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ショートストーリー7話 『邪気』

僕はその日、いつにも増して暇を持て余していた。

こんな日は目的も持たずに、だらだらと過ごしてみるのも贅沢なのではと、新宿三丁目をあてもなくウロウロと歩いていた。
目に入ったのは、飲み屋横丁風の立ち飲み焼き鳥屋。
汗が目にしみる暑い季節であったが、キンキンに冷えたビールと香ばしい焼き鳥のコラボが頭に浮かび、僕は自然とお店の暖簾をくぐっていた。

お店の中は若いカップルやサラリーマンたちがワイワイとビール片手に賑わっていた。店の作りとしては、細長いカウンターがあり、皆が一列になってカウンター越しの厨房を覗くようなあんばいだ。あとは丸い小さなテーブルが三つ。勿論立ち食いなので椅子はなく、今は一つのテーブルのみが空いている。

僕は一人で入ったので、カウンターに通されると思いきや、カウンターはあいにくの満席であった。
少し残念に思いながらお店を出ようとドアに手をかけた瞬間、
「お兄さん! テーブルでも問題ないですよ! 相席になっちゃうかもですけど」と、若者の威勢の良い声が聞こえた。

「相席か・・・」

僕は一瞬躊躇したが、なにぶん一杯のビールと焼き鳥を三本ばかし頼んだら、さっさとお店を出ようと考えていたので、まあ、相席になったらなったで早めに切り上げれば良いかと思い、テーブルにつくことにした。
今思い返せば、軽率な行動であったと思う。

僕は一杯の生ビールと、土手焼き、焼き鳥を二本頼んだ。
すぐにテーブルに生ビールが運ばれ、僕は暑さで乾ききった喉にビールを一気に流し込んだ。そのCMさながらの豪快な飲みっぷりに、隣のテーブルで飲んでいた若いサラリーマン三人組から小さな拍手が起こった。
僕は少し照れながら軽く会釈をしてバツの悪い顔をした。

やがてテーブルに土手焼きが運ばれてくると、ガラガラとドアの開く音がして、若い女性二人が入ってきた。

僕は悪い予感がした。

このままでは彼女たちと相席になってしまう。自分は人見知りはしないタイプではあるが、今日は誰にも干渉されずに、ただダラダラと過ごしたい。そんな気分がゆえに、僕は一層気が重たくなってきた。
しかも、僕がよくても彼女たちが相席を嫌がるかもしれない。そうなったら、ただ焼き鳥を食べたくて気軽に入ったこの店で、やもいわれぬトラウマを生んでしまうかもしれない。
きっと、横のテーブルのサラリーマンたちにもからかわれるだろう。
「にいちゃん、ドンマイ!」なんて言われた日には、彼らの目に焼き鳥串を刺してしまうかもしれない。

そんな怖い妄想をしているうちに、若い女性二人は僕の目の前にやってきた。

「ここ、相席良いですか?」

隣のサラリーマンから本日二度目の拍手が起こる。僕は少しホッとした。

「どうぞ、どうぞ。」

「ありがとうございます!」女性の一人が弾けるような笑顔で言った。
なんだ、良い子たちじゃないか。心配しすぎたこともあり、僕は一層楽しい予感がした。しかし、その良い予感は、すぐさま不安というモンスターに襲われることになる。

「えー、相席? マジですか?」と、もう一人の女性が弾けるようなブスな顔をして、元気よく言い放ったのだ。

「え、すいません・・・」

僕はあまりに突然なことに焦りを覚え、つい謝ってしまった。その一言に隣のサラリーマン達の会話も止まる。嫌なムードだ。
自分でも、「弾けるようなブス」という表現で語るのには少々気がひける。しかし、この場合のブスとは決して容姿のことではない、心のブスを表す。この女性に関しても際立って綺麗という訳ではないが、十分に整った顔の女性ではあった。しかし、満面の笑みでトゲのある言葉を次々と投げかけてくる。

「すぐに帰りますんで」僕

「えー! 一緒に飲みましょうよ!」笑顔の女性

「すぐに帰るんだ、じゃあいいか」心のブス

「本当にこれ食べたら帰りますから」僕

「寂しいこと言いますね! 何頼んだんですか?」笑顔の女性

「この土手焼きと、あとはツクネと鳥皮かな」僕

「美味しそうですね! 私もそれ頼もうかな!」笑顔の女性

「じゃあ、枝まめ食べよ」心のブス

笑顔の女性と心のブスの、天使と悪魔に挟まれながら、ただただ愛想も悪くなっていく僕。隣のサラリーマンも固唾を飲んで僕たちの会話を盗み聞きしている。
いつまでも不機嫌にしていると笑顔の女性に悪いかと思い、僕は思い切って心のブスを無視してこの場を乗り切ろうと決めた。

