見出し画像

【『1947』はどのように作られたのか】長浦京 刊行記念インタビュー|聞き手:若林踏

「ジャーロ」誌上で2年半にわたって連載していた「1947」が、ついに単行本になりました。終戦直後の東京を舞台に、兄の仇討ちにやってきたイギリス軍人がGHQや日本のヤクザと対決するポリティカル・エンタテインメント。長浦さんの新たなる代表作となる大部がどのように作られたのか、制作の裏側を聞きました。


『1947』の舞台裏

戦後間もない日本を舞台にしたワケ

――『1947』は終戦直後の日本で英国・GHQ・ヤクザと、様々な立場の人間が入り乱れる謀略小説です。長浦さんは『プリンシパル』(新潮社)でも戦後間もない日本を舞台にしていますが、この時代を描こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
 私の祖母は終戦直後、都内の大学病院に勤めていたらしいのですが、昔話でその時代のことをよく話してくれたんです。祖母によれば「戦前のヤクザは誰もが偉くてお金を持っていて、ピストルもふつうに持ち歩いてたんだよ」と。病院に瀕死状態のヤクザが運び込まれてきて内緒で治療することがしょっちゅうあって、治療後に口止め料として当時としては相当な大金をもらうこともあったのだと祖母は言っていました。
 話を聞いた当初は「そんな話が本当にあったのかな」と半信半疑だったのですが、いざ自分で歴史を調べてみると戦後のヤクザは実際に裕福で、かつ絶大な力を持っていたことが分かってきたんですね。そこから終戦前後の時代に興味を持ち始めて調べていくと、最近になってようやく明るみに出始めたような事実が多いことに気付いたんです。そういう事を小説にすべて盛り込むことは出来ないか、と考え始めたのが『プリンシパル』や『1947』を書く出発点になりました。

――身内の方の体験談が小説の根っこにあるんですね。
 そうですね。もっというと自分の家族だけではなく、あの時代を生きた様々な人の声を反映させた小説を書きたい、という思いが強かったです。
 例えば進駐軍が子供たちにチョコレートを配って、子供たちが「ギブミーチョコレート」と叫んだという話を、歴史の授業などでもよく聞きましたよね。あれを聞くと「ああ、終戦直後の子供たちはみんな喜んでチョコレートを食べたんだね」と思うかもしれませんが、私の祖母は「ギブミーチョコレートなんて叫んでいる人、見たこともないぞ」って言っていました。いっぽうで祖母より少し下の世代の方には「かれたチョコレートをかき集めて、みんなで平等に分け合っていました」という方もいるし、「チョコレートが配られてもみんな怖がって、だれも拾いませんでした」という方もいる。みんな体験した事がバラバラなんですね。
 だけど、どんな事であれ終戦前後のことはやはり強烈な記憶として残っているのは間違いない。私の祖父は徴兵されて戦地におもむいたのですが、祖父の命日になると軍隊で一緒になったという人が毎年集まって話をするんです。終戦間際の一年足らずの間だけ軍隊で一緒だった人たちが、祖父が死んだ後もなお思い出話のために集まるというのは、本当に強烈な体験を経た上での絆なのだろうと思いました。だからこそ激動の時代を生き抜いた人々の、戦後の多様な姿を書いておきたかったんです。

物語の構想

――『1947』は『プリンシパル』の構想を終えた後に書こうと思い立ったのでしょうか?
 いえ、実は物語の構想としては『プリンシパル』よりも『1947』の方が先だったんです。『1947』は日本を訪れた英国軍人の視点から描かれる小説で、まさに戦争の爪痕が生々しく残る終戦直後を舞台にしています。しかし、先ほど申し上げたような戦後しばらく表沙汰にはならなかった事実をぜんぶ書こうとすると、とてもこの一作で収めきることは出来ないなと気付いたんです。そこで『1947』とは別に、今度は日本人の視点から戦後の変化を見ていく物語を書いてみたらどうだろうか、と考えたのが『プリンシパル』だったのです。途中で色々な事情もあって結果的に『プリンシパル』の方が先に書き上がる形になりましたが、着想としては『1947』の方が先にありました。

――確かに『1947』は終戦直後のある一時期を切り取ったものに対し、『プリンシパル』は年代記の要素が強い作品になっていますね。
 はい、そこは意識的に変えました。『1947』の主人公は占領期の日本という歴史の中の一瞬間を目撃した異邦人ですので、その一瞬の鮮烈さを表現出来ればいいなと思って書きました。対する『プリンシパル』は日本人を視点人物として置いた以上、歴史の一瞬を切り取って描いても説明し切れないものが多くなってしまう。戦後日本を描き切る物語として説得力があるものを書くためには、少なくとも終戦から「55年体制」が確立されるくらいまでのスパンが必要かなと思いました。

