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【インド回想記④】生きることとインド


生に震えた瞬間①

風の強さで無理やり部屋を涼しくするという力業の、白いファンの扇風機。部屋のほとんどを占めるクイーンベット。きれいに洗ってある、少し古くいけれど真っ白いシーツ。夜22時過ぎ、そのベットの上で寝そべって扇風機を眺め、まだ鳴りやまない夜のムンバイに流れるクラクションを聞きながら、私は大きな響きの音楽を聴いたすぐ後に強烈な余韻で身動きが取れなくなるような感覚とともに、動けなくなっていた。
それはムンバイの3日目の夜で、ボストンで時間を共にして以来8か月ぶりに、ムンバイのメンバーと逢えて、彼らの大学を案内してもらい、日本から来た一緒に来た友達も含めて皆で夕食を食べ別れた、その夜だった。

一緒に過ごす時間が過ぎ去ってみると、私たちは、人生のほんの1瞬で交わったに過ぎないという事実が胸に迫ってきた。
私とは、それぞれの場所と人生の中で同じプログラムに参加することを偶然選び、故郷から遠く離れたボストンで出逢い、8か月かかってムンバイで再会した。そして、あの面々で再会することはおそらくもうない。

ムンバイメンバーたちは、ボストンでは「ムンバイ代表団」として、一括りに考えていたけれど、ムンバイという彼らの生活を送る場所に行って初めて、ボストンでは気が付けなかった彼らの人生の多様さを知った。
週末になるたびにインド中を旅行をしまくっているらしい男の子。「私の人生には何も起こらない。Life is so boring. 自分たちだけで旅行できるあなた達がうらやましい。」とつぶやく、優しいがどこか目の奥に諦めのようなものがある女の子。マダムのような雰囲気のある超堂々とした女の子。色々だった。ほんのり感じられる家庭の雰囲気も、未来も。彼らはこの後、全く違う人生を送るのだろう。

一緒に日本から来た私たち4人組も、「インドに行きたい」という熱量のもとで偶然が重なって巡り合った4人だった。帰国後、一人は東京を離れて活動するから、私たちも同じメンバーで再会できるかわからないし、同じような楽しさで会えるのかもわからない。

あんなに近くにいたのに、同じ時間を過ごしたのに、ハグした時の肌の感触も覚えているのに、過ぎ去ってみると私たちは人生の一部分で交わったにすぎず、もう2度と交われるかわからなかった。死ぬまで二度と逢えないかもしれなかった。生きているということは、目の前の人と逢うのが、これで最後かもしれない、ということなのかもしれないと気が付いた。そこに、切なさと人生の摂理の片りんを見た。

生に震えた瞬間②

ムンバイを離れ、デカン高原で、アジャンター石窟寺院に向かっていた時のこと。
曇る空に、どこまでも続く平原、お祭りが近いようで、たまに通るまっ黄色に彩られた牛、ムンバイよりもずっと粗末だが、人の生きている営みが伝わる村々、そんなものを目にしながら、ふいに「私は、今までの全てによってここに連れてこられた」と思った。
そもそも、この場所にに来たのは、4人のうちの一人に「アジャンター石窟寺院、エローラ石窟寺院に行きたい」という強いパッションがあったからだった。ムンバイメンバーに逢えて無事に日本に帰れればそれで満足だった私も、そのパッションをきっかけとして、アジャンター石窟寺院に向かっていたのだった。
そんな時、タクシーのオーディオから、「すずめの戸締り」の「すずめ」が流れてきた。

思い出せない 大切な記憶
言葉にならない ここにある想い
もしかしたら もしかしたら
それだけでこの心はできてる
………
なんで泣いてるのと聞かれ答えれる
涙なんかじゃ
僕ら出逢えたことの意味にはまるで
追いつかない
この身ひとつじゃ足りない叫び
君の手に触れた時にだけ震えた
心があったよ
意味をいくつ越えれば僕らは辿り
つけるのかな

RADWIMPS「すずめ」ft. 十明 (Toaka)


数々の忘れたくない瞬間を包む神秘的な旋律を聞きながら悠久の時を経て今の景色になっているデカン高原を眺め、「頑張って生きた結果、何かの摂理の下で、私は今ここにいる」という感覚があふれて震えた。

生に震えた瞬間③

エローラ石窟寺院の中で、赤ちゃんを抱っこしてその温かさを感じたとき。赤ちゃんは温かくて、自分固有の動きをしていた。ただそこに温かさがあった。赤ちゃんの家族の、私たちをにこにこと私たちを見つめる姿、そして「わあああん」と泣き出してしまうその動きの予想外さ、個体の柔らかさ。この赤ちゃんの温かさは、今でも抱えたその腕に、胸に残っている。

生に震えた瞬間④

帰りの飛行機の中から見た月。深夜1時に羽田着の予定で、ホーチミンの10時間の乗り継ぎ時間を経て、やっと、やっと、あと30分で日本に着陸する、というとき。空席の多い暗い機内で、大体の周りの人は寝静まっていて、CAさんが居る前と後ろのエリアだけほのかに光っている、そんな機内。随分と眠った後ふと目が覚めた私は、左の窓から外を見やった。
そこには、煌々と光る、月。その時耳によみがえったのは、

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 連れてこい
春 夏 秋 冬 連れてこい

わらべ唄(原詞)より 作詞:高畑勲 坂口理子 作曲:高畑勲

というかぐや姫の物語の中のわらべ唄だった。インドの旅路を経て浮かぶ旋律はこれなのかと、自分を形作るものはこれなのかと、驚いた。同時に下がっていく高度に、雲に隠れ行く月を見ながら、耳の奥には、インドのデリーのホテルの通りの、なり続けるクラクションが響いていた。世界のどこかにあそこがある。そう思った。

生に震えた瞬間⑤

ガンジス河で、自分が色んな命の一部になって、溶けていくような、でも自分が溶けてなくなるのではなく、自分のまま、色んな魂と一体化していくような、そんな気持ちになった。

生を感じた瞬間⑥

帰ってきて友達と遊んだとき。別れ際に「ばいばい、また会おうね」と言いかけて、「また会おうね」という言葉が浮かんでこなかった。インドで出会ったたくさんの、大好きな、でも2度会えるかわからない人たちとの別れの気がしない別れを繰り返したために、「この人と次に会えるだろうな」という感触がなくなっていた。切ない、と思った。

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