ショートストーリー13話 『猫背の彫刻』
「猫背の彫刻って知ってるか?」
机にあるお菓子をつまみながら唐突にタカシは話しはじめた。
僕は、その聞きなれない言葉に首をかしげた。
「この家に来る前に、大きな石でできた入り口の美術館を見なかったかい?」
「そういえば、大きな道沿いに緑のツタがからまった石の扉を見たな。それのこと?」
「その美術館な、中には人間や動物の彫刻がいくつかあるんだけど、夜になると全部の彫刻が腰を丸くしてうなだれてるって噂なんだ。昼間に行くとなんてことはない、普通の彫刻らしいポーズをとってるんだが。」
僕は、ほおばっていたお菓子を生唾と一緒に飲み込み、タカシの話に聞き入った。
「うなだれているって言っても、ロダンの『考える人』みたいなポーズをとっているんじゃないぞ。人間も動物もみんな老人のように腰が曲がっちゃってるらしい。近所にいる、その美術館の清掃をしている人から聞いた話なんだが」
僕は半信半疑で話を聞いていたが、タカシの真剣な表情は変わることはなかった。
「そこでだ。今夜、その真相を確かめに行ってみないか? 俺とお前で」
自信たっぷりのタカシを見て僕は少し心配になり、尋ねる。
「えーと、その美術館は夜は閉まってるんだよね? どうやって入るのさ」
「なあに、対策はきっちり考えてある。誰にもばれずに忍びこめるような道を美術館の裏手に見つけたのさ」
僕は大丈夫かなと不安に思いながらも、その不思議な彫刻に興味を持ち始めていた。
その夜、僕とタカシは美術館の裏手にあるレンガ塀の前にいた。
タカシがここだ。と言い、レンガ塀の下のほうを指差す。
そこには、子供一人が通れるような小さな穴が空いていた。
僕とタカシは交互に地べたに這いつくばり、上着を汚しながら美術館に入ることに成功した。
「な? ちょろいもんだろ」
タカシは自慢げに鼻をピクピクさせながら言う。
僕は何かとても悪いことをしている気持ちになり、誰もいない館内の広場に向かって軽く一礼をした。
タカシは、どんどん館内の広場の方に歩いていく。僕はタカシに置いていかれまいと歩くスピードを上げる。
広場の中央にある丸池を越えたところで、幾つかの彫刻が姿をあらわした。
真ん中には大きな兵隊の彫刻とリンゴを持っている女性の彫刻。その左右に少し小ぶりの犬の彫刻とネズミの彫刻があった。
彫刻はみんなタカシの言った通り、うつむき加減で腰の曲がったものばかりだ。
犬やネズミも器用に前かがみの状態で、とても辛そうだ。
「ほらね、言った通りだっただろ」
タカシは彫刻もじっくり見ずに、僕の反応をうかがっている。
僕はそんなタカシを尻目に、兵隊の彫刻を四方八方からまじまじと見つめてみた。
その瞬間、兵隊の彫刻のぎょろっとした目が僕を睨みつけた。
僕は驚いてその場で尻もちをつき、倒れたまま、あわあわと後ろに後ずさった。
その様子を見ていたタカシが僕の方に駆け寄り、クスリと笑って僕の手を取り、僕を地上に立ち戻らせた。
「見たか?」
「何を?」
タカシはまだ気がついていないようだった。
「兵隊の彫刻が僕を睨みつけたんだ」
僕が言うと、タカシは1つため息をついて言い返した。
「あのな。ここの彫刻は昼間は普通の彫刻だって言ったろ。それが、夜になるとみんな猫背になるって。そんな不思議な彫刻なら睨みつけたって1つもおかしくないだろう。むしろ喋りかけられたっておかしくはないよ」
「その通りじゃ」
えっ? 僕たちは思わず顔を見合わせた。
「話の途中でわりいってすまんのう。君たちにこの声は聞こえているかいのう?」
これにはさすがのタカシも尻もちをついた。
今度は僕がタカシの手を取り起き上がらせると、僕たちは兵隊の彫刻の顔を覗き込んだ。
また兵隊のギョロっとした目が僕たちを睨みつけた。
「いや、失礼失礼。おどかすつもりはなかったんだが、ともかくずっとこの前かがみの体勢なので、よおく君たちが見えんでの。睨みつけてるつもりはないんだが、どうも普通に見るのが難しくての」
