笹沢左保『暗い傾斜』後編~室戸岬(高知県)|佳多山大地・名作ミステリーの舞台を訪ねて【第8回】
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文・撮影=佳多山大地
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石廊崎訪問の日から五週間後の十月十三日、秋晴れのもと南国土佐に向けて出発だ。今回の旅のメインチケットは、毎年十月十四日の「鉄道の日」前後に利用できる《秋の乗り放題パス》に、めでたい「鉄道開業150年記念」の冠がついたもの。あな有難や、二〇二二年の今から百五十年前、一八七二年(明治五年)の十月十四日に日本の鉄道は新橋・横浜間の約二十九キロメートルを結んで開業したのだった。
自宅最寄りの吹田駅を朝七時五十八分に出る鈍行で新大阪駅に向かう。二駅だけの移動だけれど、久しぶりにギュウギュウ詰めの電車に乗った。新大阪駅で新快速に乗り換え、終点姫路まで行くと、そこからまた鈍行を乗り継いで午前十一時三十八分岡山着。同駅構内を早足で移動し、わずか四分しか乗り換えの余裕がない快速マリンライナー27号の車中の人となったのは、瀬戸大橋を渡った先の坂出駅にバッチリ昼飯時に到着したいためである。坂出駅構内のセルフうどん屋にて、醤油うどんの並にとり天をトッピングして四百九十円。やっぱり四国に行くときは、せめて一食は香川でツルツルのうどんをすすりたい。
昼食後、午後一時ジャストに出発する予讃線の列車で多度津駅へ。多度津駅から土讃線の列車に揺られること七駅、二〇一二年の春に訪れて以来十年ぶりに坪尻駅に〝寄り道下車〟してみた[写真①]。香川・徳島県境のうっそうとした山中にあるスイッチバック駅は、わが国屈指のいわゆる秘境駅として近年知名度がアップしている。としてもこの日、一時間と五十七分滞在しているあいだ、駅は僕が独り占め。ホームにひとつ、座面の板がなだらかなV字形をした「らぶらぶベンチ」なるものが新しく置かれていたけれど、車では到達不可能なこの駅がカップルのデートコースになることは決してないだろう。ともかくも『暗い傾斜』の美貌のヒロイン、三十二歳の汐見ユカは、愛していたはずの三津田誠を室戸岬にて殺害した容疑で地元警察に追われる際、高知駅から土讃線及び予讃線を利用して高松まで行き、国鉄連絡航路で本州に渡ったのだった。その途中、坪尻駅でスイッチバックしたことなど、彼女はまったく楽しまなかったろうな……。
坪尻駅の待合室にいると、聞こえてくるのは鳥の声だけ。尤も、啼き声から鳥の種類がわかるような風流人とはほど遠い僕は、午後四時五十一分発の下り列車で去る。この四時台の伊野行が、坪尻駅を発着する下り最終だ(ちなみに、上りの最終琴平行は午後五時一分発)。三駅先の阿波池田で下車し、そこから特急南風17号・高知行に乗り換える。JR線は《秋の乗り放題パス》だけで乗り倒したいのはやまやまだけれど、ここの区間だけは余分の代金を払っても特急を使わないと高知到着が遅くなりすぎるのだ。往路の南風17号は通常の2700系だったので……二日後の復路に乗車したアンパンマン列車の南風14号の勇姿を代わりに見てもらおう[写真②]。
午後六時四十八分、高知着。駅の南口を出てすぐのビジネスホテルにチェックインする。この時期、日本政府肝入りの旅行需要喚起策〈GoToトラベル〉改め〈全国旅行支援〉が実施中で、宿泊代は六掛けの値段でお得に済む。おまけに、というか、おまけというには失礼な金額のクーポン(二泊分で六千円!)も支給されたので、さっそくスマホで調べたクーポン使用可の居酒屋に入ると、瓶ビールにかつおの塩タタキで乾杯だ。高知で出されるかつおのタタキは、ひと切れひと切れが分厚い。それに柚子を搾ったうえ、みょうが、玉ねぎのスライス、さらにワサビをのせ、大口を開けてかぶりつく。――いやあ、誤解を恐れず食レポすれば、脂ののったかつおのタタキはもう下品なくらい美味い食い物だと再確認した夜だった。
