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語彙力ってすげー。

半分誘惑に負け、午前中に最低限の作業を終えてから2度目の鬼太郎誕生の瞬間に立ち会った日から今日まで、忙しいというのもあったが、安易にネットの海に放流すれば個人を特定されかねない用事のオンパレードだったのだ。そして、そこに付随してくる気持ちや思いもやはりその用事に関連するものである。個人的には為になることばかりだったのでご機嫌だ。
個人的MVPは今日師となる人に相談した内容を修正し報告したところ、朗らかに「ひどかったけど良くなった!」と言われた。あまりにも朗らかで私はへへ、と笑ってしまった。一歩間違えればえらく傷つく言葉であるが、酷いと思っていたにも関わらず相談に乗っていてくれてたのかと思うとありがたい話だ。何より朗らかというのが良い。やはり言い方というのは大切だ。でもたまにでいいしかすり傷レベルでは痛い言葉なので精進したいと思う。良くなって本当に良かった。

ひどいといえば、私の語彙力や表現もひどい。というか貧困だなと思うことが多々ある。
私はnote以外でも文章を書くことが間々ある。情けないことに頭にあるものやアイデアを文字で起こすことに常に苦労している。苦しいし、しんどい、自分の無力さに苛まれる。ただ、それが嫌いではなく寧ろ好きだ。苦労して捻り出した文章をまとめて見ると自分の成果が完璧とはいかないまでも視覚化されていて、やって良かったと心底思えるからだ。言葉が出てこないときは誰かしらに相談するようにしている。幸運なことに見捨てられたことは少なく、何かしらのアドバイスをくれる。相談するとかなりの確率で筆、キーボードが乗る。
ただまあ、この苦労は語彙力がないという要因がかなりの割合を占めているので甘えすぎず、個人的にも修行しなければならない。
この語彙力がない、というのは自分の言いたいことが言えない、というだけでなく、人に寄り添った物言いができないのだと直近で思った。
極端な例だが、人に何かしらを注意する時「うるさい」「迷惑」「反対」と言ってしまうと、間違ってはいなくともあまりにもシンプルだと攻撃的に感じる。この言葉の奥にもっと中身があることを伝えなければならない。 分からない、分かっていてわざとやらかし続けるから注意するのだ。つまり、「うるさい」「迷惑」の中に「他の人への配慮」「ここが図書館という公共施設である」「日曜日は家族との用事があるから買い物にはいけない」ということなどを相手を納得させるために付け加える必要がある。そのためには「配慮」「図書館」「公共施設」「家族」「用事」といった語彙や表現を増やさなければならない。
もちろん、語彙力だけではなく、言い方の問題もあるだろう。冒頭の師の朗らかな言い方が良い例だ。しかし、語彙を増やしておくと人に対して攻撃的な物言いを避けることができるのも確かだ。あるいは単なる衝突ではなく、議論ができる。語彙力を自分の気持ちを表現するために必要だと思っていた私にとってはなんだか新鮮だった。
語彙力は優しさでもあるのか。語彙力すげー。
語彙力皆無の気持ちが漏れ出た。

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