僕たちはきょとんとして、再び腰ぐらいの高さにある兵隊の顔を覗き込んだ。
「兵隊さん、僕の方こそ尻もちなんかついてしまってすいませんでした。でも、あんまりびっくりしたもんだから、ついつい。不思議な彫刻っていっても、まさか喋れるとまでは思わなかったもので」
「まあまあ、ここはお互いさまということで。ご挨拶のお辞儀をしたいのだが、やはり彫刻なもんで頭をさげることができんでのう。」
「なるほど、それは厄介ですね。」僕は本当に不憫だといった顔で返す。
「彫刻のからだってのは腕のある芸術家が作ったから、いかにも美しい形でいなきゃいけんのだけど、やはり人間の体の方が便利でいいわな。お辞儀もできるし、なんならさっきの尻もちをついた君を起こしたりもできるのじゃから」
確かに、と僕は頷く。
「でも、どうして、兵隊さんたちは夜になるとみんなして猫背になるんですか?」
タカシも同じ質問がしたかった、というような顔で頷く。
「ワシたちも好きで猫背になっとる訳じゃないんじゃ。ワシら彫刻だって一日中同じポーズで立っていたら肩はこるし、疲れだってたまる。運動不足になって病気もするし、風に当たると寒気がする。いわゆる、みんなが思ってるように完璧なものじゃあないんじゃ。でもワシたちにも美術品としてのプライドがある。だから、昼間は頑張って同じポーズをとり続けてるんじゃ。パンダも人が見てるときにはお腹がいっぱいでも笹を食べとるじゃろ。これがプロ意識っていうもんじゃ」
「なるほど。そういうことだったんですね」
僕が納得すると、タカシが「いや、もはや普通にしゃべってるね」と返す。
「君が不思議がるなって言ったんじゃないか」
「そうだけど、俺のイメージだと彫刻が不満を言ってるのが、ちょっと違うなって・・・」
「彫刻が猫背になるのならしゃべったりもするし、僕たちみたいにグチも言うさ。なんたってこの兵隊さんはこの石のからだ以外は僕たちと同じような意思を持ってるんだからさ」
タカシは不満げに僕に背を向け、レンガ壁の方に帰っていってしまった。
僕はしまったと思い、兵隊さんにさよならを告げてタカシを追うように美術館を後にした。
それから数日間、僕の頭の中は美術館のことでいっぱいで、兵隊さんの悲壮な顔を思い出しては胸が詰まる思いであった。
ある日、ベットの上で考え事をしていると、そうだ! と思い立ち、パソコンで美術館の名前を検索して、兵隊の彫刻の作者を調べた。作者には「進藤ススム」とある。
急いで携帯電話を手に取り、進藤ススムの事務所の番号を押した。
すると、「はい、進藤ススムです」と本人が電話先で応対した。
僕は、美術館での経緯をこと細かく説明し、進藤ススムの反応をうかがった。
最初は信じてくれるか不安であったが、その心配は何処へやら。進藤ススムは、いかにも真面目な口調で
「それはそれは。教えてくれてどうもありがとう。親切なお人ですね」と言って、話を続けた。
「いやはや不思議な話じゃが、わしが精魂込めて作った作品じゃからのう。動き出したり、喋りだしても一つも不思議じゃないわい。」
進藤ススムはそう言って、ケタケタと笑い始めた。
「進藤さん、僕はあの彫刻たちがかわいそうで。なんとかならないですかね」
進藤ススムはまたしても笑いながら言った。
「いや、少年よ。彫刻はポーズが命じゃからのう。あの苦しい体勢に意味が込められとるんじゃ。ワシだって彫刻は自分の分身と思っとるくらい大切じゃが、世の中にはどうにもできんこともある。実はあの兵隊の彫刻は戦争で共に戦った仲間がモデルじゃが、あやつはそんなにヤワじゃなかろう。それに昼間は彫刻らしいポーズをとっとるんじゃろ。だったら文句はなかろうが。お客から苦情がきとるんならともかく」
僕はその言葉に落胆し、すぐに電話を切ってしまった。