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取材二日目は、百五十年目の「鉄道の日」。南国土佐は秋晴れというには朝から暑いくらいである。朝食後、高知駅を七時四十三分に出る列車で、まず伊野へ。JRの伊野駅は、細田守監督のアニメ映画『竜とそばかすの姫』(二〇二一年)に登場して話題になったことも記憶に新しい。その伊野駅より徒歩数分、とさでん交通の営業軌道の最西端・伊野停留場からオールドファッションな路面電車に乗車する。そこから軌道の最東端に向かう途中の鏡川橋で下車したのは、この停留場の近くにあったという「花月旅館」にヒロインの汐見ユカが投宿していたからだ。
汐見ユカは、高知県は室戸市に〝避難〟した三津田誠を追いかけてきた。だが、研究の失敗で自暴自棄になっている誠は、室戸岬でユカと無理心中を図ろうとする。結果、誠のほうは崖下の岩の上に無惨な骸をさらし、一方ユカは急斜面の途中にとどまって命拾いした。ユカは誠の死を警察に急報する余裕もなくふらふらと歩き出し、平尾という集落から国鉄バスに乗って安芸へ。安芸から高知市内の鏡川橋へは、土佐電気鉄道(とさでん交通の前身)の直通列車で戻ったのだ。花月旅館の部屋を引き払ったユカは、急ぎ四国を離れ、東京まで戻ろうとしたのだったが……。
鏡川橋停留場は、あの坂本龍馬が少年時代に水泳の練習をした鏡川に架かる新鏡川橋の北側にある。幹線道路の只中にある停留場で、視界に入る目立つ建物は自動車学校くらい。かつてはこの辺の川沿いに旅館がいくつも並んでいたのだろう。今は廃き土佐電気鉄道安芸線が存在していた当時は、ここと安芸を往還する直通列車が出ていたくらい高知観光の拠点だったのだ。
鏡川橋を午前九時三十六分に出る後免町行の電車で終点まで。そこから歩いてすぐ、土佐くろしお鉄道の後免町駅から乗り込んだのは、車両の海側がオープンデッキになっている、しんたろう2号・奈半利行である。夜須駅と赤野駅のあいだを走行中は、僕もデッキスペースに出て、潮風と陽光を浴びながら太平洋を一望。ああ、今夜もまたこの海で獲れた戻りがつおの、塩タタキを食べるのだと心に決める。かつおにはプリン体が多いという悪名もあるけれど、そんなの気にしない。
奈半利着、午後十二時四分。駅前から高知東部交通のバスで南下すること約四十分、その名前からして室戸市の中心部にちがいない「室戸」バス停で降車した。
うーん、横浜育ちの笹沢左保は、同じく港町の室戸のことをあまり良くは書いていないなあ。と、それはともかく、ここ室戸市を訪問するまえに国土地理院発行の二万五千分の一地形図「室戸岬」最新版(二〇一二年測量)を見てみると、室戸警察署の位置が作中の記述と合わないのである。これはきっと移転したのだと国土地理院の近畿地方測量部に足を運び、『暗い傾斜』が発表された一九六二年前後の地形図をチェックさせてもらった。するとやはり、室戸署の位置を示す地図記号が動いている。以前は四国八十八ヶ所霊場の第二十五番札所・津照寺のほぼ西隣にあったみたいだ。
降りたバス停から室戸の町中をやや迷いながら歩くこと数分、こんもり盛り上がった山ともいえない山の上に津照寺の本堂とそれに続く石段をのぼるお遍路さんの姿が見えた。自分も百二十五段の石段を上がり、本尊の地蔵菩薩に今度の旅の無事をお願いしてから、いざ旧室戸警察署の跡地探索だ。古い地形図の記号位置を頼りに探り当てた場所は……ずいぶん贅沢な広さの駐車場になっている。いや、駐車場というより、近隣の人向けの貸しガレージが並んでいると見るのが正確だろう[写真③]。念のため津照寺に引き返し、寺務所に人を訪ねる。出てきた四十年輩の女性は現住職の奥様だろうか、「この寺で生まれた者がおりますから」とわざわざ呼んでくれたお婆さんから、「ええ。昔はその車庫のところに警察署がありました」とウラを取ることができてひと安心だ。
遅めの昼食は、津照寺のそばにある老舗料亭で。例のクーポンを使って豪勢なキンメ丼を食べてから、さっきのバス停を午後二時二十分に出る便でいよいよ最終目的地へ向かう。海沿いの国道をさらに南下した先の折り返し地点、「室戸岬」バス停にて降車し、遊歩道の案内標識にしたがって進む。と、太平洋に突き出た岬の南端には、岩がちでも「浜辺」と呼ぶべき光景が広がっていた。
