夏の亡霊
日々の思うことなど・雑記
日々の生活の記録/切り取り 1.登校出勤時間 毎朝、家から駅まで歩いている。 会社勤めであるから、特に考えがなければ同じ時間に同じ道筋をを歩くこととなる。 面倒に感じることもあるが、やもすれば引きこもりがちで運動不足である私にとっては貴重な運動時間である。殆ど毎日、同じ道を同じ時間で通るのでだいたい同じ時間に登校している同じ学生と一緒になる。 去年までは男子学生だったが、今は女子学生である。 一緒になるといっても、彼女らが歩いているのを私が追う形になるか、彼女らが少し後ろ
例えばここに6つのうんこの絵があったとする。 ①伝統素材と100年以上前からある歴史ある手法 によって描かれたうんこ。 ②ダビンチの描いたうんこ。 ③著名な美術館に作品が収納されている現代作家が描いたうんこ ④最近、海外で認められた90歳の芸術家の描いたうんこ ⑤芸術大学を首席を卒業し、新進気鋭の作家が描いた本物と見紛うほどのうんこ ⑥デジタルで描いたメタバースなうんこ 他にも種類があるだろうし、うんこでなくてもいいが、せっかくの機会なのでうんこにした。 日常
アナログでもデジタルでも本来は単純に絵を描くための手段であり、どこに価値があるかは観る人と描き手が決めることである。 私自身はアナログもデジタルもどちらも使っていて、どちらにも短所と長所があると思っている。 とはいえ、もうアナログなんて不経済だから、全てやめてデジタル一本で描くつもりだった。 古くなってゆくインクやホワイト、ちょういい画材、生産終了するペン先に怯えなくていい。 道具も買い換える必要もなく、すぐに取り消せる、レイヤー分けができ、拡大縮小ができ、定規も自由
小さな頃から絵を描いてきた。 しかし、よく聞かれる「絵を描くのが好きですか?」にはいつも「別に好きではないような気がする。」と微妙な答えを私は返し続けている。 『好き』でいえば自分の気に入った絵を見ている方が『好き』を感じる。 その対象は、美術館の名だたる芸術家をはじめ、友達の描いた絵も名も知らぬ人や子供の絵も、どんなものも絵に人となりや性格が出ていて面白い。 しかし、これは突き詰めると人間が好きなだけで絵が好きとはまた違う気もする。 どうあれ結局は、その絵が好き