忘れらんねえので。

呪術廻戦の最終回を見届けた。前回の記事にある通り、これを機にとある目標を立てた。

しかし、前向きに考えよう行動しようとしても、私のひとつの心の拠り所がなくなってしまったのは紛れもない事実だ。私にとって、呪術廻戦は数年もの決して短くない時を共にした大切な作品だ。もっと言えばかなり辛い時期に寄り添ってくれていた作品でもある。
その作品で生きていた五条悟には存在だけで救われていたときもあった。

だが、いわゆる推し1番で命と言えるスタンスで生きてるつもりはない。寧ろ、基本的に色んな依存先を持つようにしている。アニメとか、推理ゲームとか、怪談とか、バンドとか、博物館とか、猫とか。好きなものは多い方だと思う。そしてそれぞれ別の脳みその容量を使っている。私の頭の中の楽しさが伺えるかと思う。
だから、五条悟もこの世で最も好きかと言われると首を傾げる。

だが、死にたいと思っていた時期に、死にたいなんて思わないように短い目標として五条悟という存在があったのは確かだ。
五条悟が出てる映画が放映されるから、まだクリスマスまでは生きてよう。人が沢山いて怖いけど、映画館へ行こう。五条悟が雑誌の表紙になるからこれを買うまでは死なないでいよう。
そうして辛い数ヶ月を乗り切ったりもした。その後も私は五条悟に救われていた。辛くてどこにも行けない時期が続いていた頃、様々なことに諦めながらも何事にも前向きな姿勢に感化されたのだ。物語のホラーキャラとして好きだったはずの彼の内面も好きになっていたのだ。ホラーでヒーローなのは、鬼太郎だけじゃなかったのだ。
ひたすら後ろ向きになっていた私は、限定的ではあるが、彼のようにまでとはいかなくとも、ポジティブだろうがネガティブだろうが、やりたいことや言いたいことを相手に出していった。そうしていくうちに自分の辛さが無理やりにでも外に押し出されて、私以外の人に伝わり、1人ではたどり着けなかった解決策が出てきた。
その解決策を実践していくうちに、また色んなものを好きになった。行きたい範囲が広がった。おかげで今は後遺症のようなものは残ったものの、色んな所へ行ける。すべてが五条悟のおかげなんて言うつもりは無い。しかし、なんとか前に進めたきっかけとして彼の存在があった。
だから、彼が生きていた世界の物語が見れなくなってしまうのはどうしようもなく悲しい。
だが、五条悟の「もう五条悟とかどーでもよくない?」という言葉が過ぎってくる。忘れらんねえよ!忘れられるか!と思いながら、虎杖たちの笑顔を見る。全然全くどーでもよくない彼が居なくとも、きっとこの世界はどこまでも続いていく。
それを確信して、どこかの空港で彼は親友と笑いあっている。

明日も色々あるだろうし、呪術廻戦の余韻にも暫く浸ってしまうだろう。しかし、無理にその気持ちを除こうとは思わない。
今までのように脳みそのどこかに彼を置いておく。忘れられないのもあるが、停滞しないためのお守り代わりだ。しかも辛い時を乗り越えた実績つきだ。
どうかこれからもよろしく頼む。

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