしまったが、それで採用されたのだから、やっぱりシンイチはすごいと思った)。
「それがさ、パン屋はパン屋なんだけど」
「けど?」
「その店の息子がね、来年、高校受験するんだってよ。それで、カテキョやってくれって頼まれてて」
「まじ? 家庭教師と、パン屋の掛け持ち?」
「そういうこと」
「はー、いよいよ就活してる暇ないじゃん」
「ああ。就職留年で大学四年もう一回やるって報告したら、パン屋の夫婦、死ぬほど喜んでた」
それはひどすぎると、二人で声を出してゲラゲラと笑った。
その声も、やっぱり夜に吸い込まれて、すぐに静かになる。
歩いているうちに、最寄り駅が近づいてきた。強く風が吹いたかと思うと、ここまでは届かないはずの海の匂いがした。
シンイチも、風の匂いを感じ取ったのか、少し眠そうな目をして言った。
「明日、海でも行って、堤防で酒飲んだりしようぜ」
「おー、いよいよ暇を持て余した人間の、最後の境地みたいな感じだね」
「なんとでも言えばいい。ずーっと海辺で飲んでたらよ、そのうち鯨でも流れてくるかもしれないだろ。その第一発見者になれば、また俺たちが紙面を騒がせられる」
「シンイチ、大学に入ってちょっと頭悪くなったでしょ」
「お前もう一回言ってみろ」
また、ゲラゲラと笑い声。
海の街を乗せた夜は、着々と朝に向かって進んでいる。
それぞれの生活は翌日に引き継がれて、絶望も悲しみも期待も喜びも、消えることなくそこに留まる。
船の上で寝転んで星を見るように、僕とシンイチは、歩きながら空を見た。
まだ、海の匂いがする。
潮風のたくましさに感服していた。
《おわり》
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カツセマサヒコ
1986年、東京生まれ。2020年『明け方の若者たち』で小説家デビュー。同作は大ヒットし映画化もされた。翌年、ロックバンド indigo la End とコラボした小説『夜行秘密』を刊行。2024年6月に3作目となる長編小説『ブルーマリッジ』を刊行。
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『わたしたちは、海』 定価1,870円(税込み)
〈あらすじ〉
クラスの女子たちが、タイムカプセルを埋めたらしい。6年3組のぼくは、親友のシンイチとヨモヤとともに、遠くの煙突の麓にある公園まで自転車で行ってみることにした――「海の街の十二歳」
小学校教諭の岬と保育士の珊瑚。幼なじみの二人は休日に近くの海へドライブへ行った。渋滞にはまった帰り道、二人は光るスニーカーをはいた4歳くらいの子供が一人で歩いているのを見つけ――「岬と珊瑚」
高校の同級生・潮田の久しぶりのSNSを見ると、癌で闘病中とあり見舞いに訪れた波多野。数ヶ月後、潮田は亡くなり、奥さんのカナさんから、散骨につきあってほしいと言われ――「鯨骨」
海の街にたゆたう人々の生の営みを、鮮やかに描き出した傑作小説集。書き下ろし1編を含む全7編。
収録作:「徒波」「海の街の十二歳」「岬と珊瑚」「氷塊、溶けて流れる」「オーシャンズ」「渦」「鯨骨」
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