「どこから来たんですか?」僕

「私は浅草に住んでて、この子は練馬!」笑顔の女性

「練馬、ナメてない?」心のブス

「へー。浅草なんですね! 前に雷門行きましたよ!」僕

「天丼が美味しいですよね!」笑顔の女性

「観光客、多すぎでしょ。この暑いのに」心のブス

「電気ブランていうお酒もあるんですよね?」僕

「ちょっときついけど美味しいんですよね、あのお酒!」笑顔の女性

「私、あんまり好きじゃなーい」心のブス

無限に続く天使と悪魔とのトライアングル。魔の三角海峡は新宿三丁目にあった。僕は、笑顔の女性に「君とは違う場所で逢いたかった♡」と思う反面、心のブスには「違う場所だったらテメエ、コロシテタゾ♡」と思うようになっていた。

そんな切ない三角関係を見かねた隣のサラリーマンの一人が、意を決して僕たちの輪の中に入ってきた。僕はもうこれ以上、登場人物を増やさないで!今でも収集ついてないんだから、と切に思った。

「ねえ、僕も混ぜてよ!」

そのサラリーマンは背丈もあり、爽やかな髪をなびかせたモコミチ風のイケメンであった。

突如として心のブスの表情は一変した。

「えー! 良いですよ! 是非是非! やだーもー」

少し照れた様子でブスっている。
僕と笑顔の女性はそれを見て「何てわかりやすいんだ」と呆れ顔になる。しかし、これで事実上、二対二の良い場になったと二人で顔を見合わせて頷いた。

モコミチ風の男は、いかにも女慣れしているといった様子で心のブスに話しかける。

「二人はどんな関係なの?」モコミチ風

「私たちは大学の時の友人でテニスサークルも一緒でした!」心のブス

「そうなんだ、仲良さそうだもんね」モコミチ風

「私たち、すごい仲良しでいつも一緒にいるんです!」心のブス

 僕は、たまには笑顔の女性を一人にしてあげて。と心の底から思った。

「仲良いんだね。二人は何て呼び合ってるの?」モコミチ風

「私はあの子のことをあやちゃんって呼んでます! 私のことは・・・」と言いかけた瞬間、笑顔の女性が、

「無邪気に邪気を放つ女」と言った。


僕たちは一瞬、何が起こったのか分からずにいた。

心のブスは、オームの戦闘色が消えたかのように動きが止まる。
また、急にあたふたと動き出し、話し続ける。

「私のことはともりんって呼んで・・・」

「無邪気に邪気を放つ女」

また聞こえた、あの声が。決して今までに見た、弾ける笑顔の女性から出るはずのない言葉が行き場を失っていた。
もう一時も無視できない状況がそこにはあった。
僕は、「無邪気に邪気を放つ女。よく観察された言葉だな。見事に体を得ている」と言い、納得したような仕草で左手のこぶしを顎に置きやった。
すると、モコミチ風の男もプッと吹き出し、「君、いつもそんなに邪気を放ってるの!?」と、心のブスの肩をポンポンと叩きながら、いかにも愉快だといった様子でビールを飲み始めた。

心のブスは肩を震わせて下を向いたまま、電池の切れたペッパー君のようにうなだれている。
笑顔の女性はその様子を見ながらも、さらにたたみかける。

「でも、ともりんは場所を選ばず、いつも奔放にしてるから羨ましいよ! 私、いつも言いたいこと言えないもん!」

ともりんこと心のブスの電源はまだ入らない。首もあらぬ方向に曲がったままだ。やがてモコミチ風の男は、一向に喋らぬともりんに飽きたようで、隣の友人たちの輪の中に帰ってしまった。

また、この丸テーブルは僕たち三人だけになってしまった。
世界の片隅の、この丸いテーブルには言葉をなくした三人が取り残されていた。僕の焼き鳥は、いつの間にかテーブルに運ばれていた。
僕は優しく鳥皮をつかみ、ともりんの皿に静かに置いた。
その瞬間、ともりんの口が魚のようにパクパク動き出した。
かすかな声で聞き取りにくかったけれど、僕にはそれが、

アリガトウ

に聞こえた。
笑顔の女性は相変わらず、ともりんの本性をまくしたてている。僕はもう全てに興味を失っていた。信じられるものは焼き鳥の香ばしい味だけであった。
ともりんへの恨みはない。逆に、笑顔の女性こそが無邪気に邪気を放っていたのではないか? そんな疑問が頭をよぎったが、それ以上考えないことにした。

ともりんのお皿の鳥皮は決して食べられることなく、静かに僕たちを見守っている。もうタレの味も乾いてしまっているだろう。
今日の相席という偶然に集まったはぐれ鳥たちの会合は、店の喧騒とともに静かに終わろうとしていた。

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