また数日間、ご飯もろくに喉を通らなかったので、僕は思い切ってまた夜の美術館に忍び込むことにした。
「やあやあ、また来たんかいのう。ご苦労なことです」
「あれからあなたたちのことが忘れられなくって、いてもたってもいられなくて、また来てしまいました。何か僕にできることはないですか?」
「それはそれは、ご親切に。ありがたや、坊や。ただ、君がワシらのためにできることなんざ、そうはないと思うよ」
前の夜のように腰の丸まった兵隊が言うと、僕は持ってきたリュックサックの中から、クローゼットで見つけた父の黒いコートを取り出し、兵隊の彫刻の肩に優しく羽織らせた。
「前に来た時に、風に当たると寒気がするとおっしゃってましたから。あとは、あの猫背の犬が腹ペコにならないためにお魚も持ってるし、猫背のネズミが運動不足にならないように回る車も持ってきましたよ。隣の女性には、ずっとリンゴを持っていると疲れるようだから果物カゴもあります。なんなら、あなたの腰をマッサージしましょうか? 僕は上手なもんですよ」
「おやおや、そんなにたくさん。お優しい子だね。でも、ワシらは昼になったら、また例の勇ましいポーズに戻らにゃいかん。特にワシは勇猛果敢な兵隊の彫刻じゃからのう。それに、前は少々愚痴ってしもうたが、ワシらは美しくて優雅な彫刻としての誇りもある。あの犬は実は立派な忠犬ハチ公の像で、昔は渋谷という都会のど真ん中で人々によおく愛されとった。君たちもご存知の通り、飯も食わずにご主人様をずっと待っておった気概のある立派な犬なんじゃ。あのネズミも、そこらの鼠じゃのうて大昔に仏教の神様である大黒天の使者として遣わされた立派なネズミなんじゃ。横の女性はリンゴ売りの少女じゃが、彼女もたくましく生きてきた女性じゃ。君のほどこしを受けるかどうか」
「そうなんですね、それは残念です。お役に立てるかと思ったのですが」
僕は兵隊の彫刻のように肩を落としてうなだれた。
「気持ちだけはありがたく受け取っておくからのう」
犬の彫刻もワンと吠え、ネズミの彫刻もチューと唸った。女性の彫刻は僕の方からは見えにくかったが、優しく微笑んだように見えた。
またしても僕の気持ちは随分と落ち込んでしまった。
どうにか忘れようと努めたが、何をしようにも気が入らずにボーっと数日を過ごしていると、突然、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
タカシからであった。
「なあ、この前に行った美術館のこと、覚えてるか?」
「もちろん覚えているとも。忘れたくとも忘れられない」
僕はタカシにもう一度美術館に行ったことや、進藤ススムのことも洗いざらい喋った。
タカシは「そうか」と言って一息つくと、また喋り始めた。
「その美術館な、最近また不思議なことが起こってな。また例の清掃員から聞いた話なんだが・・・・」
タカシが話し終えると、いてもたってもいられなくて、僕はコートを羽織って美術館へと急いだ。
今回はきちんとお金を払い、立派な石でできた正門から入ると、一目散に兵隊の彫刻の元へと急いだ。
入り口のレンガ造りの建物を抜けると、一面に緑の芝生が広がり、向こうには太陽の光をまばゆく反射させた丸池が見えた。その池に黒い影を落とすように兵隊の彫刻はあった。
今まで猫背であった兵隊の背筋はピンと伸び、堂々とした表情で立派な彫刻の椅子に座っている。
そのとなりにはスーツ姿の老人の彫刻が兵隊の座った椅子に手をかけている。
犬の彫刻のとなりには飼い主と思われる人物の彫刻があり、ネズミの彫刻のそばには米俵がある。女性の彫刻の腕には丸い籠がかかっている。
いずれも、前には存在しなかったものばかりだ。
僕が兵隊さんの顔を見ると、彫刻はピクリとも動かずに、誇らしげに空を見上げるばかりであった。
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