長浦京さん

複雑な政治関係を描く

――本作の主人公であるイアンは英国軍人です。彼は兄を殺された恨みから敵である日本人を追っていますが、占領を担うGHQとも実は微妙な状態にある。戦勝国である米国と英国の複雑な政治関係が謀略小説のプロットにも巧みに活かされています。
 主人公の造形には確かにひと工夫を凝らしていると、自分でも思っています。終戦直後の日本を舞台にした場合、日本人を主人公にすると、どこかしら被害者意識というか犠牲者の視点が加わってしまう時がある。ただ、戦争が始まった大本を辿たどって他国からの視点でみれば日本は加害者であり戦争の当事者です。では占領する側であるアメリカの視点に立って書くと、今度は支配者の視点が知らず知らずのうちに入ってくる。これだと中立的な立場からは遠く、ニュートラルに物語を書きたくても書けないな、と悩んだんです。もちろん、完全にニュートラルな立場で戦争が絡む話を書くことなど難しいのは承知しているのですが、それでも日本やアメリカの視点とはまた違った角度から終戦の話を書く事は出来ないのか、と考えました。そこで思い至ったのがイギリス人を主人公にする事でした。戦勝国ではあるものの、アメリカほど勝った側としての利益を得ることが無かった、微妙な立ち位置のイギリス人を主人公に置くことで、自分の中でも『1947』の物語がすっとに落ちたんです。

――その「微妙な立ち位置」がコンゲームめいた読み心地を本作に与える要因にもなっています。
 それは結局、占領下の日本においてイギリスが情報を得られるようでいて、得られる立場に無かったことにあるのでしょうね。連合国軍と言いながら日本の占領者はアメリカであって、イギリスはインドやオーストラリアといった国よりも蚊帳かやの外に置かれていたのではないかと、色々な資料をあさるうちに見えてきたんです。だから占領下の日本でイギリス人が動き回る活劇小説を書くとなると、まずは情報を得るために行動せざるを得ないところから始まるので、必然的に騙しあいの要素やエスピオナージュの要素が強くなったのだと思いました。

偏見を超えて

――イアンは当初、アジア人に対する非常に強い偏見を持った人物として書かれています。それが徐々に変化の兆しを見せ始めるのが、本作の読みどころの一つです。
 これも実際に戦地に赴いて捕虜収容所でイギリス人と接した経験のある方に聞いたことなのですが、やはり何らかの形で人種差別的な視点を少なからず感じたことはあったそうです。それはイギリス人が残した戦争の手記などを読んだ時にもそのような視点が感じられることはありました。ただ私が描きたかったのは特定の人種差別に対する話ではなく、そうした差別が戦争においては発露し易くなってしまうという事実です。そういう雰囲気が戦場にあった以上、それは書かずに済ませる事は出来ないと感じました。
 同時に、たとえ反発していた者同士でも、同じ目的のために戦ったりすると情が湧くのが人間である、ということも書きたかった。先ほどの祖父の命日に集まる戦友の方々がまさにそうですが、ずっと死線をさ迷うような出来事をともに体験すると、どのような立場の人間であれ何らかの形で分かりあう部分が出てくると思っています。そういった部分も書いておかないと|可
笑《おか》しいよね、という気持ちが自分の中にはあるんですよね。

――いっぽうで本作には権藤という、悪の権化のような人物が登場して主人公の前に立ちはだかります。権藤は本当に印象深いキャラクターですね。
 ただ、書いた側としては権藤ごんどうを特別な悪のキャラクターとしては認識していないんですよね。自分としては権藤というのは、戦後日本の政治が取ってきた処世術を体現しているような人物なんです。最も政治的に有効な振舞い方をひたすら書いているうちに「ああ、戦後の右派政治家たちが取った方策をそのままなぞるだけで立派な悪が書けるんだ」という事に思い至りました。作者としては極めて平熱で書いたキャラクターなのですが、書いていたら自然にそういう人物として動き始めていたんですよね。

登場人物が勝手に走り出す驚き

――活劇の描写についても見せ場が多い作品です。長浦作品におけるアクション小説の代表作といえば『リボルバー・リリー』です。ただ、超人的でヒロイックな印象がある『リボルバー・リリー』の主人公に比べて、『1947』のイアンは軍人としては優秀ではあるものの、そこまでヒーローらしさを感じる主人公ではありません。この点は活劇小説としてのテイストに大きな違いをもたらしていると思うのですが。
 おっしゃる通り、『リボルバー・リリー』と『1947』では同じ活劇小説でも明確な違いがあります。『リボルバー・リリー』の時はデビューからまだ二作目ということもあって、娯楽小説として定番中の定番の要素を敢えて盛り込んでいこうという意図がありました。諜報機関を登場させたり、雨の中での戦いを描いてみたりと、そういう定番を自分がどこまで書く事が出来るのかを試してみたかったんですよね。だからこそ『リボルバー・リー』の主人公・小曾根百合おぞねゆりは、とにかく強くて恰好かっこういいヒロインを目指して書いたわけです。そこにモダンの香りが残る戦前東京の舞台が加わることで、ヒーロー小説としての雰囲気がいっそう強くなったのだと思います。
 対して『1947』は戦後日本という一時代の風景を、客観的な視点から捉える主人公が必要でした。だからイアンは軍人ではありますが別に超越的な存在ではない、どちらかといえば平凡寄りの人物に描いています。それがかえってバラックがたくさん残る東京の異様な迫力を醸し出すことに繫がったのかな、とは思っていますね。そういう意味では『1947』は『リボルバー・リリー』とはまた違った凄みが出せている気がします。