いったん浜辺を去り、国道を渡った先にある「室戸岬園地休憩所」に向かう。そこの展望台にのぼり、室戸岬をバックに徳間文庫新版『暗い傾斜』を写真に撮る。笹沢左保ファンであることを公言する有栖川有栖のセレクションで、昨年来、笹沢の代表作の復刊が続いているのはとても嬉しい。こうして連載でも取り上げやすくなるし、ね。
展望台を降り、休憩所の案内人の女性に「馬の岩」の場所を問うと、怪訝な顔で「知りませんねえ」と言われる。「自殺できそうな崖の下にあるはずですけど?」と物騒な訊き方をしたせいで、とぼけられているのでもなさそうだ。確かに、案内看板にも観光パンフレットにも、「馬の岩」なんて岩のことはいっさい出ていないのである。
こうなったら、自力で探すまで。「突端からやや右寄りのあたり」とは、浜辺の様子から判断するに、海に向かって右寄りだろう。休憩所を出て、国道を室戸市中心部に戻るほうにすこし歩くと、右手に大きな中岡慎太郎像が立っている。それを過ぎて左手、海側に膨らんだスペースにちょっとした駐車場が設けられていて……おおっ、車列の向こうに見える断崖[写真④]こそお目当ての場所にちがいない!
駐車場の奥の、降り口でもなんでもないところからゴツゴツした岩場に降りていく。どうにか崖の上にのぼれそうなルートを探すと、背負っていたメッセンジャーバッグを下ろし、両手を空けた。この十月に五十になったばかりの身体に鞭打ち、ロッククライミングまがいの冒険をしてなんとか国道寄りの崖の上に上がり、向こう端まで歩いていく。国道からすぐこの崖の上に出ていけなくなっているのは、やはり自殺予防の配慮からにちがいない。しかし『暗い傾斜』が書かれた当時は、夜中でも男女二人が国道からこの崖の端までふらふら歩き着くことができたのだろう。
柵も何もない室戸岬の断崖から、恐る恐る下を覗き込む。「馬の岩」がどれかは、結局よくわからない。ともかく、ここの崖から落下して死んだのは、三津田誠だけ。高知県警は汐見ユカの身柄を押さえたが、結局、三津田による無理心中未遂だったとの見方が強まり、ユカは釈放される。一方、警視庁は都下で起きた金融業者殺しの容疑者としてユカに目をつけたものの、被害者の死亡推定時刻に高知県は室戸市に三津田と一緒にいたと高知県警が断定した彼女を逮捕することはできないのだった。――そう、『暗い傾斜』は犯人探しの物語ではない。肝腎の推理問題は、ヒロインのユカが遠く離れた場所にいる二人の男をいかなる方法で葬り去ったかである。ユカの犯行方法を見破る登場人物は二人いるが、彼らは決して警察に真相を話そうとはしないはず。ならばなぜ、事業家として再起する可能性が残ったユカは、最後に死を選ぶのだろう? それも石廊崎で。
石廊崎から遠く離れた室戸岬の崖の上で、小説本篇を既読の向きにも伝わるかわからない妄想がふくらむ。二重殺人の犯人、汐見ユカが彼女の人生で本当に愛したといえるのは……じつは女学校時代の同級生、清美だったのではないだろうか? ユカは清美を死に追い詰めた三津田誠に復讐の死を与えると、自らは伊豆の石廊崎にて清美との隔時心中を遂げたのだと――。吹きつける海風と足もとの悪さのせいで身体が安定しないため、水平線が傾いているように見えた。
《ジャーロ No.87 2023 MARCH 掲載》
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『暗い傾斜』笹沢左保
■あらすじ
経営危機の大平製作所女社長・汐見ユカにかかる二つの殺人容疑。起死回生の新製品を完成できなかった発明家と大株主──社にとって不都合な二人の死。しかし、東京─四国でほぼ同日同時刻の殺害は不可能のはず──彼女の潔白を信じてアリバイ証明に挑む男と殺害された株主の娘、相反する立場のコンビが見たのは、奈落の底につながる暗い傾斜の光景だった。
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