――『リボルバー・リリー』の時とは、小説の書き方が変わっているのでしょうか?
『1947』というより『プリンシパル』の頃からちょっと変わったのかな、と思っています。『リボルバー・リリー』の頃は、プロットを立てずに小説を書き始めていました。例えば「こういうアクションを描きたい」とか「こういうセリフを言わせたい」とか、書きたい場面やセリフがまず浮かんで、そこから更に書きたい場面を繫げていって、という形で書いていったんですよ。それを『プリンシパル』からはきちんとプロットを立てて、場当たり的にアクションやセリフをうめていく書き方をめました。ですので「なぜ、ここで登場人物はこのような感情を抱くのだろうか」という事に説得力が出てきたのだと思います。ただ『1947』の場合、ストーリーラインを明確に定めて書いていくうちに、登場人物たちが勝手に走り始めて、当初自分が思い描いていたキャラクターからどんどん変わっていったんです。

――今までの小説では、そんな感覚にはならなかったのですか?
 そうですね。物語が無軌道にならない様にプロットをあらかじめ定めて書いたのに、逆にキャラクターがプロットから外れた動きを始めたのは、本当に不思議です。

――活劇小説としては、ラストの大立ち回りの舞台に意外な場所が選ばれていて「こんな場所でアクションを展開するのか」と思わず心が躍りました。
 ラストの舞台は、日常の中にあって異世界を思わせる空間はどこだろう、という発想から選びました。この場所は子供の頃からよく足を運んだところですが、この作品に限らず自分のお気に入りのスポットや馴染みの深い場所をどうしても入れたがる癖があるんですよね。本作でどこをラストシーンの舞台として選んだのか、ぜひお読みいただければと思います。

――終盤の畳みかけるようなアクションの勢いが凄かったです。登場人物たちの一つ一つの動きも躍動感に溢れていました。
 先ほどもお話ししましたが、本作では書いているうちにキャラクターたちが勝手に暴れ始める感覚を抱いたんですね。特にこのラストシーンでは予想以上に各登場人物が勢いよく動き回るので、逆に「このままの勢いで結末まで書いていいものか」と悩んでしまい、最初はあっさりした締めくくりにしたんです。そうしたら担当編集者から「あの勢いのまま書いてください」というダメ出しをいただきまして(笑)、現在の形になったわけです。作者自身がそれほど吃驚びっくりするくらい、キャラクターが勢いよく動いてくれたんですよね。

長浦京のこれから

――今後の予定を教えてください。
 2024年の夏ごろに双葉社の「小説推理」で連載していた作品が単行本化する予定です。かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』のようなお話で、独立国家を作ろうとするコミュニティが国連承認を勝ち取るためにテクノロジーなどを駆使して戦うというものです。
――スケールの大きな作品ですね。そちらも楽しみにお待ちしています。

《ジャーロ 92号 掲載》

著者プロフィール

長浦京(ながうら・きょう)
● 1967 年生まれ。埼玉県出身。2011 年『赤刃』で第6 回小説現代長編新人賞を受賞し、翌年同作でデビュー。2017 年『リボルバー・リリー』で第19 回大藪春彦賞受賞。主な著作に『アンダードッグス』『プリンシパル』『アンリアル』など。

『1947』あらすじ

1947年。英国軍人のイアンは、戦場で不当に斬首された兄の仇を討つため来日する。駐日英国連絡公館の協力を得つつ少ない手掛かりを追うが、英経済界の重鎮である父親ゆずりの人種差別主義者でプライドの高いイアンは、各所と軋轢を生む。GHQ、日本人ヤクザ、戦犯将校……様々な思惑が入り乱れ、多くの障害が立ちふさがる中、次第に協力者も現れるが日本人もアメリカ人も信用できない。イアンの復讐は果たされるのか?

■ ■ ■

★文芸編集部noteがパワーアップしました!
「みなさまにもっともっと小説の楽しさを届けたい」一心で、日々情報をお届けしています!!「スキ」や拡散、ぜひぜひよろしくお願いいたします。


いいなと思ったら応援しよう!

光文社 文芸編集部|kobunsha
いただいたサポートは、新しい記事作りのために使用させていただきます!